2007/12/27

再び、『かもめ食堂』

Eiga6

クリスマスのプレゼントに『かもめ食堂』をお願いした。

やったー!やったー!
よろこび勇んで我が家に持って帰ったところで、我が家には、DVDのデッキがない。

ということで、今は見えるところに置いて飾ってあるだけ。

頂いた日に、ビッグちゃんの家でみさせていただいたので、しばらく我慢。
また、みたくなったら、ビッグちゃんのトコでみせてもらおう。

なんで、こんなに『かもめ』が気に入ったのか、自分でもよくわからない。
世間のブームが冷め切った頃、レンタルでみて、本を買って、そしたら、またみたくなって、デッキがないっていうのに、DVDを手にしてる。

10代の頃の、『ピアノ・レッスン』
大学時代の、ウォン・カーワァイ熱。
20代真ん中へんの、『ヴァージン・スーサイズ』

それらに匹敵する熱を持って、『かもめ』がいま自分の中にある。

自分は一度好きになったものは、時を経てもいつまでも、ジワジワ好きという熱を保つ。

テレタビーズしかり。
いまだに、好き。
何それって思った人、大半でしょう。
それが世間の流れってもんです。
いろんなものが、巷にあふれ、流れ、いつしか消えて、人の記憶からも消えちまうもんなんです。

でも、自分はそれに逆行するかのように、いつまでも好きなものは好きなんです。

テレタビーズ、気持ち悪いって言われても、好きなんです。

さて、『かもめ食堂』の何が好きか。
語りだすと、キリがないので、語りません。

一言でまとめると(←ホントは語りたい)

空気。

そこに満ちる空気なんですね。
それが好きなんです。

以上。

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2007/09/26

かもめ食堂

先日といっても、ガクブチ展が始まる前のことだから、それなりに前のことになる。

『かもめ食堂』という映画をみた。

以前から気になっていた映画で、でも、なかなかみる機会のなかった映画だ。
静かな映画である。
とりたてて事件もなく、なんでそうなの、という説明もなく、淡々としている。

ただ、強くひっかかる点がある映画なのだ。
いろんな立場の人がいて、それぞれの視点からみることのできる映画で、自分はものを作る人間としての立場から、この映画をみた。

すると、ひっかかるのだ。

何に、ひっかかるのかというと、「シナモンロール」だ。
主人公は、フィンランドで和食の食堂(カフェ)をひらくのだが、ちっともお客さんが入らない。

いいものをキチンと作っていれば、いつかわかってもらえる。
主人公はそう信じて、毎日グラスを磨いている。

ひょんなことから知り合って、ここを手伝うようになった女性は、さかんに促す。

「ガイドブックに紹介してもらったら、どうですか」

「ここ(フィンランド)の人に気に入ってもらえるよな食材を積極的に使ってみたら、どうだろう」

しかし、主人公は「うん」といわない。
そして、お店にはいっこうにお客さんが入らない。
主人公も、わかっている。

ある日、彼女は、よし!ということで、シナモンロールを作った。
シナモンロールとは、フィンランドのソウル・フード。
誰もが知ってる慣れ親しんだ、食べ物だ。
彼女の思惑通り、その香りに誘われてお客さんが入ってくる。
シナモンロールが、この店の第一歩になったのだ。

そこから、シナモンロールが始まりとなり、お客さんは日本食を食べにここを訪れるようになるのだ。
もちろん、お客さんが入ったからといって、主人公は妥協することも媚びることもなく、日々、日本食を作り続けている。

そうか、シナモンロールが呼び水になったんだ。
最初の入り口が必要なんだ。

確かに「いい仕事」をしてれば、いつか人は振り向いてくれるという神話はある。
でも、頑なに「いい仕事」に固執していてもなあって。
入り口を作らねば。
それは自分で作らねば。
勝手にできるってことは、ねえだろう。

そこで考えるのだ。
「アズヲ・ガクブチ」にとっての、シナモンロールは何に当たるんだろうって。
いろいろ考えた。

アツモリを宣伝に使うか?
今でも人気の衰えない旅でのスケッチを、何らかのかたちで使うか?

でも、ただ「入り口」を作りたいばっかりに、見当違いのもんであるとか、意味不明なものを並べたくはない。
だけど、シナモンロールっていうのは、わかるのだ。
アズヲ・ガクブチにとっての、シナモンロール。

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2007/01/02

硫黄島からの手紙

あの時代、あの状況、あの背景。
そんななかで、誰も間違っていなかった。
そう思う。

大本営であるとか、見えない立場から、あーだこーだ指示出してる人間は、さておき。
あの場で、戦わざるを得ない状況になってしまった、全ての人たちに。

偉い人も、したっぱの人も。
日本人もアメリカ人も。
敵も味方も関係なく。
ああするしかなかった。
そう思う。

太平洋戦争は、どう考えたって、負け戦である。
それをわかっていた人は、たくさんいる。
でも、とめられなかった。
わからんで、暴走してるんなら、ひょっとしたらいいのかもしれない。
やってみて、ダメだったねえ。
降伏しようって。

だけど、勝てる見込みは皆無に等しいのに、戦わなければならない。
そんな矛盾だらけの戦いに身を投じなければならない。

どう見たって、どうひっくり返ったって、物量が違うのだ。
米軍と日本軍とでは。
圧倒的な力の差がある中で、同じ地平に立って戦えって。
どう戦えっちゅうねん。

専門家から言わせると、当時の日本の戦車なんて、ベコベコだったらしい。
こんなもんに乗って、よく戦えたなあって。
自分は、戦車評論家でもなんでもないから、どのくらいベコベコだったかなんてわからない。
だけど、戦車を作る材料もお金もない。
なのに、戦争しかけちゃった。
もう、やるしかなかった。
それだけだった。

特攻隊や、人間魚雷も、それの延長なのかもしれない。
あちこちから、それらに対して

「日本は好戦的だ!」

なんていわれちゃうけど、そうじゃないよ。
もう、そうするしか道がなかったんだよ。
みんな、わかってた。
人間が爆弾そのものになるなんて。
アホだよ。
考えられないよ。
でも、ないんだよ。
武器が、お金が、材料が。

じゃあ、戦争なんてやめちゃえばいいじゃん。
ああ、やめたかったろうよ。
だけど、時代、背景に伴う人間のサガは行くとこまで行かないと、とめられないんだ。

そんな思いをかかえながら、硫黄島をみていた。

誰もが、どうしようもない思いをかかえていた。
俺は一人だって戦うぞっていう奴も。
なにがなんでも、生きなきゃっていう奴も。
上官のいうことを聞けず、勝手に自決の道を決める奴も。

どうしようもないんだ。
そう、だから、彼らは間違っていなかった。
ああするしかできなかった。

上からの指示は下るけれど、それに対して自分の判断で行動のとれるもの。
そのものは、強いと思う。
極限状態で、どっちをとるか。
迷いながらも、震えながらも、それでも自分の判断にブレがなく、どっちかを選ぶ。
選んだが故の生死の分かれ目っていうのも、たぶんある。
だけど、自分で選んだ方を進んでいけるものは強い。

昨日は、元旦。
新年早々、モーレツに忙しかった本屋。
そんななかで、一人のおじいちゃんが訊いてきた。

「硫黄島の本は、ないんかい?」

「何冊かあるはずです。一緒に見てみましょう」

大混雑の店内で、こっちこっちって、おじいちゃんを呼ぶ。

「これ?」

「それは、いま買っただよ」

硫黄島の戦いの指揮官、栗林さんの本である。

「私も、買いました」

「・・・・・・・・」

おじいちゃん、しばし無言。

「俺は、生き残っただよ」

「・・・・・・・・・」

今度は、おいらが無言。

「いま、85になる」

「生きてください。ありがたいです。もっと、生きてください。わたしたちのために」

ふぉっふぉっふぉっ、おじいちゃん、笑いながら去る。

悲惨だったね、かわいそうだったね。
そんな言葉、お互いでなかった。
いま、私たちのできることは、忘れないことだ。

彼らの戦った意味はなんなんだろう。
上からの指示。
それだけじゃ、ないはずだ。
それだけでは、あんなところで戦えるか?

もっと、深いところに。
いや、もっと身近な想いを重ねながら。
彼らは、必死に戦っていた。

それを、私たちは絶対忘れちゃいけないんだ。

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2006/08/02

ハチミツとクローバー

Eiga4久しぶりに映画を観た。
本屋のレジ前で、ハチクロのコミックの展開をしている。
映画化されたからだ。
コミックには、まるで興味がわかない。
じゃあ、なんでこの映画を観に行ったのか。

PVだ。
その映像を観てたら、あれ?と思った。
レジの目の前にどんとテレビが置いてあって、そこでひっきりなしに、エンドレス・リピートで映画の予告編が流れている。
なんか見覚えのある風景だな。

「ネエさん、ムサ美っスよ!」

そうか、ハチクロの舞台は美術大学だ。
見覚えあって当然。
自分も4年間、通ってたもんな。

テレビのドラマでみるような恋愛モノには、全く興味が示せない。
役者が脚本のセリフを読んで、狭い舞台の中で、せせこましく動く。
リアルじゃない。
全然、リアルじゃない。
実に滑稽に見えて仕方ない。
結局、脚本の中でしか生きていない人物をなぞるようにしか演じてない。
それ以上の何かは溢れ出ていない。

しかし、ほんのわずかな時間の短いPVのなかで、人物が生きていた。
筆をふるう姿。
ノミをふるう姿。

映画の核心は、人が恋をする姿なのかもしれないが、それ以上に、恋以前に「何か」を生む人物のリアルな気迫が映像に滲み出ていた。
それが、この映画をみるきっかけ。

恋の話、それは物語としてみて追わなくても、現実としてある。
ある人が言っていた。

「結局は、片想いなんだ」

だから、必死になれるし、努力するし、がむしゃらになれるし、キラキラしてる。

「好きなんです」

「オレも」

それじゃあ、そこで、まず、ひとつ物語は終わってしまう。
だから、なに?である。
欲しいのは答えか?
答えじゃない。
がむしゃらになって動く自分の衝動か何かなんじゃないか?

答えは時として流動的になる。
しかし、自分の気持ちが不動だとしたら、揺らぐことはない。

ハチクロの登場人物は、それぞれに動き出した。
答えは得ていない。
だから力強く、不恰好でも、イキイキしてる。

モノを生む人間は、自己完結できるところがある。
他者を必要としていない。
それが顕著にあらわれているのが、彫刻家8年生の森田だ。

人を好きになるという気持ちよりも、むしろそれは興味として出る。
コイツは面白いぞ、コイツは凄いぞ。
何かある。

デートに誘って、食事をして、お話をして、それを重ねて・・・・
んな、行動も気持ちも微塵もない。
まず、自分がある。
そこに自分を必要とする人物が現れても、どうしたらいいかわからない。

じゃあ、どうするか。
自分だったら、こうするしかねえよ。
っていう、行動でしか示さない。
言葉じゃない。

私も、言葉じゃない。
いつもそうだ。
ぐちゃぐちゃいってんなら、動けよ。
行動で示せよ。
欲しいのは言葉じゃない。

森田は自分と重なる部分が多くて、素直に自分の力と共鳴した。
自分には正直なのに、真剣に他者が絡むと不器用になる。
どうしたらいいのか、わからない。
悩む前に動く。
言葉の裏づけとしての行動じゃなく、素のままに出る行動しかできない。
だから、動くしかない。

いま、自分があるのも動いた結果だ。
結果でしかない。
経過を語ったとこで、始まることはない。

不器用な自分を必要とする人物がいる。
それは自分の守るものだ。

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2005/11/15

BOYS DON'T CRY

eiga3何度もみることの出来ない映画。
でも、決して忘れちゃいけない映画。

映画館で一度みて、それ以来みることが出来ない。
映画館を出て、しばらくたってから、この映画は忘れないんだ、ずっと忘れないんだ、と思った。
そして、サントラを買った。

サントラを聴くたびに、心に留まる。
心に留めたくて、たまに聴く。

ひとつの性だけで生きられる人は、幸せだ。
どれだけの人が、純粋に、ひとつの性だけで生きてると感じているんだろう。
むしろ、それらの人たちは、そんなこと考えたことなんてないのかもしれない。
だから、単純に幸せなんだ。

自分の中には、見た目とは違う、もうひとつの性がいる。
二重人格というわけではない、分裂してるとも感じない。
だけど、いるんだ。
いつの頃からだろう。
強くなりたいと思い始めた頃からだろうか。
学校の同級生の男の子に好意ではなく、敵意や同士を感じるようになった頃からだろうか。
そして、彼らをみて、自分はもっと強くなれる、カッコよくなれると感じていた。

気持ちの揺れ動く10代の頃が過ぎても、いくら年を経ても、それは変わらない。
自分は病気なのか、と思ったこともない。
これが、自分なんだろうって。

この映画の主人公は性同一性障害だ。
彼(彼女)はとても魅力的だ。
美しくて逞しい。
それはふたつの性を同時に生きているからなんだと思う。

女性は魅了される。
彼の虜になる。
しかし、彼は小さな嘘を重ねていく。
それが、結果、彼自身の首を絞めていく。

彼は美しいと同時に強かった。
どうでもいいような田舎町で、キラキラ強いひかりを発する彼を、受け入れがたく感じる人間が徐々に現れてくる。
そして、悲劇につながってしまう。

強い者、強いひかりを発する者に対しての畏怖、嫉妬、おさまりどころのない怒り、剥き出しの欲望。
血生臭い感情だけが周囲に渦巻き、とどまることがなく、彼は殺される。
彼と、彼を愛した彼女は、最後までピュアだった。

自分として生きようとした。
嘘はついたけど、そんな嘘、彼にはどうでもよかった。
「自分」として生きたかった。
だから、とても強かった。

もう、みることのない映画。
でも、決して、忘れない。

それは、この中に自分自身がいるからだ。

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2005/06/16

モーリス

eiga2先日、何の気なしに『モーリス』を観た。
これは知る人ぞ知る、好きものにはたまらない映画として名高い。
あらすじは、美少年(美青年?)の耽美的同性愛映画。
そんなで、もっぱら女性からの人気が高い。
男から観ても「まあ、メロドラマやな」って感じなんで、お時間が腐るほどあったら観てみてもいいんじゃないでしょうか。

さて、画像で出ているのは主役モーリスのジェームズ・ウィルビー。
ん~、美少年っていうのかねえ。
愛嬌ある坊やというか、ガキがそのまんま大きくなっちゃって、もてあまし気味。
そんな感じで、「美」では、ちとない。
でも、自分は、この頃のジェームズ・ウィルビーのたたずまいというか、大柄な(繊細でない)動き、立ち振る舞いが好きである。
この後に出演した映画『サマーストーリー』も、あるがままに身勝手なんだけど、憎めない(でも、優柔不断やな)ガキみたいな青年役。

話しは飛んでしまうが、好きな映画で『リトル・ダンサー』というのがある。
廃業寸前の炭鉱町で暮らす男の子。
男は強くなきゃあ、いかんってことで、ボクシングを習わされるんだけど、ホントはバレエに興味がある。
踊りたい!踊りたい!
小さな身体から、ほとばしる踊りのエネルギーが観る者を熱くする・・・

まあ、そんな映画なんですが、この映画の主役の男の子が、このジェームズ・ウィルビーになんとなく似てるんですよね。
このまま素直に大きくなれば次代をになうジェームズか!と期待してたんですがね。
どうも、ダメでしたね。

さて、人を気に入る大きなポイントとして、自分の場合は「顔」なんですね。
映画の場合、演技だとか付加的なものは多々あるんだろうけど、やっぱ「顔」ですね。
見てるだけでも楽しくなってくる「顔」っていうのはあると思うんです。

現実でも、自分の好きな相手のどこが気に入ってるかって
「顔が好き」
聞かれなくとも、「顔が好き」と言い張ってる。
でも、その人からは煙たがられてるんですけどね。

さて、話は戻り、またジェームズさん。
映画の中で煙草を吸う場面があるんです。
顔のせいか常にガキっぽくみえるんですが、煙草を吸う場面だけは大人っぽくてイイですね。
自分は煙草を吸わないし、煙草を吸う人もあまり好きではないのですが、彼のその姿はカッコよかった。

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2005/03/06

ジュリー・デルピーが、いい

eiga1
昔のジュリー・デルピーは、あまり好きでなかった。
ワタシ、可愛いでしょ?ワタシ綺麗でしょ?と、ものすごくいわれてるような気がしたのだ。
その仕草、視線のやり方、喋り方、すべてに「ワタシお人形さんみたいでしょ」っていう甘ったるい空気をまとってふわりふわりしてるところが、どうしてもダメだった。

前回のブログでも書いた映画『ビフォア・サンセット』、この1作目にあたる『ビフォア・サンライズ』にも、もちろんジュリー・デルピーは出ていて、やはり好きになれなかった。

しかし、どうしたことか。映画同様、年を経てまた現れた彼女の姿の実に自然なことよ、美しいことよ。

あれ?こんなだったっけ?素直にそう思った。

さて、映画の中のジュリーの話を。
映画が始まり、最初に出てくるのは小説家になったイーサン・ホーク演じるジェシー。
彼の朗読会が終わる間際に姿を見せるジュリー・デルピー演じるセリーヌ。
登場したときは白の上着をはおっているんだけど、それがなんとも野暮せったい。
しかし、カフェに入ってから上着を脱ぐんだけど、きっと多くの人、特に男の人はハッとしたんじゃないかなあ。

そういうのは、実生活でもあると思う。
仲はいいんだけど恋人というわけではない女の子と出かけたとする。
別にファッションとか、よくわかんないし、外見は何の変哲もない黒いコートだったりするから、ふ~んなんだけど、それを脱いだとたん「おっ」ていう気持ちになることって。

セリーヌがまさにそうだったんですよ。
黒のコットンのキャミソール、可愛かった~。
「どう?ワタシ昔と変わった?」って聞く姿も可愛かったなあ。

変わった、変わった!昔より全然よくなった!

人は確かに歳をとる。
イーサン・ホークなんて、あなたどうしたのっていうくらい額に深いしわが寄ってるし、ジュリーも、かつてのプリプリ感はない。
でも、美しく歳を重ねることは不可能じゃないんだなって彼女を見て思った。

しなやかに生きる、美しい人。

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2005/02/27

Before Sunset

久々にストンと落ち着く映画をみたなという気がする。
『恋人までの距離』という映画をみてから9年後、主人公ジェシーとセリーヌの物語はまだ終わっていなかった。

旅先での出会いのきっかけ。
他愛ない会話の流れ。もどかしさ。
それが本質に向かっていく心地よい緊張感。
限られた時間。
そして、別れる前の約束。

自分自身が旅をするようになって、ジェシーとセリーヌの保ち続けた距離感がリアルに思えた。
そうそう、旅中はそうだよなって。
曖昧な、どうともとれる質問をあえてして、相手の反応をうかがったり。
触れたいのに、ものすごく触れることをためらったり。

しかし、たとえ短時間でも、何か強く感じるのか一気に意気投合して「オレたち恋人!」っていう方々も確かにいらっしゃいますね。
旅中、そんなカップルに出会うことも間々あり。
が、そんな方々にはもどかしくてしょーがない映画かもしれませんね。
だって、ひたすら歩きながら喋ってるだけですからね、この映画。
「何やってんの!あの二人!!」って怒りの声が飛びそうだ。

でも、やはり自分はジェシーでありセリーヌなんでしょうね。
彼ら二人の時間の過ごし方であるとか、縮めたくてもなかなか縮められない互いの距離感を難しい会話や質問にすりかえたり、わざと思ってもいないことを答えたりしてしまう姿に共感をおぼえるんですよ。

彼ら二人と同様、旅先では約束を交わすことがあります。
「また、会おう」って。
だけど、なぜかその一言が、なかなか言い出せなくて結局そのまま別れてしまうことがあるんです。
言えなかったことにものすごく後悔したりするけど、心のどこかでは「いつか、きっとまた会える」って思えるもんなんですよね。
そして、実際に会えたりするんですよ。
映画と一緒!

旅をしてて少しでもこんな気持ちになったことのある人なら、この映画の二人をみながら、いつしか旅してた頃の自分とあの人の姿が重なってみえてくるんじゃないかなあ。

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2004/12/18

マシュー・モディンを久々に

うちにはいまだにDVDがないので、昔とりためた画像の悪くなったビデオの映画をみる。
大好きで何度もみてるものは画面に、特に肝心な字幕の辺りに白い線が入ってしまってて、少し悲しい。
でも、セリフも内容もほとんど覚えてしまってて、字幕なんて読む必要ないのに、でも、やっぱり悲しい。
それが、ワタクシ中学の頃のアイドル、マイケル・J・フォックスの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。
ホントに大好きで時間みつけてはみてましたねえ。(そりゃ、線も入るわ)
彼のあと、そう中学の終わりごろ、「メンフィス・ベル」をみて、マシュー・モディンに熱をあげました。
自分の周りの友人はみんなエリック・ストルツで、ひとり頑なに「マシュぅー!」って言ってました。

マシュー、いい俳優なんですがねえ、この「メンフィス・ベル」以降は、どうもパッとしない感じです。
それに引き換え、80年代、彼の出てる映画は地味なものが多いんですが、いい作品が多い。
先日、ちらっと出てきた「バーディ」、これはマシューの最高傑作です。
さて、「バーディ」もいいけど、もうちょっとかる~い気持ちでみられるものがいいな。
そこで選ばれたのが「愛されちゃって、マフィア」。(簡単なあらすじは、こちらで確認できます)
なんだ、そのタイトルはぁー!チープやなー。
確かにストーリーもかなり荒唐無稽で、ドタバタしてるんですが、それはそれで面白い。
80年代の映画は良きにつけ悪しきにつけ、ちゃんと完結させるのが上手いなあと、つくづく思う。
この映画、マシュー以外の俳優はみんな曲者ぞろいでアクが強いんですが(監督がジョナサン・デミだからか?)、そんな中でのマシューの存在たるや!
素直でまっすぐでウソがつけなくて頑な、図体は人一倍でっかいけど、ピュアさでキラキラしてる。

自分の過去から逃げられなくて、やりきれない気持ちにさいなまれるミシェル・ファイファー演じるアンジェラ(マフィアの夫が殺され、息子と二人で頑張ろうとしてる)をなぐさめるマシュー。
ベッドで横になる彼女の隣りになんの断りもなく、図々しく「よっこらしょ」って感じであがってくるマシューの、そのイヤラシさのないことよ!!
(エリック・ストルツ主演の「恋しくて」のワッツと二人でベッドでごろんってするシーンに匹敵する。いや、それ以上かも)
わかりきってるシーンというか展開なだけに、思惑どうりに進んでもそりゃいいんだけど、やっぱりそれじゃつまんない。
そんなシーンを上手くこなせるのが、マシューではないかと思ってます。

ん~。マシュー、いい。

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2004/12/16

「バーディ」という映画

旅中、ネパールでたまたまバスで乗り合わせた人と、夕飯をともにしたときのこと。
話しの話題が映画になった。
「いちばん、好きな映画なに?」って聞かれたので迷うことなく、考える間もなく
「バーディ」、とこたえた。
その人は「ふ~ん、あれね」といった。

一瞬で、わかった。
あ、この人、知らないんだろうな。
なのに、なんで知ってるふりするんだろ。
気に食わなかった。

今まで生きてきて、「バーディ」を知ってる人、まして「いい」という人になんて会ったためしがない。

話しは元に戻るけど、向こうから質問してきたくせに、まるで何も聞かなかったかのように次の話題にするなんて。
そんな人が、知ってるとは思えない。

「バーディ」は、ふ~ん、あれねっていえるような映画じゃないんだ。

旅をしてると、いろんな人と会う。
トルコの、ある宿にて。
しばらく一緒に滞在してた人との、ある晩の会話の中に、「ホテル・ニューハンプシャー」という映画の名が。
「知ってんの?」
「知ってるよ、みたことあるもん」
この人の「知ってる」は、一瞬でウソじゃないっていうことが、わかった。

そして、この人に恋をした。

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2004/12/06

踊るスパイダーまん

spider.gif
かわゆい。
踊ってますよ、スパイダーまん。
midoroさんのトコにあって一目惚れ。

でも、これって著作権とかあるんだろうなあ。
わかんないのに、勝手にもってきてしまった。
わかる方、ご本人様、見つけてくださった際にはご一報くださいませ。

それにしても、ぷりんぷりん踊ってるなあ。
大好き。

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2004/11/30

『恋の門』-ひと皮むけたよ、龍平くん!

先日、映画『恋の門』をみました。

映画は大好きなのに、なぜかブログでは映画について触れたことないですね。
音楽「10cc」のところで、かる~く『ヴァージン・スーサイズ』について書いたことがあるのみです。
なんでだろう。音楽や本は「よいです、オススメです」って短い文章でいえるのに、映画は思いというか思考が多岐に分かれてしまうような気がするからかなあ。

まあ、なにはともあれ『恋の門』。
みる前は抵抗ありました。
予告編だけはみていたんだけど、この段階で「あ~、龍平くん出てるんだ、気になるけど、この映画はみれないだろう」って思った映画でした。
「みない」じゃなくて「みれない」んです。
一文字多いか少ないかだけど、その差は限りなくデカイこと、わかっていただけるでしょうか。

まず、この映画の核である「漫画」、これにとんと興味がないこと。
(1年に1回、買うか買わないか程度、今年は『よりぬき・あさりちゃん上下巻』買いました、ぐらい)
世間で騒がれている『松尾スズキ氏』のことを全く、わからない。
『酒井若菜』であるとか、そーいったアイドルが好きでない、むしろ嫌い。というか知らない。

こんな自分が果たして、この映画をみられるんだろうか。

それが、みられるんです。

むしろ、面白い!
これが言いたくて、こうしてブログに記事を書く運びと相成りました。

自分の書くブログではいまだかつてないほどの長文ブログになってることは百も承知です。
もう、ここらで読むのをやめてくださっても、なんら差し支えありません。
これ以降は、多分みた人じゃなきゃ分からない記述が増えてくることと思いますので。

まず、めでたいのが、ひと皮むけた龍平くんの存在です。
今までは確かに、その大きな存在感でスクリーンに居ましたが、このままではその雰囲気だけでもっていってしまうムード俳優(なんじゃそりゃ)になるおそれが無きにしもあらずでした。
素なのか演技なのかわからん、ぎこちないセリフまわし&演技は、あどけない年頃(あるいはデビューしたて)ならよしとなるも年を重ねたら厳しいでしょう。
だからこそ、今回ここまで壊れた龍平くんをみられたことは、ファンの1人として嬉しいのです。
(明らかに重そうに見えない「石」を全身にまとってるシーンとかね)

あと、脇役の豪華さ。
監督である松尾スズキ氏の凄さに、脇を固める各人の凄みが倍増され、脇役が脇役であらず。

「ちょっとー、オニイサン、怖いから離れて考えてくんない?」
って言うイメクラ店長役の三池監督、アンタも充分に怖いですって。

「こーいう客って困るのよねえ」って、でも商売だしいって迷惑そうに並んで立つ、旅館主人と女将役の庵野監督と安野モヨコご夫妻。
こーいうちょい役を、普通に役者が演じると野暮で、かえってなんの印象も残らないのに、このお2人は秀逸。

意味がありそうでなさそうな、でもやっぱり意味あるんじゃない?のセリフ。
音楽の使い方。
オープニングに「エイジアン・ダブ・ファウンデーション」
こういう音楽ってインパクトあるから、使いたいって思う人も多いのかもしれないけど、逆に強すぎて負けちゃうって考えてやめる人のほうが多いのかもしれないところ、あえて使う。
そして、使って負けない。
これからハシル助走にぴったりなんですよ。
まさに「恋はバトル」ですから。
こんな恋のバトルに身体ごと、ぼよ~んとぶつかってきてくれるのがヒロイン役の酒井若菜はん。
この映画に「恋のエロス」が加わらなければ、やはり通り一遍な恋愛ドラマに成り下がってたのかもしれない。
恋はキレイごとだけじゃ成立しないのよ、でも夢見る気持ちも捨てられない、だけど王道で来られると何か違和感があるの!
悩んで、トキメイテ、そして、ぼよよ~んな若菜嬢に拍手。

とにかく次から次と現れる要素をひとつにまとめ、そして重要な役どころを演じながらも決して出過ぎないアナタ!
松尾さん!アナタすごいわよ!

こんな恋の話、恋の門、イケてます。

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