あの時代、あの状況、あの背景。
そんななかで、誰も間違っていなかった。
そう思う。
大本営であるとか、見えない立場から、あーだこーだ指示出してる人間は、さておき。
あの場で、戦わざるを得ない状況になってしまった、全ての人たちに。
偉い人も、したっぱの人も。
日本人もアメリカ人も。
敵も味方も関係なく。
ああするしかなかった。
そう思う。
太平洋戦争は、どう考えたって、負け戦である。
それをわかっていた人は、たくさんいる。
でも、とめられなかった。
わからんで、暴走してるんなら、ひょっとしたらいいのかもしれない。
やってみて、ダメだったねえ。
降伏しようって。
だけど、勝てる見込みは皆無に等しいのに、戦わなければならない。
そんな矛盾だらけの戦いに身を投じなければならない。
どう見たって、どうひっくり返ったって、物量が違うのだ。
米軍と日本軍とでは。
圧倒的な力の差がある中で、同じ地平に立って戦えって。
どう戦えっちゅうねん。
専門家から言わせると、当時の日本の戦車なんて、ベコベコだったらしい。
こんなもんに乗って、よく戦えたなあって。
自分は、戦車評論家でもなんでもないから、どのくらいベコベコだったかなんてわからない。
だけど、戦車を作る材料もお金もない。
なのに、戦争しかけちゃった。
もう、やるしかなかった。
それだけだった。
特攻隊や、人間魚雷も、それの延長なのかもしれない。
あちこちから、それらに対して
「日本は好戦的だ!」
なんていわれちゃうけど、そうじゃないよ。
もう、そうするしか道がなかったんだよ。
みんな、わかってた。
人間が爆弾そのものになるなんて。
アホだよ。
考えられないよ。
でも、ないんだよ。
武器が、お金が、材料が。
じゃあ、戦争なんてやめちゃえばいいじゃん。
ああ、やめたかったろうよ。
だけど、時代、背景に伴う人間のサガは行くとこまで行かないと、とめられないんだ。
そんな思いをかかえながら、硫黄島をみていた。
誰もが、どうしようもない思いをかかえていた。
俺は一人だって戦うぞっていう奴も。
なにがなんでも、生きなきゃっていう奴も。
上官のいうことを聞けず、勝手に自決の道を決める奴も。
どうしようもないんだ。
そう、だから、彼らは間違っていなかった。
ああするしかできなかった。
上からの指示は下るけれど、それに対して自分の判断で行動のとれるもの。
そのものは、強いと思う。
極限状態で、どっちをとるか。
迷いながらも、震えながらも、それでも自分の判断にブレがなく、どっちかを選ぶ。
選んだが故の生死の分かれ目っていうのも、たぶんある。
だけど、自分で選んだ方を進んでいけるものは強い。
昨日は、元旦。
新年早々、モーレツに忙しかった本屋。
そんななかで、一人のおじいちゃんが訊いてきた。
「硫黄島の本は、ないんかい?」
「何冊かあるはずです。一緒に見てみましょう」
大混雑の店内で、こっちこっちって、おじいちゃんを呼ぶ。
「これ?」
「それは、いま買っただよ」
硫黄島の戦いの指揮官、栗林さんの本である。
「私も、買いました」
「・・・・・・・・」
おじいちゃん、しばし無言。
「俺は、生き残っただよ」
「・・・・・・・・・」
今度は、おいらが無言。
「いま、85になる」
「生きてください。ありがたいです。もっと、生きてください。わたしたちのために」
ふぉっふぉっふぉっ、おじいちゃん、笑いながら去る。
悲惨だったね、かわいそうだったね。
そんな言葉、お互いでなかった。
いま、私たちのできることは、忘れないことだ。
彼らの戦った意味はなんなんだろう。
上からの指示。
それだけじゃ、ないはずだ。
それだけでは、あんなところで戦えるか?
もっと、深いところに。
いや、もっと身近な想いを重ねながら。
彼らは、必死に戦っていた。
それを、私たちは絶対忘れちゃいけないんだ。