またも引越し
先日立ち上げたばかりの、新ブログ『アズヲ製作所』。
どうも、使い勝手の悪いもんで作ってしまったということで、早々に引越しを。
いったい、なにやってんだか。
申し訳ございませんが、新生『アズヲ製作所』、こちらからどうぞ。
テンプレート、かわゆくなった。←んなこと、どうだっていいか。
| 固定リンク
先日立ち上げたばかりの、新ブログ『アズヲ製作所』。
どうも、使い勝手の悪いもんで作ってしまったということで、早々に引越しを。
いったい、なにやってんだか。
申し訳ございませんが、新生『アズヲ製作所』、こちらからどうぞ。
テンプレート、かわゆくなった。←んなこと、どうだっていいか。
| 固定リンク
という名の。
日々、忙しいっていうのに、新たなブログを立ち上げてしまいました。
いったい、どうしたいっていうんでしょう。
まあ、実は以前から、このブログ、記事が多岐に渡りすぎてるなと思ってはいたんです。
このブログ、本来はガクブチのサイトを作ったのをきっかけに、ガクブチ宣伝のためのものだったんです。
でも、なぜかタイトルは「アズヲ書店」やし、ガクブチと関係ないことばかりで、ここにきて「リフォーム」ネタまで登場。
こら、収拾つかなくなってきたぞってことで、「リフォームと村暮らし、これからのガクブチ」に特化したブログを作ることに。
これで、ちっとは整理つくかな、と。
ちなみに、新しいブログ『アズヲ製作所』では、コメント欄とトラックバックも復活させました。
こっちも復活させたいんですが、ますますワケわからなくなるんで。
片方だけにしておきます。
| 固定リンク

えらいことになってます。
玄関・台所・勝手口だった所の床と壁をはがし、土間空間にするべく解体。
おじいちゃんが化粧板として貼っていためれめれの薄いベニヤ板をはがすと、煤でいぶされた渋黒茶色の板が出てくる。
かつては、こんな色だったのね。
しみぢみ。
このおうち、建て増し、改造は繰り返されているけれど、どうやら築70年は経っているんじゃないか、とのこと。
がんばってるねえ。
今回、手をいれ、さらにがんばっていただきます。
いままで、テレビや本で解体は見ていたけど、実際にやると見るでは大違い。
尋常じゃない埃と、腐って崩れる廃材に辟易。
途中、上から剥ぎ落とした板が消火器に激突。
「煙りあがってる!煙りあがってる!」
ひゃー、何事よ。
給湯のパイプが破裂したのかと思って、あわてる。
「いや、違う。消火器」
ぶち当てた先輩本人が答えるも、
「タクラ、危ねーぞ!消火器破裂するぞ」
先輩タクラさんの友人、大工のワイマツさんが叫ぶ。
ひゃー、破裂破裂。
「とりあえず、外出るぞ!」
もー、なんなのよ。
解体じゃないんかい。
こわいじゃないの。
一同、外出て見守る。
もくもくもく。
いっぱい粉出てきますねえ。
「・・・・」
あれ?シーンとしちゃった。
どしちゃったんだろ。
近寄る二人。
「あぶないあぶない。破裂する破裂する」
騒ぐ、アズヲ。
「なーんだ。もともとピンが抜けてたみたい」
古い消火器だと底が抜けてまさに破裂!
だけど、この消火器は古くもなく、ただ、おじいちゃんがなぜかピンを抜いてしまったようで。
んもー、おじいちゃーん!
びびるやないかー。
ま、そんなこともありましたが、無事解体作業も終わり、明日はここにコンクリートを流します。
| 固定リンク
おじいちゃんハウス→アズヲ・ハウス
いま、必死にリフォームしている家には、おじいちゃんが暮らしていた。
私は、そのおじいちゃんがどんな人だったのかは知らない。
空き家を探しているとき、この家ではない別の家を見る予定で来ていたとき、突然、この家が現れた。
ここに住んでいたおじいちゃんが、昨日亡くなったというのだ。
亡くなる前までの3年間、おじいちゃんはホーム(施設)で暮らしていたので、家はしばらく空き家状態だったため、多少荒れてはいた。
でも、きっと大切に住まわれていたんだろう。
古い家なので修復箇所はたくさんあるけど、丁寧に暮らしていたんだろうな、そんな気持ちが伝わってくる。
だからこそ、それを受け継ぐかたちで、おじいちゃんハウスを再生したいのだ。
おそらく、ゼロから建ててしまったほうが簡単で勝手のいい家になるのかもしれない。
だけど、残したい。
残し、そこで暮らし、ガクブチを作る。
まず、ここでの私の仕事は、おじいちゃんハウスの再生。
おじいちゃん、見ててや。
やるからね。
| 固定リンク

剥離に、3日。
塗装に、1日。
トタン屋根の塗装完了。
塗装した翌日に雨が降ったけれど、ま、ちゃんとしてる。
塗装作業は、先輩の友人が手伝ってくださったのもあり、ホントにはかどった。
ありがたいです。
屋根にあがってしまうと、たとえ相手がトラブっていても手を貸すことはできない。
自分自身も必死だからだ。
なもんで、何かあっても一人で対処しなきゃならんのはわかっていても、誰かいる。
一緒に作業してるというのは、心強い。
やれることは自分で。
もちろんそうだが、人様の存在というのは、ホントにありがたい。
つくづく感じた屋根の上。
| 固定リンク

非常に不自然です。
屋根ペンキ剥離作業2日目。
軍手と中途半端な長さの長袖の狭間で、日焼ける。
左手はもちろん、時計焼け。
究極のインドアーにとって、直射日光もろ浴びの作業はとてつもなくしんどい。
アタマ痛くなったんで、今日は早々に切り上げる。
明後日、ペンキ塗り。
それまでに剥離完了させねば。
地味な闘いは続く。
| 固定リンク

いよいよです。
というか、思い立ったら吉日。
いきなり、屋根です。
リフォーム開始。
みんなでドヤドヤあがったら屋根落ちちゃうから、アズヲさん一人でやったらいいよ。
ということで、黙々と、ひたすらスクレーパーでいま塗られてるベロベロの状態のペンキを剥がす。
屋根の勾配が想像以上にきつく、自分が滑り落ちてるのがわかる。
「アズヲ、危ないよ」
と言われ、明日は安全紐しめてやることに。
| 固定リンク
桜が美しく咲きほこってます。
同じ長野県内といえど、場所により開花はまちまちだ。
ここ中川村より北に位置する佐久は、まだだろう。
あたらしい地での生活も、ぼちぼち慣れてきた感じ。
ただ、いまの住まいは間借り。
もっと、どっしりくるのはまだちょっと先の話。
間借りさせてもらっているところは、ある会社の寮で、中国の女の子二人と同居している。
彼女達の生活リズムと自分とでは違うので、一緒に何かすることはない。
彼女達の留守中に、共同で使う台所だ風呂だ猛烈に掃除してるんで(たのしい)、なんだか彼女達の方が気を遣ってくれる。
勝手にやっちまって、すみません。
でも、いま、何が楽しいかって、「家事」が楽しい。
先輩の工房でガクブチを作るにはワタクシの準備が整っていないし、毎日ぷらぷら出歩くほどアクティブでもないんで、そうなると、日々のこもごもが楽しくなってくる。
明日は何やろうかな。
って考えるんだけど、結局、身の回りのことが終わると先輩の工房にちょこんと居座っている。
必ず毎日、新しい人にお会いできる。
いろいろお話して、そんなこんなで時間はあっという間に過ぎていく。
さて、風呂に入ろう。
生活も慎ましく、規則正しい。
| 固定リンク
あたらしい生活が始まりました。
中川村、3日目。
今日は買い物に行こうと、ホームセンターの場所を先輩から聞き、いざ出発。
ヘボ吉くんの二代目、ぬぅあんと、新車だぜ。
銀平號。
略して、ぎんぺい号。
さらに略して、ぎんちゃん。←色がね、銀色なのよ、ただそれだけ
走って間もなく、トラックとすれ違いざま。
ガンっ!
めし。
うおー、なんか飛んできた。
ひゃー、フロントガラスに小石が激打。
「めし」というのは、小石がガラスにめり込んだ音。
ぴゃー!ぴゃー!ぴゃー!
どしよ、どしよ。
トラックは、そらどんどん走り去っちまうわ。
ぎんちゃんもぎんちゃんで、トラックとは反対方向に激走してるわけで。
アタマでは、いろいろ考えるんです。
あのトラック砂利、積載してやがった。
それが、こぼれ落ちてヒット!
って、あんた、どんだけのヒット率やねーん!
びびるやないかー!
相当、びびったでー。
でも、これ修理だよねえ。
当てたトラックね、どっか行っちゃったねえ。
そら、行くねえ。
そうだね、ひとまず買い物行こう。
で、買い物。
戻ると、んがーっ!
ぎんちゃん、あんた待ってる間、なにしてくれてんねん。
陥没だったヒビに、長い亀裂が走っとるやないかー!
ぎんちゃん、困るでしょー。どうするの、もー。
どうにもならんでしょう。
さっそく、修理ですわ。
「こめかみに当たらなくてよかったね」
と先輩。
そうだね、即死だね。
まだ死ねないなあ。
| 固定リンク
いよいよ、出発でございます。
明日、4月1日。吉日。
日も良いので、急遽、この日に行くことが決定。
いつでもいいからといって、いつでもいつでも、なんていってると、いつ行くんじゃいということになるんで。
荷物もほぼ積み終わり、あとはこのブログを書いたらパソコンも回線からはずし、部屋を片付けて終了。
学校が終わってしばらく後の空虚感とは違う、なんだろこれやっぱ寂しいのかな?
そんな空気につつまれてます。
先ほど、ここ長野、佐久での仕事場だった本屋にも挨拶に行ってきた。
学校に行っている1年間は、佐久に戻ってきていても1回も顔を出さなかった。
きっと、いつでも行けるやって思ってたから。
でも、明日、ここを離れると、果て、いつ戻ってくるんやろ?
ならば、行っておかねば。
そう思ったのだ。
お世話になったところだからね。
このブログの名だって、本屋で働いてたからこその名だし、いま、本屋じゃないのに、「アズヲ書店」。
それだけ愛着があったんです。
あちこち寄り道して、まわり道して、やっと、ここまで来た。
脱線してるようで、でも、みんな、今につながってるんだわ。
本屋で、お世話になった方々とお話ししながら、しみぢみした。
明日、ヘボ吉くんの二代目と一緒に新天地に向う。
初の遠距離運転。(ダイジョブか、暴走しそうだぞ)
初のひとり暮らし。
だっていうのに、いきなり空き家リフォーム。
ハードル高いねえ。
ま、頑張るしかないでしょう。
あれもこれも、自分で選んだ道やし。
いくしかないでしょう。
| 固定リンク
ある期間をおいて、ふと、興味が甦るのが「廃墟」。
無類の廃墟マニアというわけではないので、常にではない。
そんな自分が久々に、そそられる廃墟。
「軍艦島」
名からして、廃墟たる堂々とした佇まいを感じずにはおれん。
廃墟好きは今に始まったことではない。
むしろ、ベーシックな部分で深く関わりがあるというか、廃墟的なところが自分の遊び場だった。
生まれ育った横浜は、整備されず手付かずの土地や建物がぽつぽつと残っていた地域だった。
東京のような過密さもなく、かといって郊外ほどの空間もなく。
でも、子供ひとりに与えられる空間は充分だったような気がする。
街は未来に向けて日々動いているのだが、それと同時に忘れ去られたがごとく手付かずの荒地が点在していて、それが魅力で子供の時分は、そんな荒地で不自由なく遊んでいた。
しかし、そんな荒地も年月の経過で徐々に整備されると、そこはえらい無機質で平坦なたんなる公園になんぞなり果て、幼い頃のワクワクは潰されてしまった。
廃墟の魅力は、こんな過去の記憶をとどめてる場所で、もちろん自分には無縁の場所であっても、真髄でつながってるような気がしてならないのだ。
廃墟というと、心霊スポットなんて言われて好奇な目で見られがちだが、そもそもは普通に機能していた建物であったり土地。
なわけで、当然そこには形跡がある。
人が暮らしていた跡、人が働いていた跡。
なんらかの原因で、崩壊した跡。(自然風化でなしに、戦争の負の遺産)
そんな形跡に、自分の過去をあてはめる。
実に懐古趣味的ではある。
が、きっと、無くなったものに対する敬慕の念なのかもしれない。
「ある」ものだけに目を奪われて生きてるような人からすれば、廃墟は「無」だ。
でも、自分のような「無」になんらかの意味を感じずにはおれん人からすると、廃墟は「ある」のだ。
「ある」の塊り。
軍艦島かあ。
行ってみたいなあ。
と思ったら、あら、やだ。
ツアーなんぞ出ちょるに。
おまけに世界遺産登録に向けて頑張ってるんじゃない。
そんなことしたら、観光客で溢れてしまうやないか。
そうなる前に、行っておきたいところ。
でも、遠い。
長崎だって。
| 固定リンク
くだらないことで、どうだっていいんです。こんなこと。
でも、書きたい。
先日、久々に髪を切りにいったら、またもアタマが栗坊になってしまった。
中途半端に「切ってください」と頼むと、こうはならない。
が、しかし、「いっぱい切ってください」と頼むと、なぜか栗坊になる。
30を越え、いいのか、栗坊で。
と思うが、なっちまったもんは仕方ない。
大人、いやいや中年に向っていく歳で、このアタマはないやろ。
とも思うのだが。
髪を極端に短く切れるような気持ちになったのは、8年前のインドからだ。
それまでは思い込みか、なんなのか、なんとなく長いほうがいいのかもしれない。
ということで、意味もなく長かった。
インドを契機に切ることに抵抗がなくなり、その結果が、まあ栗坊なんだが(それもどうだか)、短いアタマの自分と長いアタマの自分は、当たり前だが雰囲気が違う。
どうやら、その雰囲気の違いが、本人ひとり勝手に楽しいらしい。
鏡の前に立つ時間も増える。(←アホ)
また数ヶ月たつと、無造作にただ伸びただけの長いアタマになるのだが、これが中途半端ゆえに、けだるいのだ。
無秩序ゆえに、意図も感じられない。
そんなアタマが自分は好きで、そうだな、学校にもそんな奴らいっぱいいたな。
って。
どうでもよくなってるアタマというのは、まあ人によりけりなんですが、魅力的でもあるんです。
| 固定リンク
ここにきて、やたらまめにブログる。
のには、わけがある。
またも、パソコンのない生活が始まるのだ。
あと数日で、いま使ってるこのパソコンのネット環境も解約。
新天地で、リフォームが終わって、それなりに生活が回るようになって、それからだと思う。
ネット環境が整うのは。
そんなで、学校は終わっても、まだ不動。
ガクブチのサイトも、ブログも。
学校で作ったガクブチやら、ひょうたん坊ややら、いろいろアップしたいけど、それもしばらく無理。
ブログ、いつになったら、コメント欄生き返るの?
と訊かれるも、まだ無理。
ブログは、また携帯からの投稿になるので、これはしんどいので、また、まれになりそう。
でも、せっかくのリフォームやし、こんなことになってますと、投稿したいもんだが、果たしてそこまで気力体力まわるか。
必死そうなのよ、リフォーム。
というわけで、なかなか動き出さないネット関連ですが、本人は動いてますんで。
変な方に行かなきゃいいけど。
| 固定リンク
いまは、暇なんです。
いまは。
4月から、ようやく動き出すわけなんですが、いきなりガクブチではなく、いきなりリフォーム。
古い家を改装して住むっていうのは昔からの夢で、でも、それはあまりに漠然としていたものなのに、ここにきて急に現実のものになると、なんかかえって現実味わかねえな、みたいな。
だけど、とても楽しみ。
これから暮らす村は賃貸のアパートがなく、さてどうしようか。
となったときに、この案しかなかったのだ。
憧れとか、理想のうんちゃらとかいってる場合ではない。
とにかく暮らす場を確保しなくては、ガクブチ作るも何も始まらない。
予定では、1~2ヶ月でなんとか暮らせるように。
といっても、自分では何をどうしていいやら。
「まず、コンクリで固めてー、ここは床はり直してー。
そっくりここは作り直した方が早そうだ。
窓つければ明るくなるし」
着々とあたまにリフォームの構想を練っているのは、これからお世話になる技専の先輩。
「ガクブチ作りたい!ガクブチ作りたい!」
と大騒ぎしていた自分に、技専の先生が紹介してくださったかたなのだ。
もちろん、額縁を作っているかたなのだが、それだけでなく内装も手がける。
額縁同様、作り手の世界観がきちんと息づいた内装は、中途半端に当てはめた不要なものがなく、実にまとまりがある。
どっしりとした落ち着きと、自然の風合いと、でも、土臭くなりすぎず、洗練された空間。
それらは、繊細な心持ちがあらわれた魅力溢れるものなのだ。
ここで学びたい。
吸収したい。
何度か、その人のもとに通い、語り、結果としては学ばせていただくことになった。
師匠と弟子というわけでなく、かといって雇われるかたちでもなく、先生と生徒というでもない。
あくまでも、先輩であり、自分は後輩なのだ。
先輩は
「アズヲさんだよー」
と、いろいろな人に紹介してくれる。
そう、なにがしという肩書きを持ってではなく、一個人として、「アズヲ」として。
非常にありがたい。
そんな先輩の号令でリフォームが始まる。
自分は周りであたふたしてるだけだろうけど、地味にチコマカよく働く。
大丈夫?っていわれるようなトコにも、へーきへーきって、ずんずん入っていく。
技術はなくとも、そこはとことん労働でカバーする。
リフォームが終わったあかつきには、いろいろな人が自然と出入りできるような風通しの良い空間にしたいなと思う。
来たい人が来て、そこが来やすい空間であれと。
これからお世話になる人たち。
いままでの仲間たち。
旅の仲間、技専の仲間。
みんなにとって、居心地の好い空間になれば本望。
とりあえず、済んだら声かけます。
って、でも、一体どこまで声かけたらいいものやら。
まあ、寒くなる前に来ていただけるよう頑張りますから。
| 固定リンク
なんやかんや、さらば続きの日々。
寂しいじゃないか。
こんちくしょーめ。
今日は、我が愛車ヘボ吉くんとの別れ。
ここ長野に来て、ワタクシの足となり、ボデーとなり、ワタクシを守ってくれた大切な車。
いやー、それにしてもヘボかった。
ゆえに愛着もわく。
オートマなのに、エンスト。
交差点でいきなり、エンジン止まってるし。
ギアRに入ってるでしょ。
なんでバックしないの、コラ。
お互いのコミュニケーション、全く図れず。
ゆえにかわゆい。
こんなヘボ吉くんとのお付き合いは約6年。
もっと長く続くだろうと思っていたし、もっとずっと「ヘボいー!」っていいながら乗り続けたかった。ワタクシが。
でも、学校行ってる間に車検がきれ、そうすりゃ乗ることも不可能になり、必然的にいたむ一方。
で、いたんでいた。
これからの新天地での生活を考えると、果たして、こんな車で大丈夫なのか?と。
自分で薪運んだり、道具や材料や荷物運んだり。
4月、向こうに移ってまずすることは、ガクブチではなく住む家のリフォーム。
そんなこれからのことを考えて、結局、ヘボ吉くんは手放さざる状況になってしまったけど、やはり離れるのは寂しいのだ。
朝、起きてから、てけてけとヘボ吉くんの前へ。
相変わらず、ぼや~っと突っ立ってる感じのヘボ吉くん。
で、ちょこんとしてる。
決して、かっこよくはない。
でも、これがワタクシの愛車だったのだ。
素晴らしい車だった。
久しぶりに、運転席にかけてみる。
ん~、コンパクト。
無駄がない。
この空間の狭さ。
たまらんねえ。
次に自分の元にくるのは、ワンボックス。
荷物を積むという条件で選んだから、それで仕方ない。
なもんで、小さくはない。
ヘボ吉くんのような、コンパクトさには欠ける。
お写真を撮る。
記念に何枚か。
そして、さわる。
6年間、ご苦労様でした。
ありがとう、ヘボ吉くん。
さらばじゃ。
ん~、さらば続き。
正直、しんどい。
| 固定リンク
耳を澄ます。
眼を凝らす。
触れられないものとのわずかな空間に、微なる振動。
あたたかな緊張。
聞こえない言葉。
自分のなかに生まれる言葉。
美術館に出かけた。
人の体温を感じる。
人の作り出すものに。
どんなものであっても、それらには、体温が。
自分のなかから生まれるものにも、体温が。
あるといいな。
と思った。
| 固定リンク

あけましておめでとうございます。
去年2008年、何が自分にとって大きかったかって、「朝型人間」に切り替われたことじゃなかろうか。
こんなん、大したことないじゃないって普通の人は思うかもしれない。
でも、旅の頃から数えれば、約7年。
なんの疑問も抱かないまま、ずんずんと夜型生活が進行してたわけで。
世間では、強制的に「朝型」に切り替えろみたいな風潮があり、かあちゃんからは、怠け病だとなじられ。
それでも、とりたてて、朝に切り替えなくてもなんの不便もないと感じていたがために、7年も続いていた。
ただ、なんとなく朝型が良いみたい。
じゃあ、かえてみるか。
そんな甘っちょろい程度では、かえられないということは、実は知っていたのだ。
というのも、ガクブチを作り出すようになって、生活が二重になった頃から、「時間が足りんかも」
と、うすうす感じ始め、その原因が、朝いつまでも寝てるってことに気付き、たまに普通の時間に起きてみても、
「くぉらー、くたびれっぞー」
ってことで、ちっとも続かなかったのだ。
純粋に時間を確保したいがために、朝型に切り替えようかなんて考えていても、結局、それは考え止まり。
これは、本格的に、外部の力でもって、自分ではどうしようもできない状態に、自分の身を置かない限り無理やろう、と。
で、それが、たまたま、技専という学校だったというわけ。
木の勉強ができた。
技術が学べる。
云々以前に、長い間抜け出せなかった生活が切り替わったこと。
実は、これが大きかったのだ。
この1年。
この生活の1年がなかったら、おそらく生活も今まで通りで、「時間が足らんなあ」と言い続けてたのかもしれない。
お金や機会っていうのは、それぞれに与えられる量は違うけど、時間っていうのは、誰もかれも皆に平等。
そんな平等なもんを、びゃあびゃあ、無駄に垂れ流していては、こらーもったいない。
ということを実感し、2009年に繋げることができた。
いまだに金銭感覚は危うくて、それで自営大丈夫なの!?
って心配されてっけど。
時間感覚は、やっとこ、人並みになれた。
気がする。
この時間感覚。
自分にとっては、非常にありがたい財産。
失くさないよう、手放さないよう、大事に持っていたいなと思う。
さて、年末年始、学校が始まったらすぐ着手できるよう、ガクブチの図案を考えている。
去年、二学期終了間際の学校で、
「なに、この板」
「ガクブチ作ってんの
」
「なんで、こんなでかい板作ってんの」
「ガクブチ
」
2月の大阪の工芸展に出品するガクブチなんだ。
毎度のことだけど、
ゴオオオオオオーッ
て、関係ないとこ切って破壊したり、それ強引に接着したりの苦労ガクブチになる予感はしてるけど、作りまっせ。
2009年、最初のガクブチ。
| 固定リンク
来年、この学校を出てからのために、これからのために、動く。
自分ひとりだけじゃどうにもならんことを、たくさんの人に支えられながら、協力して頂きながら、動く。
ありがたい。
本当にありがたい。
言葉が、少しずつかたちになっていく。
あと、もうちょっと。
きっと、何かが動く。
そんな予感。
| 固定リンク
部屋に置いてあるパンの袋に目がいった。
そこに書かれている宣伝文句。
ありえない
おいしさ。
そら、すごいな。
すごすぎだ。
でも、宣伝文句としてはいかがなもんだろう。
よく見たら、
あきない
おいしさ。
とんだ勘違いを。
| 固定リンク
東京において独特な憧れをもって語られる街が吉祥寺であるとすると、長野でそれに匹敵する街といったらどこだろう。
自分は松本だと思う。
今日も松本に来ている。
雨の松本はしっとりと風情がある。
長野県というのは交通、特に列車の便が悪く、佐久から松本というのは地図上では近いのに、列車だと実に遠い。
なもんで、木曽にいる今が行きどきだと思って、頻繁ではないが好んで行く。
松本はコンパクトな街だ。
とりたてて「これを見ろ」なものはないし(いや、あるか。松本城とか)、特別な何かがあるわけではない。
でも、だからこそ、それが心地好いのかもしれない。
観光地ではあるけど、観光地びいきなアプローチはあまり感じられないし、普通にぷらぷらして、ぼーっとできる。
小さなギャラリーがあって、ワケのわからん店があって、本屋寄って、CD屋寄って。
おいしいものがいただける気のきいたレストランや、渋い喫茶店があって。
街っていうのはこれだけ揃ってれば、ホントに魅力的だなあと自分は思うのだ。
今の学校に来る直前は、松本近郊に住みたいなあという願望があったが、現実としてはどうやら違う地になりそう。
でも、まあそれはそれとして、末永く松本という街を愉しみながらいきていけばいいかなあ、と。
あと、松本とは別に圧倒的な景色の存在で自分の心を動かしたところがある。
そこはそこでひじょうに魅力的なのである。
| 固定リンク
夏休みが始まる前に、
「この休みを有効に使って就職活動を」
といわれて、夏休みが始まり、気づけばもう終わりじゃないか。
あっという間だ、ホントに。
さて、自分にとっての就職活動。
それは、これからどうするか。
真剣に考える時期であった。
確かに勢いというか、ヤル気は大切である。
慎重になりすぎたら、たぶんその場で足踏みしてて前に進まんだろう。
でも、足場が見えてないというか、不安定すぎるのに、走り始めたら。
これはこれで危険じゃろ。
ということに、今回いろいろと話し考えた結果ようやくみえてきた。
一人で考えてたら、たぶん、暴走のままだったでしょう。
まあ、暴走もいいんですがね。
だけど、自分ひとりだけでどうこうなる・するもんではないことに、ようやく気づいたんですね。
まわりがいて、そして、自分がいて。
だからこそ、もうちょっとの説得力というか、ビジョンが見えてないとなって。
慌てすぎ。
慌てたって、見えてこないって。
でも、ボケーっとしてたって、始まらないし。
とにかく、いまは「今」できることをコツコツとやっておこうって思う。
小さなことでいいんで。
派手にどばどば動く前に。
そしたら、次に踏み出す一歩が見えてくるんじゃないかなって。
気がする。
| 固定リンク

夏休み、ただぷらぷら帰って来たわけじゃございません。
今後の準備をしないと。
ガクブチを作りたい。
卒業したら、就職しないで自営に。
言うのは、たやすい。
でも、現実問題、場所はあるのか?道具はあるのか?当面の生活費はどうするのか?
普通に仕事して生活するより、考え・手配・準備しなければならないことは山とある。
で、山だからって、アホみたいに眺めてるわけにもいかないので、ちょっとでも崩していかなければならない。
そんな「山」の一部を今日、見に行った。
長野は田舎だ。
といっても、どこででも好きに大騒音と木屑を撒き散らして作業していいってもんでもない。
(まあ、都会よりはそういった場所はラクに探せるけど)
それに、田舎といえど、住宅密集地や、都会に較べれば俄然家賃も安く、部屋数の多い賃貸アパートで、それらの作業ができるかといったら、不可能なのである。
然るべき場を探さねばならない。
そんなときに、思い出したのである。
「そーいや、つぶれてしまった建具屋さんがあるってなあ」
1年前、まだ学校の試験すら受けてない、無事通えるようになるのかすらわからん状態のときに、知人からこんな話しを頂いていたのだ。
1年もたってしまったし、はて、どうだろう。
「あー、ダイジョブダイジョブ、小さい道具持っていかれて無いけど、場と大きな機械は残ってるから」
早速行ってみる。
機械は古く(古くていいんです、昭和がいいんです)、
メンテが行き届いているわけではなく、
なんじゃこりゃな機械もあったけど、
お馴染みの手押しカンナや自動カンナ、角ノミ(ガクブチには使うのか?ホントはボール盤がいい)、ビミョーだけどこれ昇降盤(?)と揃っており、作業スペースも充分すぎるほど充分で、ふるえるほどありがたかった。
ただ、夏でも程よく涼しいってことは、冬は極寒でしょう。
凍死覚悟でやるしかないでしょう。
知人いわく、
「とりあえず借りてみて、やってみて、それでどうするかっていうか、やってみないとねえ。わからんでしょう」
確かに。
家から通うには、車で30分弱と、決して近いわけではない。
しかし、これだけの空間を今の家に再現することは不可能だ。
ここでやるか、あるいはまた一から探すか、そのどちらか。
自分の性格からすれば、もちらん前者。
賭けで崖である。
周りから、無理だ無茶だわがままだ勝手だと、貴重なアドバイスを頂いているからこそ、「自分」でやってみようと思う。
(ダメだったら、たぶん凍死だねえ)
学校に戻ったら、また、もっと相談してみよう。
一人でもんもんと考えてたって、先には進まない。
でも、進ませるのは他の誰でなし、自分。
自分で進まなきゃ、ダメなんだ。
なんとかなる、じゃなくて
なんとかする。
なんとかすればいい。
| 固定リンク
学校にはパソコンを持っていっていないので、うちに帰ってくると、もっぱらパソコンで検索。
今朝も、さて、パソコンを、と。
ぽち。
・・・・しーん
あれ?あれれれ、ま。
しーん、じゃないでしょう。
これこれ、動きなさいよ。
ぽちぽちぽちぽちぽち。←ぽち連打
・・・・・・・・・・。
電源入らんねえ。
困ったねえ。
ぽちぽちしすぎたかねえ。
確かにぽちぽち多すぎ。
配線とか、諸々確認もしないで暴走したか。
しすぎ。
散々、ぽちしまくった挙句、遅まきながら説明書を探しにかかる。(遅いって)
滅多に説明書なんて見ないから、見つからないのよ、なかなか。
なになに、どれ。
「困ったときは」、のページね。
はい、そう。
「電源が入らない」、そうこれこれ。
「配線です」
はい、配線ね。
見ましたー!
問題ないっス!
ぽちっ!!
・・・・・・しーん
「・・・・・・・・・」
入らんじゃないの。
他に説明ないんかい。
ありました。
「バッテリーです」
いや、バッテリー使ってないから。
これで説明おしまいかい。
動いとらんぞ。
どないせえっちゅう。
ここまできて、ようやく事態のでかさに、おろつく。(遅いって)
しばし、部屋をうろつく。
うろついたトコで、問題は解決しないので、考えてみる。
んー、確かに、2日前は電源入ったし、使えてた。
ちょびちょび、変な状態になってたならまだしも、いきなりはおかしいでしょ。
でも、寿命かねえ。
6年使ってるからねえ。
考える考える。
チカチカチカ・・・・
んん?なんかいつも聞きなれない音がどこぞやら。
どこよどこよ。
パソコンか?
ちがうねえ。
部屋全体?
それだったら、怖いねえ。
でも、どうもパソコン周辺が怪しいのよ。
コンセントを外すと、音しない。
コンセントを入れただけでも、音はしない。
コンセントをさして、ぽちっと電源をいれようとすると、
チカチカチカ・・・・
おっ!
こいつか?
アダプター。
耳を当ててみる。
おおおおー、チカチカいってるー。
だけんど、チカチカいってるというのは、アダプターの故障なのか?
それとも、根本的にパソコンいかれちゃったのか?
んー、チカチカの正体はわかったけど、それがどうしたのよ。
な結果になってしまった。
ということで、電気屋に持っていく。
「あー、これ、アダプターっすねー」
「あ、そ」
悩んで悩んで、損したわ。
でも、小さなパソコンに、ぎょうさん画像系ソフト入れて、メモリ足りないわフリーズするわで苦労して使ってるからねえ。
そろそろ、やばいかもしらんなあ。
バックアップなんて、全然してないや。
ダメだ、こりゃ。
| 固定リンク
べつに実家がぺらぺらというわけではない。
自分の「実家」という感覚が、うすいということ。
夏休みに入り、みんな早々に寮を出て行くなかで、自分も「さて、帰るか」
1週間ぐらい前から
「いつ、実家帰るの?」
そんなふうに訊かれると、なにか違和感。
そう、自分には「実家」という感覚がないのだ。
ここで生まれ育ち、ここに戻ると思い出がいっぱいつまってて・・・
なんちゅう場所が、限定して、ないのだ。
生まれ育った横浜は、18のときに離れ、それきり戻ってないし。
長野に来るまではずっと社宅住まいだったので、いま、戻ったところで「実家」ではない。
誰か知らない人が住んでいる。
18以降は、東京の社宅をめまぐるしく転々とした。
まず、三軒茶屋、次、目黒、そして、浜松町。
落ち着く「拠点」と感じる前に引越し。
東京にいる間に、旅に出ていたのもあり、自分は「あちこちにいた」そんな記憶。
で、こんなののすえに、長野に来たんだが、いつまでたっても
「いつこっち来たん?」
って。
おいおい、もう6年だよ。
「長野の人って感じじゃないんだよねー」
とも。
じゃあ、どこの人なんじゃい。
と訊き返したいところだが、当の本人も、このへんは曖昧なのだ。
地に根が生えないというか、腰を落ち着けないというか。
どこでもいい、どこでも平気。
旅の頃もそうだが、とにかく順応性には長けている性格もあって、ホントに「どこでも」いいのだ。
逆に、どこにも根付かない、根付けない。
のかもしれない。
そんなで、リアルに感じれない「実家」というものに、帰ってきたわけだけど、どうもしっくりこない。
大切な音楽がないからか?
なんだか、それだけではないような気がする。
ガクブチを作る「ここ」という空間を、自分で見つけ、作りたい。
目下の理想であり希望であり夢であり。
なんて、ドリーミーにばかりなっていられない現実との闘いなんです。
これからが。
| 固定リンク
長野木曽の上松から、栃木の益子。
それはそれは遠い。
でも、そんな遠さであるとか距離感をこえ、とても充実した1日を送った。
というのも、額縁を作っている技専の先輩が益子で展示をしていたのだ。
前回、先輩の工房を訪れたときに、その展示会のDMを頂いていたのだが、なんせ場所は益子。
こらー、ちと遠いぞ。と。
でも、ひそかに行く気満々。
これは行っておかないと。
そんな、揺るぎないものがあった。
どなたかの絵描きさんの作品に、先輩の作った額縁が。
というのなら、ん~~~。
行きたいのは山々だが。
しかし、額縁だけの展示である。
これは、自分のアズヲ・ガクブチの展示と同じ。
額縁だけを展示するというものだ。
「額縁を展示?」
周囲の疑問は、いまだに消えない。
それでも自分はやり続けていた。
そんなのと、まるで同じスタンツで額縁に向っている人がいる。
これは、行かねばならないのだ。
搬入・展示で、ろくに寝ておらず、座りくらみがするといってクラクラしてる先輩と、やはり遠方から来て、ちとふらふらしてる後輩。
そんな二人でも、やはり額縁の話は熱く。
いつまでもいつまでも語る。
これから、どうやっていくのか、とか。
額縁に至るプロセスであるとか。
あとなんだろう。
とにかく、ずっと、額縁の話しだった。
そのうち、先輩が
「はて、どうやって帰ろ」
「あれ?どうやって来たん?」
「トラックに積んで、ここまで送って来てもらった」
「今日中に、帰るん?」
「うん、便乗して帰ろうかと」
「便乗っていっても、おいら電車で来たで」
「・・・・・・・・」
何の連絡もなしに、いきなり来る後輩と、帰りのことをあまり考えてなかった先輩と。
どちらも、いい具合に、計画性がない。
しばし、ぽかーん。
どうしようかねえ。←あんま深刻になってない。お互い。
そうこうしてるうちに、ギャラリーの社長さんが、益子駅まで送ってくださるということに。
「もえぎ」本店が、今回先輩の作品を展示しているギャラリーなのだが、山奥の山の上にあって、徒歩で駅まで行くのは厳しい。
長野から益子駅に着いて、観光案内所でこの場所を聞いたときも
「こら~、遠いよ。え?!歩く?むりむり」
と、おじちゃんに徒歩行きを止められ、先輩に電話したら、ギャラリーの店長さんが、わざわざワタクシ1人のために迎えに来てくださったのだ。
「もえぎ」、すごい!
ホントに、ありがたい!!
でも、ここまでしてくださるのは、きっと、先輩の人柄あってのことなんだと思う。
先輩、すごい!
さて、自分は帰るといっても、さすがに上松までは帰れないので、途中、家のある佐久平まで。
しかし、先輩は伊那まで。
果たして、帰れるんか?
「たぶん、夕方までにここ出れば、着くよ」←相変わらず、テキトーなアズヲさん
「そだね」←先輩もテキトー
で、出発するも、長野までの道は想像以上に遠く、途中、小山で伊那には今日中には着かないことが判明。
っちゅうか、判明させるの遅いから。
早く、そういうこと気づきなさいよ、お互いに。
ここ2日、ほとんど寝てない先輩は電車の中で寝るも、「なんか夢みちゃった」と、どろんとしてるし。
自分は自分で、寝過ごすまいと半目だし。
コワイコワイ。
それでも、額縁の話ししてるからねえ。
結局、先輩は新宿でなんとかするってことで、大宮で解散。
お会いしてわずか2回。
でも、額縁でここまで一致する世界観を持ってる人がいることが、自分には奇跡としか思えず感動。
益子の距離は、ガクブチへの距離を近づけてくれた。
そんな気がしてならん。
| 固定リンク
学校の仲間と、松本クラフトフェアへ。
噂にはきいていたが、すごい混雑ぶり。
お客さんの層も厚く、しっかりしたものが並ぶ。
とあるフェアは、確かに人は入るのだが、どうも「学園祭のノリ?」な印象が拭えなくて、自分には違和感が。
でも、松本のは、安心して見て、触れて、質問して。
勉強になりました。
ありがたいことに、「上松の技専から来ましたー」というと、瞬く間にお話モード・オン。
あたたかく迎えてくださる。
おそるべし、技専パワー。
でも、我々が話していると、どうやらそれが呼び水になるようで、ブース混み混み。
もっと、お話したいのに!
残念。
アズヲさんは、もっと!もっと!なんだけど、良識ある仲間が空気よみなさいね、とばかりに退いていく。
粘るよ、アズヲさんは。
でも、お客さんパワーは強い。
勝てまてん。(競うとこじゃないから)
会場は、時間が経てば経つほど人の数が膨れていく。
日々、学校では、緑と茶色の世界。
人は決まった人が、40人弱。
音は、鉋の調整の音、削る音、刃を研ぐ音。
大きな動きっていうのも、ない。
非常に、ミニマムな空間である。
というか、無菌培養。
特殊な世界に住んでいる技専キッズ。
みんなの口から出る言葉は、
「・・ちゅかれた」
そう、みんな明らかに疲れているのである。
たくさんの人、あふれる色、ざわざわした動き。
ここ、技専に来てわずか一ヵ月なのに、みんながみんな同一の感覚になる。
なに、この、一体感。
ファミリーやねえ。
そうそう。
| 固定リンク
今日は、防災訓練の日。
本来は消火器の使い方を教えていただく予定だったのだが、滅多にお目にかかることのない「地震体験車」がくるぞ、(しかも最新式)ということで。
こらー、乗るしかないな、と大興奮なわけですよ。
間近で見る地震体験車。
体験するスペースは意外と、ちっちゃい。
床に固定されたテーブルと、固定されてない椅子四脚。
つまり、椅子に座って体験しろってこと。
普通の生活でテーブルが固定されてることなんて、まず、ない。
だから、そんな普通の状況で。
なんて思ったんだけど、揺れ始まるや、
無理無理無理。
テーブル固定されてなかったら、テーブル吹っ飛ぶって。
スマトラ沖地震を体験したんだけど、こらーくるでー。
最初は、ゆるいんですよ。
ゆら〜ゆら〜って、小さく横揺れで、あら?っと思った瞬間。
だだだだだだ
って、ひたすら激しく突き上げるような縦揺れ。
とととと
とまらない。
椅子が床を離れ、自分の身体がぽんぽん宙を舞う。
なななな
なんやこれ。
はははは
笑ってる場合じゃないぞ。
でも、尋常じゃない揺れに笑いが。
この地震は二分続きます。体験じゃなかったら、パニックだな。
だけど、地震はきます。
こわいけど、きます。
びくびくしてばかりじゃあ、いられません。
そんな防災訓練。
| 固定リンク
自分は、本屋の仕事がたたって椎間板ヘルニアになった。
そんな腰で、今の作業はラクとはいえない。
だけんど、これは自分が選んだことであるから、なんとかしてなす。
しかない。
日々の作業には気を配っていた。
しかし、先日買った新しい作業袋が嬉しくて、これでもか詰める詰める。
で、片手で、えいっと持ち上げた。
で、あ!腰!
と思ったときには、もう遅かったのである。
しばらくして、痛み。
そのあと、しびれ。
左下半身がしびれて力が入らない。
こらー、まずいぞ、と。
病院行ったとこで、ただ、無理しないでくださいねーっていわれるだけ。
で、いま自分のしてることを話せば、
「そらー、無理ですよ」
って。
わかってるさ。
今の日々の作業が、ヘルニアの身にいいわけがない。
本屋のときもそうさ。
ヘルニアは病院行ったからって、治るもんじゃない。
結局、自分で自分をコントロールして、なんとかするしかない。
とりあえず、コルセット復活です。
| 固定リンク
お金がない、といいながら自分は激しくお金を使う。
雇用保険が月にどれだけ入ってくるのか、いまだにそのハッキリした額もわからないというのに、使う使う。
学校が終わったあとの事も考えて、今は極力使わないで貯金。
の方が、賢いのかもしれない。
でも、 CD買うわ、本買うわ。
「あとで買おうって思ってるうちに、本やCDってなくなっちゃうのよ」
の持論のもと、見つけたら買う。
気になったら、買う。
まさに浪費家である。
ビッグちゃんに会う日、言われたとおり夕飯の材料を買っていった。
そしたら、材料代ということで、かなり多めにお金をくだすった。
にもかかわらず、翌々日。
「ねえねえ、銀行よりたい。お金おろしたい」
「えっ!?この前、お金渡したじゃん!」
「使っちゃったよ」
「・・・・・・・・」
ビッグちゃん、一瞬かたまる。
あんた、一体何にお金使ってんのよ。
「昨日さ、洗剤とかさ、道具入れる袋とかさ、いろいろ買い物したのよ。
そしたら、お金終わっちゃった」
「・・・・・・・・」
アズヲ、お金ないお金ないっていつも言ってるくせに・・・・
で、CDも予約したっていうし。
なんなのよ、この現実味のない人。
ビッグちゃん、大変です。
相手がこんな相手なんで。
| 固定リンク
4日も休みがあるといっても、行って帰っての移動があるので実質2日といった感じか。
なんか、休んだわーという気はあまりしない。
まず、買い物に行く。
今までは平日の空いた時間を狙って買い物してたのもあって、混み混みの道路やら駐車場やら、それだけで疲労。
学校にはパソコンを持っていっていないので、ここぞとばかりに使えるか。
と思いきや、なんやかんや別のことに時間を費やしていて、たいして使えず。
久しぶりー!
ということで、ビッグちゃんに会うが、こらまたバタバタしてるうちに終了。
なんか、どれもこれも中途半端なうちに終わってしまった4連休。
で、学校に戻ればまた今以上に慌ただしく。
あっという間に、夏になってしまうんだろう。
| 固定リンク
木曽行きが間近にせまってまいりました。
さて、学校にはパソコンを持っていきませんので、ブログは携帯からメールのかたちで投稿することになります。
そんなで、閲覧ってことができないんです。
なぜなら、ワタクシの携帯、メールと電話さえ通じりゃあいいやってことで、最低料金のプランなんです。
にもかかわらず、以前、自分のサイトを携帯で見ようもんなら、どえらい金額請求になってましてね。
ぶったまげたんですわ。
それ以来、携帯はメールと電話のみ。
となると、ブログに入ってるコメントが確認できないんです。
トラックバックもそう。
勝手にエロいTBが入ってても(最近入らなくなったが、以前はしょっちゅう)、確認できなくて、いつまでも残ってても困るに。
ということで、学校期間の1年間は、コメントとトラックバックの欄は消していきます。
申し訳ないです。
でも、どうしても、こりゃー言っておかねば!
ということがございましたら、メールでお願いいたします。
プロフィールのページから、メール送信できます。
(右上の、にゃんこマークの下)
といったトコで、パソコンメールなので、こらまた確認するのが、まれなんですが。
(どないなってんの、この人。ヤル気あるんか)
しかし、まあ、このブログが動いてるあいだは、くたばっておりません。
ただ、いまも充分、独り語りなんですが、その色合いがより濃くなるというだけです。
いま以上に、独りでぶつぶつぶつぶつ文句言ってることでしょう。
変なブログ。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
自分は、たまに音信不通になることがある。
あまりに連絡が途絶えてるもんだから
「生きてる?」
って、メールが入ったこともある。
生きてますがなー。
死んじゃおらんって。
勝手に、人を殺さないで下さい。
最近はブログがあるから便利。
連絡が途絶えても、ブログが動いてればダイジョブヨ。
旅に出たときもそうだった。
あちこちに声かけてくと大変だということで、黙って行っちまった。
そしたら、どこ行っちゃったのーって。
おこられた。
自分のいう「ダイジョブ」はどこまでダイジョブなんだか、さっぱりわからん。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
よく言われる。
「絵、描けるんだから、描けばいいじゃん」
確かに、絵は描ける。
でも、いつでもどこでも描けるかといったら、描けないのである。
幼い頃は、寝てもさめても絵ばっか描いていた。
まあ、それしか出来ない子供であったというのもあるんだけど。
しかし、ある日を境に絵を描かなくなった。
それは、ここでもよく登場する「アトリエ」である。
美大受験のためのアトリエ通いが始まってから、絵を描くことが楽しくなくなってしまった。
義務で描く。
そんなだった。
評価されたくもないのに、評価される。
構図が似てるといって、いつまでもチクチク文句をいわれる。
自分の好きなように描けば、それは大学に受かってからやれと。
なんやの、もう!
絵を描くことは好きなのに、だんだん描くのが怖くなってきた。
描けば、批判される。
描けば、「私のと真似した」とか、なじられる。
なんのために描いてるんだろ。
そう、受験のため。
追い詰められたとか、鬱になったとか、そんなではなかったけど、ここにいたときハッキリと、
「死んだらどうなるんだろ」
なんて考えてた。(くらいよ!くらいくらい)
死にたいとは思わなかったけど(思ってたら大変やて)、常に身近にあるカッターナイフを持ちながら、そんなことを考えてた。
(美大生と刃物は必需品です)
で、実際そこまで人は考えると、急に強くなるというか、吹っ切れるんでしょうね。
アトリエ後半時代は、孤独に飛躍。
そんなアトリエと絵のかかわりがあって、絵を描かなくなってしまった。
まわりからは、
「なんで描かないの?」
と簡単に訊かれることに苛立ちを感じ。
描かないんじゃねえ。
描けねえんじゃー。
しかし、こんな自分が唯一、絵を描く場所がある。
『旅』、である。
旅に出ると、自分は絵を描く。
幼い頃と一緒だろう。
これしかやることがないのである。
旅中、日々淡々と絵を描いている。
そんな旅で描きためたスケッチをみると、人は、
「なんだ、やっぱり描けるんじゃん」
と。
確かに、描いた。
でも、じゃあ、日本に帰ってきて、旅のときと同じようにスケッチブックを開いても、手が動かないのだ。
「描きたい」という気持が、湧いてこないのだ。
なぜだかわからない。
だから、旅に出ないと自分は絵を描かない。
旅先で見たような風景の写真を前に出されても、描けない。
あの、旅地の空気、ゆるい時間、不便ななかで描くということ。
それらがないと、描けない。
まあ、金がかかる。
写真じゃ、ダメっていうんだから。
逆に、それらのなかで描いた絵は、いつまでも心に残る。
いまは、「絵」というよりも、ガクブチがあるのだが、
「ガクブチの中に自分で描いた絵を入れなよ」
って。人は言う。
いままで、ガクブチの中に入れたのは、みんな旅で描いたもの。
新たに描いたものはない。
いつか、自分の作ったガクブチに、自分の絵は入るのだろうか。
いまは、謎だねえ。
なにか、越えないと。
でも、自分は、絵じゃなくて、ガクブチを作りたい。
ガクブチ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
学校へ通うにあたっての、失業手当の手続きがやっと終わった。
予想通り、おおいに時間がかかった。
離職票、早く出せと、会社に対して大騒ぎした甲斐がありました。
黙って、まだかなあ~なんて待ってたら、3月中に手続きなんて絶対終わらなかっただろうに。
よかった、よかった。
あわててよかった。
あとは、持っていく荷物の準備である。
とりあえず、買ってきた物を、部屋の一角に積んでいる。
ただ、ひたすら積んでいるだけである。
あとでやろう、といいながら、いっこうに手がつかない。
早く、やってしまいなさいよ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
これが、どうも自分はよろしくないようで。
開かないのである。
自動ドアが開かないのである。
今日もそうだった。
茶漉しを探しに、雑貨屋へ。
どーーっと、入り口まで駆けて行き、ハイ、前に立つも。
自動ドア、うんともすんともいわず。
なんでしょ。
この、シーンとした感じ。
自動ドアはガラスなわけで、店内にいる人から見れば、なに、あの人はいってこないで突っ立ってんだろって。
いやいや、入りたいですって。
入れないんですって。
それにしたって、開かないよ。
上を見て、センサー確認。
ほれ、人きてるでしょ。
開けなさいよ。
シーン。
まだかいな。
しかたない。
もう一回、最初から再現してみよう。
ちょっとさがって、はい。
たたたたと、駆け寄る。
しゃーー。
開くでないか。
ちなみに、店から出るときも同じく。
開かないのです。
しつこいですね、ここの自動ドアは。
そんなにワタクシを、センサーで読み取りたくないのですね。
まあ、ここに限らず、あちこちの自動ドアと相性が悪いので、人が通って
「あ!開いてる!!今だっ!!」
という自動ドアに駆け込むことは、しょっちゅうで、よほど自動ドアはワタクシが嫌なんでしょうね。
はさまるんですわ。
閉まってくる自動ドアに。
閉まってくる自動ドアっていうのは、地味に怖いですよ。
しゃーーってきますからね。
で、その攻防自体、誰も見てなくて、実に地味なんですよ。
痛いわりに。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
どんな趣味やねん。
でも、自分はよく脱走する。
というか、気づいたら、ひとりフラフラどこかへ行ってる。
なんてことは、よくある。
旅の間はしょっちゅうで、よく仲間から怒られたもんだ。
仲間からはずれるのが、好きなのだ。
みんなであそこ行こう、こうしよう、とか。
最初は、ああ、そうだ。
なんてテキトーに加わってるんだけど、そのうち面倒になってくる。
で、気づくと、ひとりいない。
「あ!アズヲさん、いなくなってるよ!」
という具合。
最悪なのは、昨日も書いたが呑みの場である。
なんで、みんなで呑まなあかんの。
はじめは、気の合う仲間だけでってことになってたのに、気付いたら知らん人、知らん人。
ただ、行くトコないからついてきました、みたいな。
ついてくんなーっ!!
挙句に、つまらんとか、話が合わんとか、どうでもええ空気になっちょるっちゅううの!!
そんな、もちゃもちゃ、うだうだやってんだったら、脱走やーっ!!
面倒なんじゃー!
散れー!
散れー!
まわりに言っても仕方ないんで、自分から脱走。
脱走したときは、なんか爽々しくて、やっぱ、ひとりサイコー!
なんてなるんだけど、ふと隣りをみると、なんでかついてきた人もいたりなんかして、
「あら、あなたも?」
って。
みんな、そう思ってるんだよ。
脱走しちまいたいんだよ。
おべっか、探りあい、お付き合いの、飲み会なんて、クソったれー。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
自分は大人数でワイワイ呑む、飲み会・宴会のたぐいが苦手だ。
俗に言う、打ち上げも苦手だ。
パーティーなんて、もってのほか。
今まで、大きな会社や団体に属したことがないので、かしこまって、「みんな集って」という場にいなくてもいい立場というのもある。
唯一、大きかったのは、東京のわずか1年の派遣社員の時代だろう。
自分が辞めるときは、たまたま辞める人が重なって、地味に盛大だった。(どんなやねん)
仕事場で、お世話になりましたスピーチみたいのをやって、即解散。
そのあと、親しくしていた数人と、呑んだ。
みんなと呑む気はさらさらなくて、早朝、駅で同じ職場の別グループと遭遇しかけて、なぜか隠れたのをいまだに憶えている。(終電のがして、朝まで呑んでた)
なんで、隠れたんだろ。
なぞだ。
さて、そんなで本屋を辞めたといえど、必然的に送別会は催されなかった。
誰よりも送別会を望んでいないのが、辞める本人だからである。
それをキチンとわかってくれているありがたい仲間がいて、本日、地味にこっそり呑み。
本屋が終わってから、迎えに来てくれるそうで。
「アズヲさん、どうせ場所わかんないでしょ。一度つれてったけど」
「わからんなあ」
「じゃあ、迎え行くから」
ああ、ありがたい。
ワタクシのダメダメぶりは、いたるところで発揮されます。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
自分はいろんな意味で生きた化石なのだが、ここで、もいっちょ。
食わなくても生きていける身体になっている。
これが身についたのは、高3のときである。
美大受験のためのアトリエ通いをしていたのだが、これがまあ、ハードの度を越した強烈さだったのだ。
アトリエが始まる時間は5時。
学校は遅くとも、4時までに出る。
学校の昼飯は、普通に12時である。
学校から、アトリエまでの時間に、余裕はない。
歩き食いができないので、必然的に何も食さないままアトリエ、スタート。
アトリエは通常、8時まで。
が、週に2回、講評がある。(完成した作品をならべて、講師が評価をだす)
正直、ださんでええと思ってた不良生徒。
これがくせもので、夜10時、11時になることもざら。
高校生だっていうのに、電車終電間に合う?!なんてことも普通。
となると、さて、いつ飯を食うか。
結局、食ってないのである。
昼の12時に食って、夜中10時だ11時だっていうのに、うちに帰るどころか飯すら食ってないのである。
そんな生活が1年ちょい続いた。
のもあって、いまだに、これがいけるのだ。
食えなきゃ食えないなりに、身体全体が省エネモードになる。
そして、いつからか、身を守るためか、いつでも食べられる非常食を持つという概念がつくようになった。
コンビニのパンはいつでも買えるが、賞味期限が限られている。
お菓子は、ウマイがすぐ腹が減る。
ということで、この頃から、非常食といったら、カロリーメイトなのだ。
非常食といってるが、自分にとっては昼食であったり軽食だったりするので、これを普通にランチタイムにモグモグ食っていることも多い。
とすると、周りからは、
「ダイエットしてるのぉ~?」
とか訊かれる。
が、断じてこれ食ってたって痩せちゃいない。
ただ、外で何か食うってときは、アタマん中はつねに「非常」なのであろう。
アトリエ時代に、満足に食えてなかったのが、いまだに身についている。
ありがたいのか、なんなのか。
よくわからん。
今日、たまたま行った薬局で、カロリーメイト158円。
条件反射か、安い、と思って2箱購入。
いつ非常になる予定なんだろう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
なるもの、なりたいものの見えなさ。
何をして生きるか、の希薄さ。
いつからか、増えた。
「仕事」をテーマにしたテレビ番組。
仕事に対して熱く取り組んでいる人を取り上げたり、
若者の、仕事に対する意識を高める番組だったり、
そもそも「仕事」ってなに?みたいな。
これから仕事に就こうという年代の人間が、仕事に対して悲鳴をあげてるのが感じられる。
あるいは、無関心である子供たちに大人が躍起になっているか。
はたまた、わかってるよ!!でも、動けない人たちの多さ。
いつから、日本はこんなになってしまったんだろう。
で、仕事に就いてみても、思っていたのと違うであるとか、
きつくてついていけないであるとか、
本当はこんな仕事がしたいんじゃないとか、
あげく、精神的にも体力的にもまいってしまって身動きとれなくなると、
世間的には「ひきこもり」のレッテルがはられてしまう。
ひきこもりの原因に、そうさせてしまう、それを許してしまう家庭が悪い。
と、まず言われ、
いや待てよ、うちらが悪いんじゃない。
社会が、いまの世の中が悪いんだ。
と、世間をなじり、ダメダメの押し付け合い。
結局は、じゃあ、本人の問題?
みたいな。
ここ日本にいると「働かないのは、罪!」みたいに、どうしても肩身の狭い立場に追いやられてしまう傾向がある。
反対に海外をふらついていると、いかに定職に就いていない人の多いことか。
自分はトルコを好んで旅し、何度か行ったり来たりしていたのだが、
いや~、やつら、働かねえなあ。
「いま、仕事ないから」
といって、普通にぷらぷらしてる。
悪いか?
「だって、しょーがないじゃん、仕事ないんだもん」
それに引き換え、日本は神経質なまでに仕事・仕事。
まあ、トルコとの大きな違いは、「仕事がある」からなのだが。
なのに、しない。
とは、なにごとだ!
といって、猛烈に責められる。
確かに漠然と生きてきて、いざ、仕事だ、社会に出ろ!
と放り出されても、未熟であるとしかいえないんじゃないだろか。
大学まで通って、絶対これになる!
この仕事に就くために大学に通った!
なんて人、どのくらいいるだろか。
げんに、自分だってそうだ。
美大行ったからって、絵描きになろうともデザイナーになろうとも思ってなかった。
ただ、このままみんなと一緒に就活して一般企業に勤めることに疑問を感じていた。
で、半年トルコにいた。
でも、何も変わらなかった。
そんなにガツガツ働かなくても、家族のもとにいれば、まま暮らせるし、な安穏さ。
日々は過ぎていく。
言うことは言うが、なんだ、自分が責める若者と変わらないじゃないか。
なら、変えてみるか。
最近、ぽつぽつと出て行く「気持」の準備をしている。
学校を終えた先にあるのは、自分で見つけるなにがし。
ガクブチと、もうひとつ大事なものを抱えて、見つけに行くだす。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「得意料理なに?」
なんて訊かれたことはない。
ので、考えたこともない。
が、そーいや、あるんだっけ。
と、あらためて考えてみた。
そしたら、餃子だった。
この前、久しぶりに餃子を作った。
べつに手の込んだものじゃない。
皮から手作りです。とか、
具がいろいろあるとか、
具がこってるとか、
そんなんじゃなくて、ごく普通の餃子だ。
ただいえるのは、包むのが得意だ。
以上。
今度、ビッグちゃんトコで作ってみようかな。
たぶん、
「えっ!?アズヲがやんの!?いいよいいよ、やめて」
拒否されるだろう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日のブログにも書いたが、
↓↓↓下、参照
おかん、というのはスゴイ。
幼き頃の話である。
ウチは、姉がピアノを習っていたのもあり、たまにワタクシもその教室に連れて行かれる。
姉のレッスンが終わるまで、かあちゃんと一緒に待つのだ。
ほとんど家で待ってろなのだが、なぜかたまに連れて行かれる。
当然、待ってるだけなのでヒマである。
周りには自分と同じくらいのガキどもが、ちらほら。
で、やはり、ヒマだ!ということで、無駄に泣き騒ぐ。
びーびー泣いたトコで、状況は変わんないのよ。
どこか冷めた、アズヲ・チビ。
でも、アズヲだってヒマには変わりない。
のそのそと、かあちゃんに近づいていく。
(・・・なんかあるでしょ)
(ほれ、これで遊んでな)
かあちゃんの鞄から出てきたのは、折り紙。
無心で折り始めるアズヲ。
「ちょっと、ちょっと」
かあちゃんが呼ぶ。
(・・・・なに)
向こうを指差してる。
見ると、さっき泣き騒いでたガキ。
(あ、折り紙あげてこいって?)
やだ、知らない子だもん。
って態度で示せど、行け、と。
行ってこい、と。
おずおず見ず知らずのガキに、折り紙を1枚差し出すアズヲ。
しばし、無言。
で、折りだす。
平和な時間。
おかん、つよし。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
「女性らしさ」というものを感じるなら、
仮に、そういうものがあるのなら、
自分はこんな場面に遭遇したことがある。
久々に会う友人と呑もうか、という待ち合わせのときのこと。
「あ、アズヲ、ハンドクリーム持ってる?」
と、早めに到着した男の友人から訊かれた。
答えは、もちろん
「ない」
「あ、そう」
あと2人来るから、ということでしばらく待つと、自分の知ってる男の友人と、初めてお会いする女のかたが連れ立って登場。
「あ、○○ちゃん。ハンドクリーム持ってる?」←コイツは、どうしてもハンドクリーム塗りたいらしいね。
そしたら、なんの違和感もなく、
「はい、どうぞ」
って。
そのとき、ワタクシは、衝撃が走りました。
ええー、こんな普通に、はいって。
普通にハンドクリームなんて、持ち歩くもんなん?
お、おいら、一度だって、ハンドクリームなんて持ち歩いたことないし。
そもそも、「持ってるよね?」って感じで訊いてくる、そいつもそいつだ。
持ってねえって。
リップクリームなら持ってるけど。
そのとき、その女性のとても自然に、鞄からハンドクリームを出す姿。
いまでも憶えてます。
ひゃあー、スマートでステキやわー。
で、その横で、ただボーっと見てる自分。
ダサダサじゃないですか。
で、いまだに自分の鞄には、ハンドクリームが入っていないという現実。
まだ、そのダサさから抜け出せない。
こんなのは、旅中もありました。
なんなんでしょう。
当たり前のように、「女の子なら持ってるよね?」的な勢いで訊いてくる男子。
そのたんび、おいらの
「持ってねえよ」的な答え。
で、「なんで持ってないの?」みたいな表情をする男子。
なら、「自分で持ってこいよ、女子にそれを求めるなよ」的な反応を示すおいら。
そんな、わいのわいのしてる横にすっと来て、そのブツを何食わぬ顔をして差し出す女性。
「ほら、やっぱ女の子は持ってるじゃん。なんでオマエ持ってないの?」みたいな勝ち誇った男子の顔。
まあ、この、あるのないののブツは、風邪薬だったり、絆創膏だったり、ティッシュだったりと、どうでもいいような、べつに男子女子関係ないものなんですがね。
そう考えると、今に始まったことでなく、昔から、こんな
「持ってるよね」
「かしてあげる」
の、いぢらしさというか、こまい遣り取りに自分は全く関与できないまま大きくなってしまった。
必要と思うもんくらい、自分で用意しとけよ、みたいな。
そんなのを踏まえた、ワタクシの思うところの「らしさ」、女性らしさとは。
おかん、なのではないか。
と思うのだ。
おかんは、なんでも持っている。
おでかけに行っても、散歩に行っても、
そーいや、かあちゃんというのは、なんでも鞄の中に持っていて、
「あれ欲しい、これ欲しい」
といえば、なんでも出てきた。
そーだ、おかんなのだ。
男子が究極に求めるのは、おかんなのだ!
ズバリ!
そうでしょう。
今宵のアズヲは冴えてるぞよ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
仕事を辞めて、約半月。
一通りの事務手続きのようなものが済み、
そうなると、
ヒマである。
いままで仕事で働いていた頃の時間になると、より、ヒマを実感する。
明るい時間はなんやかんや、いろいろする。
ガクブチを作ったり、
送るためのガクブチの準備をしたり。
で、たまに寝てみたり。
なんてしてると階下から野次がとぶんで、そこそこに起きて、
夢想したり。
これから、ちょっと先のことを夢想する。
で、すぐ飽きるんで、また違うことをやって。
仕事をしてるときは、日々そればっかりで大変やわー。
もっと、ボーっとしたいわー。
なんて思ってたけど、いざ、ボーっとする時間が目白押しなのも、いかがなもんだろうと。
本を読むのは楽しいし、好きだけど、ずっと読んでいたいとは思わないし。
何か作りたいと思って作り始めても、小さい物ばかり作るので、あっという間に完成。
そんなのを日々積み重ねている。
なんて、実はやらなきゃいけないことはある。
部屋の大掃除。
いるものといらないものを分けて、これからに備えなければいかんのに。
さて、明日、やるか。
やられるか。
勝手にやってろ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ビッグちゃんは、食にこだわる人である。
先日、外食したときのこと。
メニューを眺める。
「・・・・・・・・・」←もんのすごく、選んでる。
「んー、これにしよっかなー、あー、やっぱ、これー」←いちいち隣りでうるさいアズヲ。
「・・・・・・・・・」←きいてない。選ぶの真剣。
「じゃあ、あたし、てんぷらの定食にしよっかなー」←いつも、決めるの早い。
「て、てんぷらっ!?」
その後、ビッグちゃんのいろいろと長い説明が始まる。
アズヲね、ほら、いろいろあるんだから、もっと選びなさい。
もっと、迷いなさいよ、あなたは。
それぞれの説明読んでるの?
読んでないでしょ。
パッと見でしょ。
「あ、やっぱ、やめる」
「え、やめんの?」
「こっちの、鶏の唐揚げの黒酢蜂蜜あんかけにする」
「お。アズヲ、いいのセレクトしたね。じゃ、おれ、てんぷらにしよ」
「さっき、あたしが選んだやつ?」
「うん、そう」
迷いに迷ってたわりに、あら、それでいいの?
と思ったが、とりあえず注文。
ここまでに、時間かかりすぎだから。
まず、きたのは、鶏の唐揚げ定食。
「どちらのお客様でー」
「ハイ!ハイ!あたしあたし!」
ドーン、と。
お盆にのった唐揚げ定食ー。
あんかけがキラキラ光ってて、美味そうだす。
あれ?ビッグちゃんのは、一緒に来ないね。
と思って、キョロキョロしてると。
ビッグちゃん、こちら凝視。
で、なぜかお盆を自分のほうに引き寄せようとしてる。
必死に自分のほうに引き戻すアズヲ。
「なに、どしたの」
「アズヲ、これは、おれが食べるから」
「・・・・・・・・」
「これ、おれのね」
「だって、ビッグちゃんはてんぷらでしょ」
「てんぷらは、アズヲ食べなさい。最初、てんぷらにするって言ったでしょ」
「え、でも、こっちの唐揚げにしたんだもん」
いいの、いいの。
こっちによこしなさいよ。
お盆の上で、ぎちぎち皿が揺れている。
やだやだ、これはあたしが選んだんだー。
味噌汁が揺れてて、あぶないあぶない。
離しなさいよ、あんた。
なかなか離しません。
互いにお盆の端をつかんで、引っ張り合い。
わけがわかりません。
そのうち、こちらが折れ、というか、まあ、いいかになり、ビッグちゃん、ほくほく顔で唐揚げを食す。
「あ、そうだ。アズヲも、唐揚げ食べてみるー?」
っちゅうか、そっちが、あたしのやっていうの。
奪い合うものが地味です。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
会社から離職票も届き、職安へ行って手続き。
ようやく、いよいよですぞ、という感じになってきた。
そこで、気になっていた年金の支払いのことを役所に訊きに行った。
「4月から学校に行くんで、収入がなくなるんです。年金の支払いが厳しくなると思われるので、相談に来ました」
正直、年金を払うようになったのは、ここ最近である。
20才になりましたー!
といったトコで、そのときはまだ学生で、親もべつに子供の支払わねばならない年金には無関心で、放置に放置を重ねまくって、あげくには
「払わんのは、自分の責任だ」
と親父にいわれ、そーだそーだと納得し、
無防備な旅を続け、
いつ、どこで死んでも、自分の責任だ、
といいながら生きてきた。
しかし、海外で暮らすならわからんが、ここ日本で暮らすとなると日本のルールというのがある。
「日本って、いろいろ、窮屈だよねえ~」
そういうなら、窮屈じゃないと感じるトコで勝手に暮らせばいい。
でも、日本は窮屈なのだ。
だけど、自分はここ日本で暮らしている。
ということで、ラリホーだった数年前よりは、少しまじめになったのだ。
で、役所です。
「はあ、じゃあ、そうなると、免除の申請書がありますんで・・・」
と、紙を渡された。
では、収入状況をみてみましょう。
「あ~、世帯主のお父様が仕事されてますねえ。これでは、免除は無理ですねえ」
「いや、確かに父親は働いてますが、私の年金を払ってるわけじゃないんで」
「でも、世帯主が働いてて、収入がありますんで、免除にはならないと思うんですよ」
「じゃあ、私がひとりなら」
「あー、それは問題なく、免除可能です」
「あそ」
納得はいかんが、これが世の決まりである。
「じゃあ、支払いとめます」
「え!?」
「自分は収入がなくなるんです。
それでも、学校の必要経費が口座から落ちてくなかで、年金も自動におちていく。
なら、いまの自分は、年金をとめます」
ということで、口座引き落とし辞退の用紙をもらって帰ってきた。
自分たちの世代は、年金はもらえないだろうと世間は騒ぐ。
ああ、確かに。
こら、無理だろうなあ、そう思いますよ。
でも、ここで今、生きてるなら払わなきゃなあとも思う。
それがいやなら逃避か。
べつに逃避する当てもないし、したい場もないし。
海外ふらふらしたけど、自分は日本でいいやと思う。
思ったからには、窮屈でも、ここで生きるルールがあるからねえ。
でも、気に喰わんのよ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
「温泉行きたーい」
というワタクシの要望で、近場の日帰り温泉へ。
入り口の料金支払い所に、
「泥酔、刺青のかた、他のお客様にご迷惑のかかるかた、お断りいたします。」
ビッグちゃんが、表示も見ずにさっさか支払いを済ませてる横で、ほえーっと表示を眺める。
「やっぱり、入れ墨、ダメって書いてあるよ」
「ダイジョブだよ」
「でも、書かれてると、なんか悪い気がする」
「アズヲ、べつに暴れないでしょ。迷惑かける人がダメなんだよ」
「そか」
ということで、いそいそと入っていく。
でも、ダメと表示されてて、それを承知で入っていくというのは、やはり気がひける。
着替える所では、スタッフのかたが掃除をしていた。
ここで訊いておくべきなのか。
だけど、変だよな。
お金払って入ってきてるのに、いまさら「どうでしょう」というのも。
それなら、お金払う前に訊くべきのことだよなあ。
なんて、うだうだ考えてるうちに裸になってしまったので、温泉場へ向ってしまった。
スタッフのかたは気づいていたのかもしれないけど、あえて何もいわず、どこかへ行ってしまった。
平日だというのにお客さんはそこそこに多かった。
おばあちゃん、若い女性、そして家族連れ。
内風呂が、もんもんと暑く感じてきたので、露天風呂へ。
外は、周りがぐるりと木々に囲まれていて清々しい。
そして、目に入ってはいけない文字が、入ってしまった。
「サウナ」
目に入ったからには、どうどう。どうなのよ。
ということで、入ってみる。
やはり、もんもん。
こら、入ってはいけないトコだ、ということで早々に退散。
しばらく、露天、内風呂、とぷかぷかしてから、先ほどのサウナがたたったのか、頭がボーっとするので出る。
暑くて暑くて、こらたまらん。
だったのだが、ダメといわれている入れ墨さらして、ぶらぶらしてるわけにもいかないので、さっさと服を着て、
「あっついわー!あっついわー!」
連呼して、レモンスカッシュ飲んで、ビッグちゃん待ち。
でも、いったい、入れ墨ってなんなんだろうね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
本屋で働いてるから、ブログのタイトルを「アズヲ書店」とした。
のも、けっこう前の話である。
はじめは、旅のサイトを作った。
その宣伝に、ブログを作った。
しばらくして、今度はガクブチのサイトを作った。
ガクブチで本腰を入れようと思っていたから、こらまた、ブログで宣伝すればいいやと思った。
(たいして宣伝になっていないが。っちゅうか、関係ない話ばっかだもんな、このブログ)
ガクブチのサイトが完成したとき、ブログのタイトルを変えるかなとも考えた。
ん~、タイトルねえ。
「アズヲ・ガクブチ」ってしたら、サイトと同じでややこしい。
「ガクブチ日記」?ダサいうえに、いつもガクブチ作ってるわけじゃないから却下やな、これは。
↑ガクブチのサイトでは、このタイトル使ってるやん。
ダサいなんて、かわいそうやわ~。
そんなで、ロクに考えもせず、そのままのタイトルで続行することになった。
だが、ここにきて、またも。
おいら、本屋辞めてしまったがな。
そうだわ。
もう、本屋の人間じゃないのよ。
でも、アズヲ書店は気に入ってるので続行。
本の話しもロクにないのに。
勝手な書店だ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
かねてから行きたい・第二弾。
引っ越しした「のまど」に行きたい。
去年の夏に、吉祥寺から西荻窪に移転した「のまど」。
行こう行こう、行きたい行きたい、と思ってるうちにどんどん日は流れてしまった。
「のまど」とは、自分の本を置いていただいたときからのお付き合い。
あっ!!本、どうなってんだろ!
訊いてくるの忘れたっ!
今回はこれで行ったのではないんだ。
以前に、「移転してスペースがあるからガクブチ飾る?」というお話しを頂いていたのだ。
そして、しばらく放置。
(申し訳ございません)
というのも、どんな空間なのか見てもいないし知りもしないのに
「はい!はい!はい!飾る飾る!」
なんて勝手なこともいえないので、黙っていた。
そして、やっと見てきました。
新生・のまど。
かわゆくなってました~。
吉祥寺のときは、ビルの2階だし、旅行代理店の隣りというか、空いたスペースにというか、本屋というイメージはなかなかわかない本屋ではあった。
お世辞でも、かわいくはなかった。
でも、西荻窪は路面店だし、広さもちょうどいいし、室内の明かりも普通の本屋みたいに青白くなくて、やさしい色味。
木の本棚の、あったかい感じ。
で、店長セレクトのマニアックな本。
これは、かわゆい。
是非、アズヲ・ガクブチ置かせてください。
ということで、話しまとまる。
置くだけじゃない。
もちろん、売るだす。
詳細は、また、後日。
店長、セールス・トークお願いよー。
アズヲ本人いないから、店長の手腕にかかってるだよ。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
仕事を辞めたとて、いきなり日常が何か大きく変わるでなし、とりあえず眼科へ行った。
「1年以内に来て下さいっていったでしょうにー」
と、早々に怒られ、
モニャモニャ返答。
たぶん、またしばらく行かなくて、また怒られるんだろうな。
待合室でボヤーっと待っていると、
「○○あずささーん」
あ!自分と同じ名前の人が呼ばれてる!
ちらと見ると、かわいい人だった。
なんか、うれしかった。
続いて、
「□□あずささーん」(←おいらが呼ばれてる)
「ハイハイハイ」
すまない。こちら、おっさんぽい、あずささんで。
あずさという名に会うことは、滅多にない。
美しい名を与えてくれた親に感謝。
が、しかし、本人は、おっさんぽくなってしまいました。
どこでどう踏み違えてしまったんだろう。
おかしいなあ。
こんなはずでは。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
以前、入れ墨をいれるにあたって、持ち物の欄に
「ワセリン」
と、あった。
ワセリン。
なにそれ。
もちろん、買ったこともないし、使ったこともないし、それを何に使うのかも、さっぱりわからなかった。
「薬局で売ってます」
と書いてあったので、とりあえず薬局で探して購入。
入れ墨をいれる当日、もちろん持参したものの、そんなワセリンのことなんて一言も出てこないし、結局きくことも無く帰ってきた。
これはなんなんだろう。
何に使うんだろう。
わからぬまま日は経ち、年月流れ、いまだに未開封のワセリンが家にあった。
ボヤボヤしてると、使用期限切れてしまうで。
ということで、先日開封。
たんなる半透明の粘度の高い塗り薬みたいだ。
薬というより、クリームか。
よくわからん。
はて、これを入れ墨の何に使おうとしてたんだろうか。
こんなん塗らなくとも、入れ墨はなんのトラブルもなく定着してしまった。
しばし、開けられた状態のワセリンの前で考える。
むむむむむ。(←よくわかってない)
用途のトコに「肌荒れ」って書いてあるな。
ハンドクリーム代わりになるか?
とりあえず塗ってみる。
やっぱり、よくわからない。
でも、今日もまた使ってみよう。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
「木曽の寮まで、車で荷物運んでくれろ」
と、ビッグちゃんに頼んだ。
「のるかなあ」
「のる、のる、全部のる」 (←なんの根拠もなしに言い切る)
というのも、引越し業者に頼んでまで運ぶほどの荷物はない。
かといって、ヘボ吉くんにのせられるほど、コンパクトとは思えない。
というより、ヘボ吉くんでは木曽まで行かれない。
峠を越えられないだろう。
なんせ、ヘボ吉くん。
それより、何より、後ろのトランクが開かないのだ。
先日、たまたま車屋さんに寄る用があって、トランクがーといってみた。
んなことないでしょう。
って修理のおじちゃんは鼻で笑ったけど、あれ!開かないじゃん!!って。
だって、開かないんだもん。
ホントだもん。
さすが、ヘボ吉くん。
そんなわけで、ヘボ吉くんに荷物を積んで遠出することはできないということで、白羽の矢が立ったのが、ビッグちゃんだったのである。
最初に戻るが、ビッグちゃんの心配は、「のるか?」なのである。
自分ものるのるなんて、勝手にいってたけど、よくよく考えてみると、あれ・・・?布団って・・・?
のるのか?
保育園児のお昼寝布団セットなんてもんじゃあるめえし。
・・・・のるのか?
そこで考えた。
そうだ!!
よくテレビでやってる、布団ぺっちゃんこーっ!!
のあれだ!!
といっても、その、「あれ」の正式名称がわからない。
あれこれ検索して、行き着いたのが、これ!!
「布団圧縮袋」
きゃー、これよー!!
でも、値段が、ピンキリ。
なんでこうも、似たような商品で値段に開きがあるのか、全くわからない。
入ってる、枚数?
大きさ?
質?
周りで実際に使ってる人もおらんし、掃除機で、プーっと吸い込んで、「逆流しません!」って書いてあるけど、ホントに逆流しないの!?
ビッグちゃんの車の中で、布団パンパンに膨れてても、困るのよ、正直。
「のるのる」なんて、簡単に言い切ってしまった手前。
山道、ゴトゴト走ってて、
「うおーっ、アズヲー!布団破裂してるよーっ!!大丈夫っていったじゃーん」
ってなことに、なってもねえ。
おいらは、わーい、わーい、なんて浮かれてても、きっとビッグちゃんは、困るんだろう。
なんとかせねば。
布団を、なんとか。
懸念事項は、まだまだ続く。
次は、なんだろう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
自分は、無駄に面接が得意である。
「無駄に」というのには、理由がある。
必要最低限の面接の話し以上に、無駄話が多いからだ。
そら、関係ないだろ、な話しが盛りだくさん。
経歴をみると、意味のわからない空白期間があるわけで、これは何。
ということになる。
それは、旅なのである。
こんな長期間、何しに、どこへ。
なんて話しになってくると、本来の面接の話しは、どこへやら。
今回の木工の学校の面接然り。
盛り上がる。
盛り上がってて、どうする。
話しに花咲かせてる場合じゃないでしょう。
そもそも、面接が得意だと言いきれる理由に、人と対面しても全く緊張しないところにある。
さらに、相手の緊張もとくという荒技(?)が自分には備わってるのか、初対面の人ともお互い普通に喋っている。
そう、「お互い」というのが大切なのである。
自分だけ、勝手にリラックスして喋ってても、話しはスムーズにはいかないと思うのだ。
むかし、若かりし頃。
あるバイトの面接を受けに行った。
勤務地等、条件が合わなかった。
その場で、採用はないね、ということになった。
ものの、いろいろ喋ってたんでしょうね。
「お話しがね、面白かったです」
といわれて、その場を離れた。
面接で、自分は一体何を喋っていたんだろう。
面接の達人っていうより、ただたんに喋り好きなだけじゃないか。
・・・・・たしかに。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
用があって、塩尻へ。
とある、ビジネス・ホテルに泊まった。
見た目からして、、まず、ぼろい。
躊躇したが、予約してしまったし、まあ1泊だし、ということで扉を開ける。
夕方5時近くだというのに、受付、真っ暗。
ダイジョブか、ここ。
ヤル気あんのか。
もちろん、誰もいないので、呼び鈴を思いっきり鳴らす。
・・・・・・・。
誰も出てこない。
ダメだな、宿、変えるか。
と思ったら、そばにあったガラスの扉が細く開き、おばちゃんらしき人物の声。
「これで、2階上がってください」
隙間から、鍵が。
とりあえず、受け取って2階に上がる。
部屋は207。
そこに向うまでに、まず、廊下の床に誰のかしらず上着が落ちてる。
意味不明。
で、207と思しき部屋のまん前に、ボディー・ソープのナイーブが。
どん、と。
で、ドア、全開。
意味不明2連発。
もちろん、ナイーブは無視して部屋に入り、ドアを閉める。
外見同様、もちろん中も期待を裏切らないほど、ぼろい。
赤いじゅうたんが、汚れてどす黒く、ところどころ破れて穴が。
照明は不気味なオレンジ色で、昭和ノスタルジイー。
とんでもなく寒いので、暖房らしきものを入れるも、ちっとも暖かくならない。
風向口が天井を、黒くしてる。
おい、メンテしてんのかよ。
気が滅入ってきたので、テレビをつける。
つかない。
主電で、ぽちっと。
リモコンで、チャンネルを変えようとするも、うんともすんともいわない。
用を成さない、リモコン。
部屋が寒くて、コートも帽子もとらないまま、しばし、ぼうっとする。
ってか、ぼうっとなってしまうよ。
ベッドの片隅に、ちょこんって腰を下ろしてると、いきなりドアが開く。
得体の知れない、おっさんが。
「ほらー、これぇー、入れといてよー」
ドアの外にあった、ナイーブを持って突っ立っている。
「・・・・・・・・」 ←無言になる、おいら(そら、無言だよなあ)
その、ナイーブは、どうやらこの部屋のナイーブで、ワタクシが使うためのものらしい。
受け取って、バスルームへ。
こんなこと、客が来る前に普通はしとくやろ。
と思ったが、なんだか、もうどうでもいい。
それより、まだ部屋が寒い。
靴を履いたままなのに、つま先が冷たくて痛い。
あ~、飯をなんとかしなくては・・・
さむい。
さむい。
部屋も寒いけど、外はもっと寒いんだろな。
またもや、ぼうっとなる。
ここでは、意識をとばしやすい。
というか、とばしてるほうがラクなのだ。
現実を見ろー!
目の前を見ろー!
見たかないね。
また、しばらくすると、ドアがガチャガチャいっている。
おっさんが入ってくると、いかんので、鍵をかけておいた。
ドアが開かないので、どんどんってノックが。
なんだろって思って、ドアを開けた。
もう、ナイーブ受け取ったでしょうに。
また、さっきのおっさんである。
「あ、いたの?」
って、さっきから、いるでしょうに。
なんなんだよ、いったい。
ついでだから、暖房の苦情でも言おうかと思ったけど、なんか、もうどうでもいい。
おっさん、早く、どっか行ってくれ。
暖房そのまま入れたまま、買出しへ。
どうせ、買い物から帰っても寒いだろう、この部屋は。
この日の夕飯と、翌朝の分と昼食。
まとめ買いをして、いそいそ帰ってくる。
外は唇がちぎれるほど空気が冷たい。
よだれたれてても、感覚が麻痺しててわかんない。
そんな感じ。
ふー、さむいさむい。
で、部屋は案の定、寒いまま。
コート着たまま。
頭にマフラーを巻き、
靴は履いたままで、
ひざ掛け代わりに、バスタオルをかけ、
夕飯。
起きてても、ひもじくなるだけなので、10時ごろ就寝。
寒くて、何度も目が覚める。
こんな、ビジネス・ホテル。
どうでしょう。
1泊、4300円なり。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)

この子は、UFOキャッチャーとは関係ないピヨちゃん。
ゼンマイで動くすぐれものだ。
しかし、興奮してゼンマイ回しまくって遊びすぎたせいで、毛がハゲ気味に。
ビッグちゃんから、お遊び禁止令がでて、遊べない状態。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
私は、黄色くて丸いものに、どうも弱い。
その代表格が、ヒヨコである。
初めて、ヴィーナス・フォートに行ったときも(しばらく、ここがなんなのか、理解してなかったけど)、わざわざ、ここまで来ていながら、買ったものは、なぜか、ヒヨコのキーホルダー2つ。
さて、先日のことである。
ビッグちゃんと、ホームセンターへ買い物に行った。
屋上の駐車場から、店内に入ったエレベーター乗り場のわずかなスペースに、お子様向けのゲームといいますか、ガチャガチャやUFOキャッチャーが。
その、ひとつに。
黄色くて丸いものが。
赤いリュックサックなんぞ背負ったヒヨコのマスコットが、
みてる。
こっちを、みてる。
「・・・・・・」
「アズヲ・・・・、欲しいの?」
「・・・・・・こっち、みてる」(いや、みちゃいねえよ、単なる人形だし)
いまだかつて、ゲーセンなんて無縁の自分にとって、自分のお金を投入して、ゲームで遊んだことなんてない。
中学の頃か、とち狂って、友人の「行きたい」に促されて、一度だけゲーセンに連れて行かれたことがあるが、どこに立って、どう振舞っていいのか、必死で考え、変な顔してるうちに出てきてしまった。
ここを楽しいと感じ、そこで遊ぶ人の気持が、いまだにわからない。
そんな自分にとって、UFOキャッチャーも、かなり異質な存在である。
でも、ピヨに負けた。
「アズヲ、欲しいんでしょ」
「・・・・・・」
「1回だけだよ」
「やだ、やだ。やらない。絶対とれないもん」
「でも、欲しいんでしょ」
「とれないもん」
カチャ。
ウイ~ン。
勝手に始めてる、ビッグちゃん。
どう見たって、クレーンが、そのピヨちゃんには届かない。
届かなくても、果敢に挑戦。
こっち?こっち?
なんて試行錯誤してるうちに、ウイ~ンとクレーンが下がってきて、すーっと上がって、はい、終了。
あれ?
人生初の、積極的UFOキャッチャーでありました。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
自分のガクブチのサイトのアドレスは買ったものである。
azuoo.netというものだが、本当は、azuoo.comが欲しかったのだ。
もちろん、azuoo.comで申請したが、もう取得されています。
ということで、あきらめ、netになった。
ちくしょーと思って、そのazuoo.comを先に取ったのはいかなるサイトなのかと思ってアクセスしてみると、それは、香港の眼鏡屋だった。
azuooというロゴが、まるきり同じことに、ものすごい親近感をおぼえる。
「AZ」というロゴは見たことあるし、アルファベットの最初と最後を取って「A→Z」みたいな感じのものは珍しくはない。
しかし、「o」の数まで一緒の、azuooとは。
この、香港の眼鏡屋は、なにゆえ「azuoo」なのだろう。
非常に気になる。
が、コンタクトしたトコで、何になろう。
おいらも、azuooだよ。
だから、なに。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
雇用保険のことで、用があって職安に行った。
職安に行くのは、人生3度目だ。
1度目は、まだ東京にいた頃、渋谷の職安。
なつかしい。
2度目は、去年の夏前に、近所の職安。
ここは当然だが、東京ではなく長野の。
そして、本日。
とまあ、これぱかししか行ったことがないので、とやかく言うことはできないが、うちの住む管轄の職安はどうも評判がよろしくない。
初めて行ったとき、そのスケールの小ささに、まず驚いた。
入り口正面に受付があるのだが、順番があるのかさえ、ようわからん状態で、書類を渡したり、待たされたりする。
正直、全く、勝手が分からない仕組みになっているのだ。
部屋の中央には無秩序にソファーが置かれていて、どう座っても、前に座っている人と異常なほどの至近距離になってしまう、この置き方に、アタマを悩ます。
このソファーの周りに、いわゆる「相談窓口」があるのだが、席数のわりに職員がおらず、あちこちガラガラ。
でも、相談を受けたい人は、わんさといる。
どうなってんねん。
あと、この空間自体に広さがないので、ソファーで座って待ってる人と、相談窓口の距離が近すぎて、相談事項ぜんぶ筒抜け。
みんなで、情報共有。
ダイジョブだろか、こんなところで。
そんなところで、雇用保険の件で相談があったのだが、仕事紹介の相談ではないということで、受付のかたが受け付けカウンターと空いたテーブルを行ったり来たりして、説明をしてくれている。
のだが、ひっきりなしに受付に人が来るわけで、話はつねにぶつ切れ状態。
こちら職安の方から、書類は出しておきますから。
ということで、終了したが、ホントに任せておいていいのだろうか。
一抹の不安をかかえながら、帰路に着く。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
年末年始のぶっとーしの本屋は想像以上に厳しく、せっかくの連休、風邪で寝込む。
連休1日目は、クスリ飲んで、ただひたすら寝る。
深夜に、昼夕と寝てたのがたたって眠れず、テレビなんぞみてる。
かあちゃんから、寝なさい、と怒られ、眠くないが就寝。
連休2日目。
ためしに起きてみる。
まずまずな感じ。
調子にのって、ツェッペリンなんぞ聴いてみる。
浮かれて、アタマぶんぶん振ってたら、また具合が悪くなる。
寝る。
連休明け。
どうでしょう。
アタマぼーっとするけど、これからまた本屋。
それより、せっかくの連休、何もできなかったのが無駄で悔しい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
あらためまして、明けましておめでとうございます。
人様から頂く年賀状を眺めていると、皆様の成長がうかがえて、とても楽しい。
で、自分はどうかというと。
変わらんなあ。
簡単にくくってしまってはいけないと思うのだが、成長の段階で、結婚・出産というのは、やはり人生のきちんとした「節目」なんだなあって感じます。
若い頃は、そんなんどうだっていいって思ってたし、今もそんなではあるんだけど、親しい友人のそんな節目の姿を見ると、なんだが人事なのに、うれしいのだ。
中学の時4人の仲間でつるんでいて、20の頃に会ったときか
「こんなかで誰が一番に結婚するかねえ」
って話しになった。
で、自分が言い当てた友人が、やはり一番に結婚をした。
なんだろう、そういうものなんだよね。
なんとなく、そう。
とりたてて「こう」っていう理由はないんだけど、その人なりの姿を見てると、わかる。
で、自分に当てはめると、やはり見当違いの方向にむかって突き進んでるんだよねえ。
そう、だから、変わらない。
昔から、そんなだから。
あと、5年もすれば、きっと周りは今以上に変わっていくと思う。
目下の楽しみは、廃人1号の親父になる日と、廃人2号の結婚。
3号は、まだモタモタしてるんで待っててください。
でも、どこかで変わりたくない願望があるから、いつまでも変なトコに突っ立ってるのかもしれない。
ガクブチを連れて、自分はどこへ向かっていくんだろう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
年が明けました。
音楽です。
年明け一発目、何を聴くか。
いつからか、恒例のこととなってるのか、今年は、まず最初に何を聴きたいのか。
思いをめぐらす。
「静」か「激」か。
迷うことなく、ある音楽が身体を駆け巡ってる。
はい、決定。
カサビアン。
年明け一発目、これが聴きたかったんです。
CLUB FOOT、これです。
今年も、「激」です。
正直、「静」で始まることってないなあ。
今年も、だだだだ生きてくのか。
たぶん、そうなんだろう。
カサビアンの音楽は、ただひたすらカッコよくて、理由なんてない。
そういうんで、いいと思う。
カッコいいもんは、理屈抜きで、カッコいい。
一年の幕開けは、激しく。
大好きです。
今年も、よろしくお願いします。
音楽万歳。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
自分には、今一度訪れたい場所がある。
それは自分の通っていた幼稚園である。
しかし、今はあるのか?
そんな疑問からネットで検索し、今の幼稚園の姿を見て、行く気を失ってしまった。
あまりに、違うのだ。
かつて、自分が通っていた幼稚園と。
あの頃は、そりゃー子供は多かった。
にしても、デカイだろっていう敷地の中に幼稚園は存在した。
その敷地におさまりきらず、ちょっと離れた場所にもクラスがあったくらいだ。
しかし、今の幼稚園の姿を見ると。
あれ、なにこれ。
えらい、小さいんでないの?
小さいにもほどがあるでしょ。
入り口に立てば、全てが見渡せるぐらいのコンパクトさに。
いつから、こんなになってしまったんだろう。
子供が減っているという現実は知りながらも、どこかで幼稚園はかつてのままだろうって(アホみたいに)信じて疑わず、いつか、あの幼稚園に行ってみよう行ってみようって思い続けて、んん十年。
変わり果てた姿に愕然とする。
そんな変わってしまった幼稚園を訪れたところで、かつての自分の痕跡は跡形もないわけで、ただただ、呆然としてしまった。
変わらないものがあるとしたら、それはなんなんだろう。
物質的なものは、上手く修復したところで、やはりもとのままというのはありえない。
かといって、記憶だって、変わっていく。
なにか繋ぎとめたいものがあっても、それはスルスル抜け落ちるように、消えていくし、補完しながらも、消えていく。
しかし、消えていく記憶の中でも残しておきたいものはあって、その思いが過剰に強いがために、なにか作っているのかもしれない。
だから、無駄に必死なのかもしれない。
今回の件で、より、しみじみした。
物は、変わるんだなあって。
変わらないものって、あるんだろか。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

ミサンガのように、願かけしてつけていたわけではないけれど、9年間つけていた腕輪が、きれた。
トルコにいたとき、親しくなった子からもらったり、あげたり、露店で買ったり、そうこうしているうちに、10連ぐらいつけていた。
日本に帰ってきて、こら、さすがに日本風ではないな、ということで、1連を残してあとの物は外した。
その1連が、きれた。
特別に、なにっていうものではなく、ただ単にシンプルで日本にとけこみやすそうだったので、これを選んだ。
1年、2年は旅の後味が濃厚で、ついてて当然という感じ。
しかし、4、5年たってくると、これは、いつきれるんだろう。
と、思うようになってきた。
きれん。
なかなか、きれん。
まわりからは、
「このひも、化繊だから自然にはきれないんじゃない?」
と、いわれ、しみぢみ眺める。
でも、そんな、きれるも、きれないも、どうでもよくなってた頃、ふと、左手を見ると、
腕輪、ぷら~ん。
あんた、いつの間にっ!
いや、いつから、そんなになってたのよ!
おとといのことである。
「アズヲ、ほら!何か願かけしなきゃ!」
ビッグちゃんに、促されるも、
「・・・・」
「ミサンガみたいにさ」
「これ、ミサンガ?」
「え?ちがうの?」
「いやー、今まで、そういう気でつけてなかったからねえ」
「でも、なんか願いなあ」
「・・・・」← (一応、願ってる)
「きれないね」
と、ビッグちゃん。
そんな、すぐはきれないでしょう。
で、今朝。
なんも考えないで、ぼやぼや靴下なんぞはいていたその瞬間、きれた。
こういうのは、きれる瞬間、願うのか?
うっ・・・、靴下はいてた。普通に。
でも、きっと、叶うのです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
要りようがあって、証明写真を撮った。
とんでもなく写真うつりが悪いのは、このブログでも過去に書いたけど、ホントに涙が出るほど凶悪顔にうつりよる。
「誰これ」
って友人からいわれるたびに、自分・・・って。
今回も意を決して、ぶるぶるしながら、撮りに行った。
やだな、やだな。
絶対、変顔に撮れるんだ。
意外ときれいに撮れるよっていう、インスタント(?)というか、ブースみたいのに入って自分で撮るヤツで撮ってみた。
椅子が低すぎて、まず、写るはずの画面に、おでこしか入っとらん。
おお、そうか、椅子を上げねば。
回すのね。
はい、どれ、座ってみる。
あれ?
何も写ってない。
あ、椅子回すの逆なのか。
余計、低くしてしまった。
明らかに慌ててるぞ、この人は。
いままで入ったこともない慣れぬ狭い空間の中で、一人ばたばた。
隠しカメラがあったら、かなり面白い映像が撮れてると思う。
我ながら、そう思う。
さて、ばたばたしながらも、試しに1回パシャ。
確認画面。
これでもよかったんだけど(っていうか、早くこの空間から出たい)、欲が出て、もう1回撮ってみる。
あまり、さっきのと変わらん。
なんだ、つまらん。
でも、2回目のを選択してプリント。
待つこと、数十秒。
かとん、と出てくる。
見てみる。
なんだこれ、修正はいっとるんとちゃう?
自分でもビビるほど、自分が綺麗に撮れている。
いまだかつて、こんな美しい証明写真があっただろうか。
30をこえて、この撮れよう。
絶対、修正はいってるな、これ。
これ見てみー、と公開したいぐらいだが、そうでなくても過剰に「自己愛」を謳ってる自分。
余計に、それをあおる結果になってしまう。
だから、自粛。
遺影にでもするかな。
あ、ビッグちゃんに、くれようかな。
いくらで売ろうかねえ。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
手がゴム臭い。
くんくんくん(もういちど)
非常にゴム臭い。
さっき、ゴム手袋して、タイヤ洗ってたからだろ。
タイヤ洗ってるっちゅうに
「あっちゃん、タヌキ埋めるから」
と、かあちゃんが執拗に呼ぶ。
タヌキ、なにゆえタヌキ。
どうやら、2、3日前に車にはねられたタヌキが、道の向こうにいるらしい。
なんで、またビミョウな期間放っておくのよ。
「誰かやるかなって」
誰もやらんでしょう、このへん家ないし。
隣り、リンゴ畑、前、田んぼ。
誰がやるですか。
「お母さんさ、穴掘るからさ、あっちゃんさ、連れてきて」
って、なんで、ワタクシがタヌキ連れてくるですか。
最初は、ワタクシが死んだタヌキを抱えてくるということで話しが勝手に決まっていたが、それはさすがにへヴィーでしょうということで、一輪車に載せて連れてくるというワタクシの案で。
「案で」っていうか、普通、こうでしょう。
さて、タイヤも洗い終わり、タヌキの現場へ。
こてん、となって亡くなっておりました。
寒いので腐敗することもなく、カラスに見つかって、ついばまれることもなく、きれいな姿のままでありました。
ただ、なぜかあちこち、毛がハゲてるのが気にかかりましたが。
なんで、ハゲとるんや。
このあたりは、山というわけではないけど、たまにタヌキやキツネが徘徊している。
夜は、というか昼夜かかわらず、みんなスピード出して車を運転してるので、けっこう、動物がはねられている。
自分も、夜、仕事帰りに、タヌキやらキツネ、たまにニャンコに遭遇して、うれしくて車猛烈にバックさせて見に行ったりするが、ひくことはない。
車が少し近づけば動物は逃げていくし、道路でぼうっとしてる動物がいても、少し待てば、やはり逃げていく。
だから、こちらが少しでも動物に気がついていれば、動物たちは命を落とすことはないのだ。
はて、気づかぬほど、スピードが出てるのか・・・・
それとも、気づいてもスピードを緩めずに、突っ走るのか・・・
どっちにしても、畜生ヤローだ。
人でもない、動物でもない、アホやろーめ。
タヌキ、成仏してください。
なむなむ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
参加したわけではない。
出展したわけではない。
はじめて、デザイン・フェスタなるものを見たのだ。
まず、東京ビッグ・サイトっていうのは、でかい。
幕張メッセもでかいが、こっちもスゴイ。
おそらく、ガクブチを本格的に作ろうって思い始めた頃だから、3年ぐらい前だろうか。
その頃、このデザイン・フェスタなるものの存在を知った。
いつか行って見てみようって思いながら、月日は流れるもんで、今頃になってようやく見学。
今回、お会いしたことはないけれど、お知り合いの書家さんが出展されるということで。
こりゃ、いい機会だ!
これを逃したら、また月日は流れてしまう。
ということで、ガラス工房のあとは、ビッグサイトへ。
連続、アートな日々だったわけである。
その書家さんは、旅のサイトでリンクをはらせて頂いております、りんりんさん。
(りんりんさんのサイトは、こちらからどうぞ)
ビッグサイトは、とにかく途方もなくでかいので、出展者のそれぞれのブースに番号がついている。
地図片手に、探すも、さすが方向音痴の達人。
すぐ見つかるわけがない。
行ったり、来たり。
見つかったー!
ものの、お客さんがいらっしゃる。
図々しく入っていくのは、いけない。
しばらく、周囲をしつこく巡回。
遠くまで行くと、絶対迷って戻るまでに時間がかかりそうだったので、とにかく近くを巡回。
あの人、なんでまたぐるぐるしてるんだろ。
思われてたかもしれない。
お、誰もいないぞ。
てけてけ駆け寄る。
お互い初対面。
だけんど、自己紹介もそこそこに喋る。
制作のこと、展示の仕方のこと、デザイン・フェスタそのもののこと。
わずかな時間だったけど、実になった。
りんりんさんは、サイトの文章から、「やんわり」な人かと勝手に想像してた。
そしたら、想像以上に「凛」としていて、ステキなかただった。
ん~、ものを作るかたは、ステキよね~っていつも思うけど、やはり。
自分も、もっともっと磨いて磨いて、(ハゲるがな)ステキになるっぺ。
前半の見学は個人で。
後半は廃人グループと合流して見学。
廃人にりんりんさんを紹介しようかと思ったけど、廃人はいちいちいろいろがうるさいので、やめておいた。
廃人2号は図体もでかいが、発言もでかい。
放っておくと、あんたなに言ってんのっていう発言を普通にしてる。
気をつけねば。
「一体なにが表現したいんだか、わからん、おかしなことになっちゃってる人おるけど」
たしかに。
おったね、そういうの。
でも、追求しちゃダメだって。
廃人1号も、こらまたでかい声で
「これ、カオサンで売ってるよ~」
とか言ってるし。
こらこら、静かにしなさいって。
「Tシャツに5000円って、ありえない~」
とか。
こらこら。
たしかに、おいらも、そんな高いTシャツ買わんなあ、いらんなあ。
-デザイン・フェスタの感想-
作品を展示して見てもらうっていうよりも、売って買ってのフリー・マーケットの印象が強かった。
あの、ワイワイとした空間で展示をするとしたら・・・こら、考えなあかんなと思った。
ただ、目立てばいいのか?疑問。
なにを見せたいのか、なにを自分は表現する人間なのか。
そこんとこ考えて、空間を作らなきゃ意味がないかもって思った。(子供の学園祭じゃないし、自分は)
でも、一度はやってみる価値はあるなって。
なんでもそうだけど、実際自分の足を運んで、見て・感じてみないと、わからない。
勉強になった。
りんりんさん、ありがとう!
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)

ガクブチ展でコラボしたかたの、ガラス工房へおジャマする。
彼は、自宅の庭に自分で工房を作り、そこでガラスを吹いている。
おいらの工房は、なぜか寝室と同居していて、埃っぽいトコで寝起きし、ベッドに道具をひろげて作業をしている。
なにか、違うと思っている。
だから、年が明けたら、とりあえずベッドはどかそうと思っている。
さて、ガラス。
自分は、間近でガラスを吹く現場を見るのは初めてだ。
なもんで、見てるだけで面白い。
さらに体験までさせていただいた。
まず、廃人1号が体験。
(今回は、晩秋の廃人会もかねていた)
2回、挑戦する。
かなり、アバンギャルドな作品ができた。
続いて、廃人3号、アズヲさん。
1号の作業を見ていたから、それなりに工程はアタマに入ってたつもりなんだが、ごうごう熱い釜の前に立つとアタマ空白。
「水平、水平だって!」
ガラスを巻きつけた吹く棒を、上に持ち上げて、ボーっと立ってる。
声も耳に入らず。
行動も勝手。
見かねて、ガラスのお兄さんがある程度まで作業してくださり、なんとか、かたちにする。
かたちになったガラスは、あまりに普通にかたちになりすぎていて、廃人のあいだからは不満の声。
「アズヲさ~ん、もっと、アバンギャルドじゃなきゃ~」
いいの!
かたちになってて、いいの!!
釜でとろとろになったガラスは、見るからに柔らかそうで、いつまでもたらんたらんしてるのかと思いきや、そのたらんたらんの時間は、想像以上にわずかで、瞬く間に、ぐっとかたくなる。
金属のさい箸のようなもので、口をひろげたり、底を作ったりするのだが、グッグッと押し広げる、えいえいっと押し付ける感じで、それなりに力を込めないとガラスは動かない。
テレビで見てると、えらいとろとろしてるな~って。
でも、実際にやってみると違うんだなって。
物作りは、何にしても面白い。
最後は、廃人2号。
これが終わったら終わり?
と思いきや、ガラスのお兄さんは、自分のガラスを吹くからーということで黙々と作業続行。
あ、そう。
廃人。
静かに見てるわけがございません。
始終、世間話。
うるさい。
3人が3人、喋るから、うるさいうるさい。
隣りん家の犬がうるせえだの(おめえらの方が、うるせえっての)、きのこ生えてるー、食えるかなー、食ってみなあ。(ガラスと全く関係ない)とか。
放置されれば、されるほど、廃人は活気付く。
ガラス工房探訪・後半は、たんなる廃人ワールドでしかなかった。
ガラスのお兄さん、ごめんなさい。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
救出。
って、これ救出になってるのか?
ビロビロになってるじゃないですか。
ツェッペリンのテープー!
「出す」ボタン押しながら、ペンチで引っ張りだしたら、こんなになってた。
ヘボ吉くんはというと、別のカセット入れられて、なに食わぬ顔で、音楽流してる。
あんたのせいで苦労してんのよ。
なに、涼しい顔して、ボン・ジョビなんて流してんのよ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
生まれてこのかた、合コンなるものに参加したことがない。
20代半ばまで、本気で「どうコン」といっていたくらいの人間だ。
そりゃ、誘いもかからんだろ。
さて、なんで、「どうコン」と思い込んでいたんだろう。
おそらく、合同コンパの「同」なんでしょうね。
なんていって、「合コン」が合同コンパの略なのかも、実はよくわからない。
さて、なんで合コンなのかというと、実際、あれは楽しいものなのか、と思ったからである。
若かりし頃、仕事場の人といっぱい飲み会に行ったが、あれは、合コンじゃないのか?
楽しかったぞ。
飲みまくって、意識とばしたぞ。
巷の雑誌だ、テレビだみると、「合コン・モテ服」なんてことをいって、実に楽しそうに男女ともども、きゃあきゃあいっている。
自分は、ほー、となる。(←よく、わかってない)
もういっちょ、生まれてこのかた、モテ服なるものを考え、着たことがない。
おかげで、まわりから、「ステキだね、かわいいね」なんていわれたこと一度もない。
(ビッグちゃんは、なに着てても喜ぶ)
たまに会う人は、明らかに一歩退いてるし、なんでそんな服着てきたの?って顔をする。
そりゃー、意味不明な布巻くさ。
頭にだって、かぶるさ。
だから、モテ服がわからないんだろうか。
でも、おいらが、モテ服着たって、きっとみんな退くんだ。
そうそう、モテ服うんぬん、正直んなもん着たかねえ。
興味もねえや。
おいらが死ぬ前に一度着たいのが、「ピアノ・レッスン」でエイダが着ていた服。
禁欲的であるがゆえに、非常に官能的であるの。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
先ほど、車を動かしたら、かちょんかちょん、変な音がしている。
なんだなんだ、辺りを見回す。
非常に高速・高音。
ん、ん、ん?
まわってる。
まわってない。
空回り?
どうやら、カセットテープだ。
そう、ヘボ吉くんに搭載されているのは、いまだにカセットなのだ。
どじゃ、クラシカルやろ。
ちゅか、おそらくテープが絡まってる模様。
「出す」を押しても、いっこうに出てくる気配が感じられない。
「出す」、連打。
出ない。
早送り・巻き戻し、意味なし。
飽きたので、降車。
ヘボ吉くん、テープ絡まったままで放置。
ちょっと、アナタ、愛車なんでしょ。
もうちょっと、様子みてあげなさいよ。
最近、身近な人間のあいだでも、「ヘボ吉くん」という名が定着してきたようで、「ヘボ吉くんがさ~」というと、「あ~、あの、ボロい車」って感じでスマートに会話が進むようになった。
ちょっと、うれしい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
人のとらえる「景色」のありかたは、様々。
たとえばである。
自分がある地点に立ち、果てまで行ってみたいか、行ってみたくないか。
自分は、前者である。
ただ、行ってみたいのではなく、行って「見て」みたいのである。
あの、「果て」には何があるんだろう。
たぶん、何もないんだ。
でも、行って見てみたい。
以前、アイルランドの西の果て、アラン島に行ったことがある。
この島の果ては何が、どんな景色があるんだろう。
ひたすら、果て目指して歩いた。
あるものは何か、わかっていた。
海があるのだ。
わかっていても、歩き続けて、そして、到達。
絶壁に立つ。
やはり、あるのは海だけだった。
今回の、どうでもいい話は、そんな前者に捧ぐ。
「果て」族に捧ぐ。
先日、小海という町にある美術館に出かけた。
美術館の建物も、中身も面白く、楽しい時間を過ごした。
さて、帰りますか。
と、外に出た。
美術館の周囲も自然と馴染み、ひとつの大きな作品のようになっている。
ぐるりと見てまわる。
そんな景色の向こうにちらちらと見える景色が気になった。
ちょっと、歩いてみる。
おおお~、これは・・・!
となった。
なんてことはない。
山のひらけた景色の中に悠々と広がる畑の景色なのだ。
その畑の向こうに、黄に色づく木々が並び、さらに、緑の山がその背後に重なる。
それだけの景色なのに、それだけだからこそ、自分はわなわなと打ち震えた。
これだ、これが欲しかったんだ!
はっ!!となった。
長野に来て、5年。
あちこち見てまわっても、自分にとっての「景色」というものになかなか出合えなかった。
長野は自然が豊富で観光地としても有名で・・・
そんなだから、きっと、すぐ見つかるだろうって思っていた。
ヘボ吉くんで、走っても走っても、自分の欲する景色にはなかなか会えない。
まあ、こんなものか。
と、正直、あきらめ半分で思っていた。
偶然というのは、時機もあるのかもしれない。
重なったぞ、という瞬間の、びびびを感じ、ひとりで興奮していた。
その景色の美しさは、無駄のなさなのである。
言葉を変えると、何もないのである。
景色というのは、多くは人の手が入って生まれている。
この景色にも、畑を作ったという人の手が入っているが、それしかないのだ。
道はあるが、そこを通るのは農耕車優先で、あるのはその看板だけだ。
家もない。
店もない。
軽井沢のような商業的な看板が一切ない。
そして、畑に携わる人しか、そこにはいない。
静かで、ただ「在る」ということしかなく、それが自分にはうれしくて興奮した。
畑の向こうの林、あの中には何があるんだろう。
畑の果てに立って眺める景色はどんなだろう。
ボーっと眺めた。
探しに探して、やっと。
というわけではない、何気ない偶然。
そんな偶然の先にひろがる景色が、自分の欲している景色とは。
旅で絵を描く瞬間と似ているのだ。
旅先で、どこでも絵を描くか、といったらそんなことはない。
ここは有名な観光地だから、といって描くこともない。
今回の景色同様、はっとする瞬間があるのだ。
あ、ここで描きたい。
ここでなら、描けるぞ。
それは、他人からすればどうでもいいような景色なのかもしれない。
でも、自分の中の何かが動くのだ。
そして、その動いた結果が絵であり、何かになる。
今回の景色は、自分の中の何かが動いた。
ものを作る、気持ち。
ここで、作りたい。
そう思った。
そう思える景色に出合えたことに、自分はぶるぶる打ち震えるのだ。
また、行こ。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
トルコに滞在していたときに、好ましく感じたのが「お茶の習慣」だった。
長く滞在していたのもあって、外でのむお茶(喫茶店のような店)よりも、人様のお家でいただくお茶というものの方が多かった。
やたらヨーロッパ化したがるトルコだが(経済の安定?)、トルコはムスリムの国である。
イスタンブールや華やかな観光地は別として、小さな町や村は、やはりムスリムの慣習は根強い。
そんな中で感じるのは、外をひとりでフラフラしてる女性がほぼいないということだ。
女性は基本的に家の中にいることが多い。
というわけで、よく「およばれ」をしたものだ。
トルコ女性と、外で待ち合わせをして会ったり出かけたり、ということはまれだった。
で、必ずや「お茶」なのである。
お茶というのは、時間がかかる。
それがいい。
インスタントは、ない。
(あるにはあるが、インスタント・コーヒーの類はなぜか高級品扱い?)
まず、お湯を沸かす。
トルコのお茶ポットは二段式だ。
下の段でお湯を沸かす。
上の段に茶葉を入れ、蒸らしながら濃い茶を出す。
そして、チャイグラスに上の段の濃い茶を注ぎ、お好みの濃さにするために下の段の沸いたお湯を注ぐ。
で、小さな皿に砂糖がのせられ、手渡される。
「もっと砂糖いるか」
「そんなにいらんです」
「・・・・・・・・・」
トルコ人は、小さなグラスに入ったお茶に、たっぷりの砂糖を投入する。
なもんで、砂糖をほとんど入れない、おいらを見て、ちと腑に落ちないというか、不満な顔をする。
お茶と一緒に手作りのお菓子も出てくる。
トルコのお菓子は強烈に甘かったり、強烈に油っぽかったりするのだが、慣れてしまうと自然と美味い。
よく食べて、よく肥えていたものだ。あの当時は。
こんなトルコのお茶の習慣を思い出すと、自分の暮らしの中にも、そんなお茶の時間が欲しいなと思う。
基本的に、トルコ人は一人でお茶をのんでいない。
チャイハネ(お茶屋)に集る親父どもは別だが。
人が集ったり、ある時間になると、なんとなくお茶なのである。
それがいい。
ひとりでのむお茶は、つまらない。
自分は、お茶よりもコーヒーのほうが淹れてるーって感じがして、好きでこだわるときがある。
豆を挽いて、フィルターでとぽとぽ淹れるのだ。
最近はしない。
なんでかって、ひとりで淹れてひとりでのんでも、つまらないからだ。
「かあちゃん、のむー?」
「ああ?のむのむ」
「できたよー!」
1時間経過。
かあちゃん現れず。
どこ行ったに。
完全に冷めてるに。
「あっちゃん、コーヒー冷めてて、まずい」
そんなわけで、ひとりぶんしか淹れない。
でも、それなりの工程を踏んで、ひとりで淹れて、ひとりでのむというのは、なんかもったいない。
将来の夢は、ひとりじゃなく、茶を愉しむことである。
地味に着々と準備は進めている。
茶計画。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

タイトル:のびるオレ。
牧場には、牛ちゃんだけでなく、馬だ羊だ山羊だ、いろいろいるわけです。
で、うさぎ。
このひと、うさぎであります。
こちらに向かってのびているのが、両の足でございます。
のびすぎでございます。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
80年代というのは、自分にとって輝かしい青春時代である。
つまり、小学生の頃が、青春なのである。
85年なんてえのは、ピ-クである。
まあ、今もじいさんみたいな性格をしているが、幼い頃から、坊ちゃんじいちゃんみたいだった自分は、ませてるというより、老けてた。
性格が老けてた。
周りの子供たちと「文化」を共有できない点が、その性格をより色濃くした。
のかもしれない。
流行りの物を、自分は持つことができなかった。
ファミコン、然り。
「かあちゃーん。おいらもファミコン欲しいよ」 (←たいして、欲しくない)
「どうせ、やらんでしょう。買わないよ。目え悪くなる」
そんなやりとりで、我が家にはファミコンがなかった。
学校では連日、ファミコンで盛り上がってる。
たまに友人の家でやらせてもらうんだが、んな触ったこともないコントローラーいきなり渡されて、やれって。
どないするに。
この、ボタン。
Aとか、Bとか。
おぢさん、わかんないよ。
同時にボタン、ぶっぶっ押しよるから、前にも後ろにも行かん。
そうこうしてるうちに、終了。
で、
「あっちゃん、弱いからダメ~」
って。
なんやの、それもう。
そんなで、幼い頃から、周りから隔絶していくのは眼に見えてた。
で、隔絶してることに違和感がなく、独自の世界観なんかが確立しつつあったのが、この時代なんだと思う。
音楽は、洋楽を好んだ。(ちなみに、カセットテープ。レコードじゃないトコが、ダサい)
映画は洋画をみたがった。
小学2年あたりまでは、劇場版ドラえもんに執着していたんだが、どうしたって、親が連れて行ってくれないことに気づいたあたりから、ドラえもんはあきらめた。
80年代の映画は、子供が主役の映画が多かったように思う。
といったところで、いま思いつくのは、「グーニーズ」と「スタンド・バイ・ミー」だけなのだが。
そんな自分と近い年代というのもあって、楽しかった。
いまの映画、子供が主役の映画といったら、ハリー・ポッターだろうか。
でも、これは、ハリーというより映像やストーリーに重点が置かれ、正直、ハリー誰でもよかったんじゃないの?
っていうのは、ある。
逆に、スタンド・バイ・ミーは、リヴァー・フェニックスがいて、あの役があんなに輝いたんじゃないか?
って思うのだ。
そんな青春時代の映画やら音楽やらなんだが、世代がちょっと違うと、もうズレてるのだ。
ビッグちゃんと、おいらは6つ歳が離れている。
おいら、青春真っ只中のとき、ビッグちゃんはベビーなのである。
残念なことに、ビッグちゃんは、スタンド・バイ・ミーをみたことがない。
あれを見ずして、少年から大人になってしまったか・・・・
いやいや、まだ遅くないぞ。
純粋なビッグちゃんなら、いま見たってあの「キラメキ」はうけとれるだろう。
ということで、後日、「スタンド・バイ・ミーを見よう会」を決行。
さて、小学生の頃が青春時代だったおいらにとって、それに続く90年代は、暗黒の時代である。
ダークサイドな面が、意味もなく磨かれて、今にいたる時代なのである。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

掃除をした。
作るたびに部屋は散らかっていくのだが、そのたびに掃除なんてしていられない。
ということで、大がかりな掃除は展示が終わってからということになる。
半日がかりの大掃除。
そんななかで、ふと気付いた。
ガネーシャは、埃かぶらない。
なんでだろ。
インドで買った、サンダルウッドの精緻な作りのガネーシャだ。
神様だからだろうか。
生意気だ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
どうでもいいことである。
くだらないことである。
でも、気になって、しゃーないのである。
だから、書いてしまうのだ。
今まで、ひとり暮らしをしたことのない自分が、今、とても気になっているというか、こんななのかっ!と多少びびってることがある。
それは、隣家の音が筒抜けであるということだ。
ね、くだらないでしょう。
でも、気になって、しゃーない。
隣家というのは、ビッグちゃんの隣に住んでる人のことだ。
ビッグちゃんは、ひとり暮らしをしている。
1週間か、10日に1ぺん、おいらはビッグちゃんのところへ出かけて行く。
最初の頃、というのはビッグちゃんがそこに住むようになってから間もなくの頃は気にならなかったのだが、ここ最近、夏頃からだろうか、隣家の音がこれでもかいわんばかりに筒抜けなことに気付いた。
正直、びびった。
あ、今、歩いてる。
トイレ行ったね、ドアの音した。
咳してる。
想像にお任せするが、とにかくこれ以上の様々な音が逐一、もれなく聞こえてくるのだ。
ひとり暮らし用のアパートっていうのは、こんなにも壁が薄いのか?
みんな音が聞こえるくらい、そんなスカスカでいいのか?
大丈夫か?建築基準法やらなんやら。
見かけはそれなりに立派な建物なだけに、そのギャップにびびっている。
当のビッグちゃんはというと、
「なれた」
とのこと。
ちゅうか、東京でひとり暮らししてた頃の方が、ひどいトコはもっとひどかったよー。って。
でも、おいらが気になっているのは、隣りの音がこれだけリアルに聞こえるということは、こちらで出る音も当たり前だが、隣に届いているということなのだ。
なんで見知らぬ相手に、リアルに、おいらの声を届けにゃならんのか。
それが、気に食わない。
相手が聞いていようが、いまいが、これはおいらのプライバシーの問題なのである。
20数年、集合住宅、つまり社宅暮らしだったのだが、隣りの音で「気に食わん」と感じたことは一度もない。
ぼろぼろの社宅に住んだこともあるけど、ボロはボロでも壁はちゃんと厚かったのだろうか。
さすがに、山手線の線路脇に建つ社宅に住んでた時は、隣の家うんぬんじゃなくて、電車がうるさくてそれどころじゃなかったが。
隣家の音っていうのは、住んでみないとわからないだけに、難しい。
隣りの音が聞こえるから、引っ越そうというのは、現実としては厳しい。
お金、手間ひま、もったいない。
となると、人里離れた山奥とか、荒野に一軒、みたいなとこじゃないと、自分は暮らせないんだろうか。
どうでもいいことかもしらんが、くだらないかもしらんが、でも、おいらは気になるんだ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
友人のブログから、頂いてきたものです。
面白かったから、自分のにもはってみました。
本日のタイトルにあるとおり、女の人はホントに占いが好きなんだなーと思います。
女が占いにはまると同様、男はギャンブルにはまると、むかし何かで読んだことがあるようなないような。(どっちやねん)
さて、以下、コピーです。
↓↓↓↓↓↓
自分の気持ちがはっきりするかも。
このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたったの10分で願い事が叶ったそうです。
このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を貴方にもたらすでしょう。
約束してください。
絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。たったの3分ですから、ためす価値ありです。
まず、ペンと、紙をご用意下さい。先を読むと、願い事が叶わなくなります。
1)まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。
2)1番と2番の横に好きな3~7の数字をそれぞれお書き下さい。
3)3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味のある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同性の名前をかく)
必ず、1行ずつ進んで下さい。先を読むと、なにもかもなくなります。
4)4、5、6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さい。これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。
まだ、先を見てはいけませんよ!!
8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
5)最後にお願い事をして下さい。
さて、ゲームの解説です。
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
2)3番に書いた人は、貴方の愛する人です。
3)7番に書いた人は、好きだけど叶わぬ恋の相手です。
4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
10)そして11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。
これを読んでから、1時間以内にブログに貼り付けなさい。
そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。
もし、送らなければ、願い事と逆のことが起こるでしょう。
とても奇妙ですが、当たってませんか?
以上ですー。
ちなみに、11番の人生を表す歌が、ケミカル・ブラザーズの「Hey Boy Hey Girl」になってしまったワタクシの人生って一体なんなんでしょう。
まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦。
いいものだったら、信じればいいし、ダメならダメでそれでもいいし。
ふ~んって。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
そうだ、思い込め。
このアタマは、栗坊なんかじゃない。
そう、綾波レイだ。
綾波レイ。
綾波レイ。
ちなみに、近所の映画館でエヴァは上映しない。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
久々に髪を切りに行った。
季節に一回という感じである。
今回の切る動機は、ただ髪が伸びたというだけである。
あと、外出先で、乾かすのにラクだからである。
ガクブチ展をひかえて、のことである。
非常に、色気も何もなく、今回のアタマも、また「栗坊」になってしまった。
ガクブチ展だというのに、そんなアタマになってしまった。
そもそも、頼み方がおかしいのだ。
参考になるヘアスタイルの写真だの雑誌の切り抜きだの、そんなものはない。
席に着くや、
「とりあえず、切ってください。今回、短め」
以上。
そんなオーダーで切る方も切る方だ。
ちゃっちゃか切る。
おっさんが一人でやってる美容院で、こんなだと美容院というより、床屋だ。
でも、無駄な会話がなくてラクでいい。
おっさんは喋るのが面倒なので、テキトーにテレビをつけておく。
それ見て、お互いテキトーに喋ってる。
シャンプーも美容院だと、「熱いですか?」とか「かゆいトコありますか?」とか訊かれるんだが、そんなもん一切ない。
シャンプーしてくれとも何もいってないのに、勝手にシャンプー。
昨日、どうもこの栗坊が気に入らないのか、また自分でハサミを入れてしまった。
そしたら、より栗坊になってしまった。
ガクブチ展だっていうのに・・・
なにやってんだろ、おいら。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
先日、おいらの希望で牧場に行ってからというもの、ビッグちゃんは、今ちょっとした牧場ブームである。
今日は、天気がよかった。
夏風邪なのか、強烈な痛みのあったノドの不具合で、だらだらするオイラに
「アズヲ、牧場行こうかっ♪」
ぼくじょう・・・・
その響きは、オイラを魅了する。
オイラは、牛が大好きだ。
食うのではない。
ひたすら、見るのが好きなのだ。
かのインドでは、接近戦である。
非常に興奮した。
さて、そんな牛好きなオイラのことを知ってる、ビッグちゃん。
アズヲが、牧場といって、行かないはずがない。
というわけで、今日は牧場だ。
本日の牧場は、長野と群馬の県境にある「神津牧場」。
ここにいる牛は、白黒のホルスタインではなく、明るい茶色のジャージー牛。
オイラは、牛が放牧されて、どうでもいいような顔をしてる姿を見るのが好きなのだが、牛たちはどうやら乳絞りの時間らしく、牛舎に集められていた。
なんか、ワイワイ・そわそわした雰囲気が漂い、ぼやーっと眺めるといった風情ではない。
さて、牧場といったら、ソフトクリームは欠かせない。
早速、売店へ向う。
と、その店先というか、その入り口のところで、3歳ぐらいの娘っ子が、棒切れで、ちょいちょい何かをつかもうとしてる。
周りで、家族が「そんなトコでしゃがんで、何してんの」って感じで、彼女をせかす。
店の入り口ということで、辺りには人がワイワイしている。
なんだろうと思って地面を見ると、5センチぐらいの丸々に太ったイモ虫。
彼女は、それを捕まえようとしてるのか、ただ、棒でつつきたいのかわからぬが、とにかくイモ虫なのである。
じっと見てるオイラ。
普通に指でつかんで、ほれっと、その娘っ子に渡してあげようかと思った。
でも、待てよ、と考えた。
その娘の母ちゃんはじめ、周りのレディーたちが、絶叫する可能性は高い。
で、あきらめた。
ソフトクリームも無事食し、車に向う道すがら
「さっきのイモ虫さ、つかんで渡してあげようと思ったのよ」
ふむふむ
「でもさ、いきなり見ず知らずの人がさ、イモ虫つかんで、ハイって言っても、周りはビビるよなあって思ってね。やめたの」
ほほ~う
「毛虫はダメだよ。毛が生えてるやつね。あれは、刺すからね」
そう、そう
「イモ虫はね、平気だよ」
「丸々太ってたね。あれ、焼いて食べたら栄養満点だね」(←ビッグちゃん談)
なんだ、この会話。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
今、私の中でチェチェンが熱い。
んなこといってないで、ガクブチ作れって感じなんだけど、わかっちゃいるけど、熱いのだ。
さて、チェチェンといって、どれほどの人がこの国に眼を向けてるだろうか。
何年も前に、『コーカサスの虜』という映画を観た。
そのときは、そうか、こういう映画もあるのか、の程度で終わってしまった。
数年前、その映画をもう一度引っ張り出して、あらためて観てみた。
これは単なるお話しじゃない、現実に起きてることなんだ。
コーカサスっていうのは、チェチェンじゃないか!
紛争地、チェチェンが舞台の映画なのだが、物語は淡々と進む。
はじめて観たときは、ラストの場面も淡々とした感情でみていた。
おそらく、物語としてみていたからだと思う。
しかし、数年前、観たとき、ラストの恐ろしさとやるせなさに愕然とした。
本来、捕虜としてとらえたロシア兵を、チェチェンのある村の老人は、解放する。
老人から離れ歩いて行くそのロシア兵の眼の前に、まさに今、攻撃態勢というヘリが現れる。
もちろん、攻撃目標は、まず、その老人である。
そして、彼(ロシア兵)を殺さなかった村を攻撃するのだ。
彼をずっと見つめていた愛らしい少女も殺される。
村がひとつ、死ぬのだ。
映画は、ヘリが現れ、それを必死にとめようとするロシア兵の姿で幕は下りる。
でも、村が殺されることは、明らかだった。
どうしようもない現実。
これが、チェチェンなのだ。
今、チェチェン人の書いた本を読んでいる。
彼は、医者だ。
彼は医者として、自分に助けを求める人は誰でも差別することなく治療にあたる。
診療所が、ロシアの攻撃で爆破されても。
自分たち同胞を殺す立場のロシア兵をも助けている。
この本を読んで、わずかだが、チェチェンとロシアの古くからの歴史と確執がわかった。
争いの起こる理由も。
しかし、あまりに一方的なのである。
そして、この地の情報は隔離され、我々の眼に触れないように覆い隠されている部分が多すぎる。
今、チェチェンは、どうなっているんだろう。
ネットで得られるような情報じゃなくて、今の本当のチェチェンを知りたい。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
今日、健康診断に行ってきた。
そこの病院の患者さんは、じいちゃんとばあちゃんばかりで、かろうじてヤングはオイラ一人だけだった。
たまに付き添いで若い人が来てることもあるんだろうけど、今日の自分のいた時間は、ホントにじいちゃんとばあちゃんだけで、なんか混ざっちゃってスンマセンって感じだった。
去年から本社の指令で、遅番勤務の者は年に2回健康診断を受けるようにとのこと。
非常に面倒である。
遅番つったって、店から出るのは夜の11時で深夜ってわけでもない。
でも、健康診断だと。
さて、腰のヘルニア以外は相変わらず元気なんですが、最近手首が痛い。
中指曲げると、痛い。
腱鞘炎かちら。
夏休みに入って、ここんとこ忙しい。
あわてるからねえ。
まあ、だましだまし、シップ貼ってみてます。
さて、何度もアホみたいに繰り返し繰り返し
「本屋は重労働だっ!」
ということを訴えてるわけなんですが、どうしたことか、ちっとも筋肉がつかない。
おもてえ本かかえて、持ち上げて箱入れて、ひっぱって。
それを5年近く続けているのに、どうしてだろう。
これで、オイラもソフト・マッチョだぞ、なんてほくそえんでいたのに、ソフト・マッチョどころか、ソフト・デブ。
今日、体重測定したら、やっぱり1キロ増えてた。
なんかな、最近、食いすぎだって思ってたんだって。
困るにい。
でも、それより、腕が痛くて、そっちの方が困る。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「パートナー」というのは、どうもよそよそしい響きがあるように感じてならん。
それ相応の人が、さらりというとカッコええのかもしらんが、オイラがいうとダサい。
なんでか、ダサい。
ということで、今回からは、ビッグちゃんと呼ぶことにしよう。
(これもダサいか?)
ビッグちゃんと知り合ってから、もう2年以上が経とうかとしている。
自分はあまり変化ないのだが、そうだなあ、ビッグちゃんはちょっとずつ変化してるなあ。
と思う。
ビッグちゃんと知り合ってから、自分は「白」という色に強い意識と、畏れみたいな敬う気持と、憧れのようなものを感じるようになった。
それまで、「白」という色にはあまり意識は向かず、どちらかというと捉え方も肯定的ではなかった。
ものを作るうえで「色」というのは、非常に重要な要素だ。
また、色をとらえる感性が「白」を意識するようになってから、こまやかになった。
白の透明感。
白の深み。
白の清さ。
白の強さ。
白は美しい。
ビッグちゃんと知り合い、そんな「白」を自分の中にとり入れることで、作ることの「ハバ」はひろがったように思う。
そして白いガクブチを作るたびに、感性は研ぎ澄まされていくように感じる。
ビッグちゃんは、オイラを否定しない。
だからこそ、オイラは泳ぐ。
世間の荒波にもまれ、規制概念の中で息継ぎしながら、また深いところへずんずん潜っていく。
どんどん潜っていっても、どんどん高いトコへ飛んでいっても、ふと一息。
そこには、ビッグちゃんがいる。
あ、ガクブチ作ってこよーっと。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
道が混んでいなければ、ここから清里まで車で1時間そこそこである。
行きは、なぜか周囲トラックだらけで、それに阻まれ2時間ほどかかってしまったが。
夏休みになれば混み混みになるだろうし、この日に限って目覚めがよかった。
どうやら、パートナーがベッドから落ちて、それでもなお眠っていたらしく、自分は自分で一人でベッドを占領していたのもあって、よく眠れたらしい。
途中で、なんか寒いのと痛いのに気づいて、ベッドに戻ったらしい。
なんか、漫画みたいー!
落ちたの気づかないなんて!
そのまま寝てたんだぜー!(←自慢?)
と、翌朝、眼をキラキラさせながら語っていた。
で、片方は、探しもせず気にもせず、グーグー寝てるという。
で、よい目覚め。
さて、ワタクシは方向音痴である。
行きは問題なかった。
目的を済まし、さて、というところで
「小淵沢行きたい」
と自分、言い出した。
「ここから、近いんでしょ」
「近いよ」
ということで、お互いに道がわかってるんだろうということで出発。
途中で、あれ?ということで、パートナーが車を停めた。
アズヲ、道わかってるのかな。
わかってない。
なんで停まったかも、わかってない。
地図を見てみようということになった。
なんとかなるね、ということでまた走り出す。
アズヲのナビ。
「はい、まっすぐ、まっすぐ」
しばらく
「はい、まっすぐ」(←だんだん、テキトーになってきてるんで、相手も聞いてない)
そのうち
「アズヲ、地図見てると酔っちゃうから、見てなくていいよ」
「ゲロ出ちゃうか?」
ということで、ますますテキトーになる。
「そのうち、看板とかなんか出てくるから、へーきだよ」
走るも走るも、それらしきもの一向に現れず。
「アズヲ、どのへん?ホントに駅のそばにあるの?」
「13年前の記憶だからねえ。でも、駅のそばだったような気がするんだよ」
どんな気だよ。
ちっとも、見つからないじゃないか。
結局、駅前の観光案内所できいた。
案内所のおばちゃんのナイスなナビで、目的地に無事到着。
アズヲのナビ、全然役に立たない。
まあ、道には迷っても楽しい、清里でありました。
って、あんたら、どこいったのよ!
それはまた、次回~。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
目黒にある、とある寺が気になっており、ネットで検索をかけていたら、こんなもんが出てきてしまった。
「ネパール・チベット料理店」
むむむ、気になるじゃないか。
東京にいた頃、飲み屋にはしょっちゅう行っていたのだが、あえて調べて、珍しいというか面白いというか、まあそんな類いの店に行く機会は少なかった。
おそらく、ただ呑みたかっただけなんだろうと思う。
あっちゃこっちゃで呑んでるから、それなりにいろんな店知ってるのかなと周囲の人間は期待するのだが、全然知らないわけで、気づけばいつも同じような店で呑んでいたわけだ。
さて、こちら長野に引っ越してくると、レベルの高い蕎麦屋には事欠かないのだが、面白い店というのはない。
飲み屋は普通であり、レストランはファミレスである。
探せばあるんだろうが、ガイド片手に探しに探して行ったぞ!
っていうほど、気合の入る店は近所にはない。
べつに、毎日、ネパール・チベット料理が食べたいっていうわけではない。
でも、たまたま検索でひっかかったその店を見てると、否応なしに旅の頃を思い出す。
モモ食いたい。
そう思った。
モモとは、ネパール風の餃子である。
本当は、調べていたものは「寺」なんだが、いつの間にか、こっちにアタマは占領されており、次の東京行きに是非組み込もうかとまで思っている。
そして、この被害にあうのは、ワタクシのかわいいパートナーなのだ。
前回のトルコ料理もそうだった。
連れてかれた。
でも、トルコ料理は美味いので、とても満足そうだった。
今回はどうかしら。
モモ、どうかしら。
だいじょぶよね、きっと。
はい、けって~い。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
今日の地震で穴が開いたわけではない。
自分の住んでいるところは長野の、真ん中の東。
ここも、地震は来た。
でも、幼い頃から社宅の4階に住んでいたのもあって、高さがあると、まあよく揺れるんですわ。
そんなのに慣れてしまってると、そこそこの揺れには耐えられる身体になってましたね。
だけんど、地震は大嫌い。
だって、コワイもん。
さて、この家はとても暑い。
あんまり、暑い暑い言うもんだから、かあちゃんが
「壁に穴を開けよう」
と言い出した。
で、実際に開いてしまった。
この穴のおかげで、南側の窓から風が抜けるようになった。
これと引き換えに、ドアを閉めたって、音が筒抜けなのである。
階下の声や音はもちろん、この部屋からの音も。
んなわけで、部屋で悪いことできなくなってしまったじょ。
って、なにやってんだよ。
先ほど、ガクブチの材料をごそごそと探していたら、なぜかものすごく埃っぽい。
白い細かい塵のようなものが、そこかしこ、一面を覆っているのだ。
あれ、こんなに汚してたかねえ。
しばし、考える。
あ、この穴だ。
この穴、開けてから掃除してないや。
壁を削って出た木の粉がそのままのっていたのだ。
無頓着だなあ、自分は。
ちなみにこの部屋で寝ている。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
「あるがまま」を受け入れよう。
「あるがまま」で、いいじゃないか。
最近、そう思うようになった。
今までは、溢れる「怒り」で生きることを、好んだ。
怒りを正当化し、それを美化し、怒りを生きる原動力として自分の糧にしていた。
だから、ときに矛盾あり。
衝突は多々あり。
闘いは常に自分の内と外を取り巻いていた。
でも、ふとした拍子に、「なんだろう」って思った。
なんで、そんなに「怒り」を保持してなきゃならんのだろう、と。
もっと、素直になんでも受け入れればいいじゃないか、って。
いいものは、いい。
いやなものは、いやだ。
つべこべ、理由をつけずに。
あるがまま。
天気がいい日は、気分が晴れて気持ちがいい。
雨の日は、どよんってなる。
それを今まで、雨の日は思慮深くなる、とかアホみたいにカッコつけたこと言ったりなんかして。
思慮深くなんか、なんねえよ。
雨の湿気で、アタマふくらんで、気分さがんだよ。ばーか。
話は飛ぶが、私の姉は、今、歩くことができない。
壮絶な人生を歩んできた人で、おそらくこれからも壮絶なんだと思う。
しかし、姉に同情をしたことは、一度もない。
いつもだと、「そんなじゃダメだ」
と否定の言葉をかけてしまう。
良くなっても、また悪くしてしまうのだ。
繰り返してしまうのだ。
でも、否定したトコで何も始まらんなと感じたのと同時に、いつもと違う言葉が出た。
「歩けるようになったら、歩くってことを大切にしな。もったいないよ」
姉は足が痛くて、ふくれツラをしてた。
頑張るとか、努力するとか、励ますとか。
そんなんは、そのひと個人がすればいい。
そばにいる自分は、あるがままでしかないなって。
天気のいい日は気分がいい。
好きな人がいる。
会いたい気持ちがある。
日々、輝いている。
それでいいじゃないか。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
何の気なしに
「知ってる?ハニカミ王子って15歳なんだって!」
って、仕事場の本屋で言ったら
「ネエサン、いまさらかよ」
って。
やっぱ、おくれてるかの。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
先日、届いた郵便。

以前、めがねを買った店からのDMである。
「あずマ 様」
どちら様だよ、このヤロー。
ちなみに、ワタクシの名は「あずさ」である。
おもろいじゃないか、板垣め。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
ダイ・ハードじゃないけど、アナログ人間にとってパソコンっていうのは非常に厄介で困る。
えーい、壊しちゃえーって思う。
そんくらい、きらいだ。
先日、パソコンとモデムの間にいる「ルーター」とやらをはずした。
この、ルーターがウイルスからパソコンを守る壁の役割をしてたんだけど、それをはずしたら、あれ?ネットにつながらない。
うがーーーーっ!!!!!
深夜、どんなに再起動したって、配線の確認したって、つながらんもんは、つながらん。
うがうがうが。
そのうち、電源まで落ちなくなって、でも、寝たいんで、主電切って寝た。
翌朝、どうでしょう。
ということで立ち上げるも、まだかいな。
なおっとらん。
まあ、勝手にはなおらんでしょう。
そんなで、もう、アナログ人間には手におえないわけですよ。
サポートセンターみたいなトコに電話。
ううううう。
こっちもつながらん。
日曜だから、混んでるな。
おのれ、なめおって。
仕方ないんで、別の窓口にかけてみる。(迷惑なユーザー)
ここじゃないですって言われたら、それはそれでいいやってことで。(いいんですか、勝手ですねえ)
でも、そのかけたトコに、一通り説明したら、教えてくれた。
で、教えてもらったとおりやったら、何事もなかったようにつながる。
いや~、単純なことだったんですねえ。
だけど、その単純なものが見えてない。
自分にとっては、パソコンなるものは見えない&越えられない壁だらけだ。
ちなみに我が家でネットにつないだパソコンを使ってるのは自分だけなので、深夜にうがうが騒いでいてもみんな無関心。
クールよ、我が家は。
わかんな~い。
といったトコで、誰もわかんない。
で、結局、自分でやることになる。
壁は自分で越えなきゃダメなのね。
パソコンの調整してるより、木削ってる方が、全然わかりやすくてね。
自分向きなんだけどね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
愛車、ヘボ吉くんの話である。
先日、急に寒くなった。
家の裏に畑があるのだが、そこに植えたジャガイモが霜になったら大変だ。
ということで、急遽、霜よけ対策をとることになった。
仕事から帰ってきて、飯を食ってた時間にいわれたので、夜中の12時近くである。
おいおい、ちょっと待ってくれよ。
これから、やるのかよ。
やるらしい。
「あっちゃん、寒いから厚着してよ」
我が家は、別に農業で生計を立ててるわけじゃない。
の、わりに畑が充実しすぎているのだ。
困ったものである。
仕事から帰ってきて、夜遅いのに。
寒いのに。
なんで、畑行くのよ。
急いで急いでってせかすから、急いで飯食って、厚着して階下にいくと、そのまんまの格好でぽやんとしてるかあちゃん。
ちょっと、あんた。
なんで、ぽやんってしてるのよ。
あんたが、急げっていったんでしょがー。
懐中電灯、懐中電灯、騒いでる。
んなもん、あらかじめ用意しといて下さいよ。
そんなこんなで、畑へ。
5月半ばだというのに、足先が痛くなるほど地面、冷え冷え。
積んである藁をおろし、束をほどき、ジャガイモの植わっているトコにかぶせていく。
「今年は、いっぱい植えたんだー!」
自慢してなくって、いいから。
ホントに、いっぱい植えやがった。
気の遠くなる作業だ。
畑には、もちろん外灯なんてないから真っ暗なのである。
何も、見えにゃい。
作業、はかどらず。
懐中電灯2つじゃ作業、おわんねえぞ。
かあちゃん、藁をかぶす役。
おいら、ただバカみたいに灯り照らしてるだけの役。
突っ立ってるだけなので、とにかく寒い。
おまけにヒマ。
ヒマついでに、懐中電灯ちかちかしたりしてると
「あっちゃん、見えなーいー」
かあちゃんが、ぶうたれる。
「じゃあ、ここに懐中電灯置いとくから、自分で調整せえ」
といって、その場を離れると、何か気に食わないらしく、ごおごお騒いでる。
ちっとも、作業はかどらず。
無駄に寒い。
そこで、考えた。
車のライト?
ヘボ吉くん、出動。
隣りの人ん家のリンゴ畑とのハザマで、踏ん張るヘボ吉くん。
ってか、砂利の斜面になんて停められるから、ヘボ吉くん、斜め。
苦しい体勢であります。
でも、ヘボ吉くんのライトのおかげで、畑はうっすら明るくなり、作業はかどる。
ジャガイモ以外は、懐中電灯でなんとかなるということで、さて、ヘボ吉くんを戻すか。
ご苦労さん、ヘボ吉くん。
はい、戻ろう。
ぶすっ・・・・・
あれ、どした、ヘボ吉くん。
戻るんだって。
も1回。
ぽんっ!
ぽんじゃねえよ。
「あっちゃぁ~ん!ぽんっていったぁ~」
かあちゃんが、畑の向こうで叫んでる。
これは、どうやら、バッテリー上がった?
エンジンかけないで、ライトだけつけてたから。(あほ)
崖のハザマで頑張る、ヘボ吉くん。(崖といっても、1メートルぐらいね。しょぼいでしょ)
気の毒だが、そのまま放置。
朝になったら、車屋に電話や。
翌朝、早速、電話。
「もちもち、バッテリー上がりまちた」
充電か取替えか判断するから、もう1回エンジンかけてみて、とのこと。
はい。
キーをさして、ブルルってまわすねん。
ぶごごごっご
あれ、エンジン、かかるやん。
「はい、エンジンかかりました」
「・・・・・・・・・」
車のバッテリーって、上がったもんって放置しとくと下がるんだろか。
オーバーヒートじゃ、あるめえし。
でも、実際、下がってるんだよねえ。
軽やかに走ってますし。
ヘボ吉くんは、スゴイなあ。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
今回の東京行きは、とりたてて「何か」というのはない。
IKEAも突然、決めたようなものだ。
IKEAとは、スウェーデンの大型家具店(?)だ。
私は、こんなふうに捉えた。
無印良品
+
100円ショップ
+
ソニプラ
+
近所の大型ホームセンター
とりあえず、ひとまず、一通りの物は難なく揃えられますよ。
は、無印的である。
大量生産が成せる業か。
とにかく安い。
でも、よく見ると、かなりちゃちい物も多いので、よく吟味しましょう。
無印的ではあるのだが、それとの大きな違いは、とにかく色がポップで鮮やかなことだ。
ピンク、グリーン、ブルー。
そんな元気なプラスチック・カラーが輸入雑貨店のソニー・プラザを思わせる。
なんでも、自分でおやり。
の、DIY精神。
自分で選んで、自分で探して、自分でカートに積んで、自分で梱包して、自分で持って帰る。
ここは、大型家具のショールームではないのだ。
まず、店員は寄って来ない。
オススメやうんちくはない。
なんでも、自分でやるのだ。
近所のホームセンターと同じ。
さて、ここまで書いて、素直な感想は。
店がでかい。
本気で買い物に行くのなら、計画を練っていかないと、何度も同じところをぐるぐるすることになる。
あと、家具はパッと見じゃダメだなって思った。
ソファー、パッと見、あ、かわいいなと思う。
でも、実際に座ってみると、でかい。
これは、明らかに日本サイズじゃない。
本棚や机もパッと見、悪くない。
だけど、よく見ると、つるんつるんになってて、木の味はない。
なんとなく、すぐ飽きそうな素材感なのだ。
デザインではなく、手で触れる質感というか、今ひとつ味がない。
こうなると、別にIKEAじゃなくてもいいやって思うのである。
簡単にオーダーできる通販で充分?って。
はい、ここまで書いて、IKEAファンからは怒られそうですが、まだ続けますよ。
たとえば、一気に一通りの生活用品を揃えるとなったら、IKEAは非常に有効だと思う。
無印みたいに、こんなふうに揃えて、おいくらです。
の例が、たくさんあって、そんな風に揃えたい人にとっては、とても便利だし、ありがたいと思う。
あと、パーティーとか、これまた一気に同じものを揃えたいときも、かなり使える。
とにかく、食器やグラスや、もろもろの小物がみんな揃ってて、安いから。
でも、今使ってる物,今ある物を使いながら、足りない物をちょっとずつ増やしたり、減らしたりすればいいやの生活概念のある人なら、IKEAはあまり魅力的に映らないのかもしれない。
それが、私である。
べつに骨董だ、アンティークだ、こだわりがあるわけじゃないけど、物は永く使う。
一気に物を買い揃える衝動というか、全部新しくなきゃイヤなの!みたいな新鮮さはない。
ある物でいいじゃん。
そう思うのである。
そんなわけで、IKEA面白かった。
改めて、自分の生活や物に対する価値観が見えた気がした。
勉強になった。
もし、これからIKEAに行こうと思う人がいるのなら、
是非、平日に行ってください。
休日は、あっちでこっちでカートだらけになって、身動きとれないんじゃないでしょうか。
あの、でかい店が、人でいっぱい。
考えただけで、くたびれそうです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
何かしているという錯覚。
でも、実際、何もしていないのだ。
朝、起きる。
身の回りのことを済ます。
仕事に行く。
一日が終わる。
決められた時間と場所の、表面をなぞっていけば、一日は事無く終わる。
そこに、自分は「ガクブチ」というものが加わる。
ただ、最近思うことは、ガクブチに依存しちゃいないか?ってこと。
「何か」をガクブチにゆだねすぎているような気がする。
理想であるとか、こうなりたい・こうしたい、現実との折り合いであるとか。
見えない先を、無理矢理見ようとしてる。
ガクブチを作っていると、何かやっているという満足感を得る。
でも、それは錯覚かもしれない。
と、最近思うようになった。
だから、今は作っていない。
ガクブチ展は9月と決まっているけれど、ただ、作る作業になるなら意味がないと思う。
何が作りたいんだろう。
ではなくて、作りたくなったら作ろうと思ってる。
時間はないかもしれない。
ぎりぎりで間に合わなくなるのかもしれない。
だけど、作業じゃダメだ。
明日、東京に行く。
取り立てて用はない。
「トルコ料理食べたい。」
その一言で、東京行きが決まったので、それ以外の事はほとんど決めていない。
ただ、ひとつ、展覧会に行こうか。
それくらい。
いつもは、ハードスケジュールである。
行きたい場所をいくつもピックアップしておき、それをひとつずつ見て回り、画材や材料を買いこみ、人と会う約束をして、わずかな時間でも語る。
時間がまだあれば、映画をみて本屋めぐりをして、CDを物色して。
分きざみで、物事が進んでいき、わずか2日間の東京行きは常に過剰なのだ。
今回は、これはやめようと思ってる。
もっと、ボーっとする時間ばかりでいいやと。
「有」であることに慣れてしまうと、それが「良い」ことであるかのように錯覚してしまう。
有ればいいのか?
違うだろ。
無くたっていい。
それも錯覚なのかもしれない。
でも、「無」に近くなりたい。
雨の東京で、ボーっとしてたい。
アホかと思われるかもしれないけど、ぼんやりしてたい。
人と会って多いに語ったり、たくさんの刺激とか。
そんなん、今の自分には、いらないや。
ただ、ボーっとしたい。
そしたら、作りたいって思うのかな。
わかんないや。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
我が愛車・ヘボ吉くんが修理から帰ってきた。
先日、何事もない休日に、買い物から帰宅。
さて、車、停めるか。
のそのそと、車庫に入ろうとすると
隣りに停まっていた、かあちゃんの車がいきなりバックしてきた。
かあちゃんは、後ろにヘボ吉くんがいるとは思わないし、私はまさかバックしてくるとは思ってもいないから、お互いしばし呆然。
かあちゃんの車は当てた側なので、被害もそれほどではなかったんだけど、ヘボ吉くんたるや、後ろのドアがベッコンベッコンになってる。
ドア開くんかしら。
べこっ。
あ、開くには開くのね。
って、誰がこんなベッコンベッコンになった車のドア開けて乗るよ。
お、おいらは乗るよ。
だって、動くもん。
確かに、ぶつかっただけなので、ヘボ吉くんは動く。
とりあえず、ドアもはずれなさそう。
でも、この凹み、板金だと強烈に金がかかるから、交換できるドアを探そうってことになった。
ということで、しばらく、この状態のままのヘボ吉くんが、軽やかに一般道を駆け抜ける。
かあちゃんからは、みっともないといわれ(あんたが、当てたんでしょが)
友人からは、いい加減買い替えなよといわれ
それでも走るよ、ヘボ吉くん。
そんなヘボ吉くんが、修理を終えて帰ってきた。
左半分、塗装されたもんだから、異様にピカピカ。
右に回ると、ぼろ。
修理の間お借りしていた代車は、ターボつきなので速度がビュンビュン出るのだ。
10万kmも走ってるのに、だ。
生意気だ。
さて、ヘボ吉くん。
よ~し、久しぶりだぞ~。
行っくぞ~。
・・・・・・・・・・・。
あれ、遅いな。
相変わらず、のろのろ。
速度でねえなあ。
代車の生意気なスピードに慣れていたので、ヘボ吉くんのとろさが露骨である。
ヘボ吉くんとの対話は、ときに無言になる。
さ~、しゅっぱぁ~つ!(←勝手に意気込んでる)
・・・・・・・・。(ヘボ吉くん、無言)
はい、オーライ、オーライ。(←バックしたい)
・・・・・・・・。(ヘボ吉くん、バックしてくれない)
まあ、こんなではあるが、ヘボ吉くんは愛車なのである。
10万kmまでは、乗っちゃる。
それまで、もつだろか。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
アツモリに続き、またも追加してしまった。
なんなんだ、このブログは。
なにが言いたいんだ。
まあ、別に大したこと言ってないから、いいんだけどね。
今回は、「さすらいペット」なるものを追加。
この鳥、旅をするのだ。
現在、飛んどります。
今回の旅地は、大阪です。
旅の友に会いに行け、鳥よ。
次は、群馬にするか。
廃人仲間、制覇ってことで。
っちゅうか、二ヶ所で制覇ですか。
いや~、友が少ねえなあ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
私は、おくれている。
明らかに世間から、ズレている。
今頃、騒いでいるのだ。
「100スキ」に。
この前、本屋でたまたま見つけた本が実にかわいかった。
とても小さなフライパンで作る料理のレシピ本なのだ。
へえ~、100円ショップで売ってる鉄製のフライパンのことを略して「100スキ」っていうのか。
こんなもん、初めてみるよ。
それで作る料理はサイズに似合わず、とても本格的。
どうやら、鉄製というのもあって、よく火が通るらしい。
これは、スゴイ。
よし、隣りの100円ショップに行って、この100スキとやらを買ってこよう。
本屋の隣りの隣りに、100円ショップがあるのだ。
あれ、あれ?ないや。
どうでもいいフライパンはあるけど、100スキがない。
しょぼ~んとして本屋に帰ってくると
「ネエさん、あそこ、ちっさいから。もっと、大きな店行けば、あるよ」
「・・・・・・・・」 ←まだ、しょぼ~んってしてる。
どこにでも売ってると思ったから、落胆も大きかった。
それに、こんなもん、べつにみんな知らないだろうって思ったら。
なんとっ!
テレビでも紹介なんてされちゃって、大人気っ!
売り切れ店、続出!
在庫なし!
入荷未定!
って、ことを今さっき知った。
ホント、おくれてるな、自分。
しみじみ、そう思った。
明日、大きな100円ショップに行ってみよ・・・・。(かなり消極的)
あるかなあ。
今さら、言ってんだもんな、自分。
おそいよなあ。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (1)

たとえば、物は困るのである。
鞄だとか、香水だとか、アクセサリーだとか。
そういうんじゃない。
物でつったり、物でつられたり、物で繋いだり。
贈るっていうのは、物じゃなくていいんだ。
「気持ちだよ、気持ち。気持ちを贈りゃいいんだ」
って、ある人にいったことがある。
花は時が経てば、枯れてしまう。
それでいいんだ。
美しい。
食いもんは食べてしまえば、なくなってしまう。
モグモグ、美味いな。
うん、それでいい。
本は読んでしまえば、読み終わってしまう。
でも、心には何か残る。
だからこそ。
音楽は、手に残るものじゃない。
だけど、強烈な原動力になる。
糧になる。
ありがたい。
贈られて嬉しい物は、手に残るかたちなんてなくていい。
でも、そういう物こそ、くっきりと残るのだ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
先ほど、何気なくプロフィール設定のページを開けてみた。
プロフィールは、このブログを設置してからというものの、変更も点検も何もしてない。
どれどれと見てたら、あれ?
性別が「男」になってる。
今まで、気付かなかった。
性別や生年月日は、もちろんブログ上では公開されてないんだけど、それにしたって、あなた。
ということで、ちゃんと変更しておいた。
まあ、どっちだっていいんだけど。
ロンドンのでっかいギャラリーで、出口探してウロウロしてたときのこと。
警備員のおじいちゃんが、にこやかに、なぜか自分を案内している。
ついていってみると、
「は~い、ジェントルマ~ン。」
男性トイレの前だった。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
といっても、自分ではない。
なんだよ。
ワタクシの連れが、である。
ちなみにワタクシ、いまだに一人暮らしをしたことがない。
一人旅が一人暮らしに該当するもんだと、勝手に思い込んでいる。
自分のくだらない基準の中で、一人暮らしもちゃんとできないような人とは一緒になれんっていうものがある。
実に自分勝手な基準だ。
たとえ、性格が良くても、仕事ができても、一通りの身の回りのこと・自分のことができん人は、自分にとって重いのである。
私がなんでもやってあげちゃう!
そんな女性なら、そんなこと絶対思わないのかもしれない。
でも、自分はそんなんじゃない。
さて、そんな一人暮らしの考え方って、男と女では違うのだ。
最近、集中的にそのことを訊いてたから、みえてきた。
家から仕事場に通えて何の問題もないのなら、そのまま家に居ればいいじゃん。
っていうのが、男性の考え。
逆に、家から通えようが、なんだろうが、いい年した男が一人暮らしもできないっていうのは、どうなんだろう。
っていうのが、女性の考え。
自分、一応女なんだろうな。
後者の意見に納得した。
しかし、自分はぬくぬくと家に居るのだが。
なんていうわがままな。
でも、来年はここにいるかどうかわからない。
こんな状況だからこそ、一緒に一人暮らしではなく、二人暮しを始めることは断念した。
自分が落ち着いたら、一緒に。
それでいいや、と。
まあ、それにしても、暮らすっていうのは、いろいろと大変である。
ここ連日、ガクブチを作りながら、その合間は通販のカタログを熟読している。
テキトーに、やっつけでしょーもないもん買われても困るし、はたまた必要のない台だの棚だの買っていても困る。
必要最低限のものだけあればいいだろう。
それが、アズヲ・ポリシーである。
旅と一緒。
なもんで、連日、私が相手に送るメールは「あるか、ないか」のメールで非常に色気がない。
あるもんは極力、持ち寄る体制なのだ。
買ったら、もったいない。
とにかく、もったいない。
これに尽きる。
今度、私が持っていくのは、座布団と鏡である。
座布団なんて、クッションとか買えばいいじゃんって思うかもしれない。
でも、座るにはおざぶなのである。
おざぶで充分。
一人暮らししなー、なんていいながら、もろ干渉しまくり。
たぶん、部屋が落ち着くまでは、あーだこーだ、うるさいんだろうね。
最初にその部屋に行ったときは、ベッドと勉強デスクしかなくて、そのあまりのがら~んに、愕然。
次に行ったときは、テレビが部屋の真ん中に置いてあって、意味がわからなくて、愕然。
でも、それなりに努力してる様子がうかがえて、かわいいのだ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
ひとつの場所に落ち着いてしまうと、腰が重くなってしまう。
なれてしまう。
こんなもんだろうと思うようになってしまう。
今の仕事場がそうだ。
確かに、足りてない人数で店をまわさなくてはならないので、忙しいしラクな仕事とはいえない。
でも、年月の積み重ねで、ラクになってしまったのだ。
身体ではなく、気持ちが。
18歳以降、引越しの繰り返しで、そのたびにやっていること、いる場所においての考え方もめまぐるしく変化していた。
変化するのが当然の状況に、あえて自分を置いていたような気さえする。
しかし、長野に越してきて、今の仕事についてから、どっぷりである。
不満はない。
だけど、これだけじゃないだろって、フツフツと思うようになってきたのだ。
ここで、これぱかしで落ち着いて、どーする。
ガクブチがある。
それだけで、気持ちを正してる部分もある。
でも、もっとできるだろ。
そう思うようになってきた。
去年の秋頃からだ。
漠然としていた「もっと」が、おぼろげながら、かたちとして見えてきた。
ここで逃したら、なんだかずっと、どっぷりなまま、今の仕事をしながらガクブチを作ることになる。
ラクだけど、ラクだから、これを選んだわけじゃないだろ。
もう一回、洗い直してみようと思った。
潔く。
今まで、なんとなくやっていたことも、手にしていたものも、するっと放して。
生温くなってしまった自分の身の回りの空間を、洗い清めるためにも。
そうなると、ラクじゃない。
でも、いいと思う。
そんななかで、ホントに「ガクブチ」っていうんなら、きっと自分はガクブチなんだろうって思う。
ただ、なんとなく作ってるものなら、作ってることに意味はあるんだろうか。
ないと思う。
だったら、意味のあるものを作りたい。
来年の今頃、洗い直すための第一段階の結果は出る。
それまで、自分は本屋で働く。
どんだけ、文句をいったか。
それでも、何も改善されることのなかった本屋。
でも、ここが好きだ。
クソッたれ、本屋。
だからこそ、好きだ。
最後まで、モーレツに店をまわすぞ。(このくらい気合入れないと、動かないデブちん本屋)
苦情だらけだけど、それでも客は来る。
そんな客のためにも、デブちん本屋で最善を尽くそうと思う。
そして、自分を洗い直しに行く。
「アナタ、入れ墨むき出しにして、なに突っ立ってんのよ」
昨日の健康診断にて。
1月は1年に1回、仕事場の健康診断があるのだ。
一通りの健診を終えて、最後は内診なのだが、一人ずつカーテンで仕切られた個室(?)で上着を脱いで順番待ちをする。
なにもそんなに脱ぎきらなくてもいいのに、タンクトップ一枚になって突っ立っていたのだ。(アホ)
そこへ、次の順番の本屋の仲間が入ってきて、の一言。
確かに、入れ墨むき出しにして、おれ、なにしてんだろ。
そんな姿であった。
去年は散々だったけど、今年の健康診断は、まあよい結果出るでしょう。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
はて、ふと、考えてみましょう。
みなさま、人といるとき、その人のどちら側に立ちますか。
あるいは、どっち側に立っているときが多いですか。
3人以上だと面倒なので、1対1の2人のときを考えてみてください。
ワタクシは、圧倒的に右側に立っています。
クセというか習慣というか。
顔も身体も、左を向きやすいようです。
カバンや荷物を右側に持つクセもあるので、自分の右側に人が来るとカバンがあたってジャマくせえので、やはり自分が右側に立ってしまいます。
でも、実はこんな立ち位置にもマナーがあるんですよね。
右、上位。
左、下位。
そう、だから、お偉いさんと歩くときやならぶときは、その人の左側にいるのがマナー。
んなこと知ってるよ。
常識じゃん。
ってまあ、そんな息巻かんと。
じゃあ、なんで、いきなりこんな話を持ち出したかというと、男女の並びもこれに倣ってるのが多いなって思ってね。
男、右。
女、左。
しきたり、マナー、うんぬん抜きにして周りの男女を眺めていても、やはり、男、右。女、左。が圧倒的に多いのである。
自分、ヒマだよね。
道を歩いてても、ボヤーっと突っ立ってても、仕事してても、そんなん見て統計とってんだもんなあ。
ちゃんと、仕事してくださいよ。
で、自分に当てはめてみると、右。なのである。
連れと一緒に歩いてて、自分が上位の位置にいるなっていうのは、ずっとわかっていた。
でも、自分のクセもあってか、気付くと右に立ってしまう。
いやいや、男性に上位に立ってもらいたいぞと思って、こそこそと左にまわっても、今度は連れがこの位置が気に食わんのか、また私が右に立っている。
右を上位と考えたとき、なんで、右なんだろうって。
それは利き手に関するのか?
なんて考えてみた。
右に立ってみる。
隣りにいる人と手をつなぐとなると、あいた手は右である。
右が自由。
たいていの人の利き手は右である。
右があいていたほうが、便利である。
んじゃあ、左に立ってみる。
手をつなぐと、右手がふさがってしまう。
ちょっとした自由が奪われてしまう。
右の相手に任せることになる。
これは利き手が右の場合。
私の利き手は右である。
しかし、連れの利き手は左なのだ。
この考えからいけば、彼としては左手を自由にあけたい。
そうなると、自分は左に立ち、相手を右側に立たせたい。
世間では下位である左に立ってる方が、彼としては上位なのかもしらん。
でも、隣りにいる私の左手をつないでいるとなると、わたしの利き手である右手は自由。
お互い、それぞれの利き手が自由なもんだから、歩き出すと、あっちだこっちだ、行くのかもしれない。(特に買い物のとき顕著にあらわれる)
さて、あなたはどっちに立ってるだろう。
その立ち位置は意識してのものか?
それとも無意識なものか?
意識しだすと、なんでも、くだらねえことでも面白い。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
どうでもいいようなことだが、フーバスのボーカル、ダグは日系だ。
んなもんで、お顔は日本人だ。
しかも、とても、ぽややんとしてる。
あんな激しいうた、激カッコよろしくうたってるとは、とうてい思えない。

ダグちゃんだよ。
さて、こんなダグちゃん、じゃねえや、フーバスを初めて知ったのは、タワレコにて。
新しいアルバムの横で、PVが流れてた。
耳から入ってくるのは、非常にカッコええ男前なうたっス。
んで、横みると、何これ。
誰これ。
なに、このぽややんとした人。
う、うたってる・・・
衝撃でありました。
そのときから、ワタクシは、このフーバスの虜です。
あと、もひとつ、このダグ。
誰かに似てる。
誰だろ誰だろ、考えたら(あんま考えなくてもでてきたが)、旅の腐れ友、ミネさんだ。
ミネさんとは、ホント腐れ縁だ。
ヨーロッパで出会い(何度もいたるトコで遭遇。キモチ悪い)、トルコで再会し、タイでまた会う。
しつけえんだよ。
しかも、ワタクシの極悪な点、隅々まで知っている恐ろしい相手なので、あんま酷いことは言えないのだ。(言ってるが)
でも、まあ恐ろしいといったトコで、確かに言ってはならぬことを言ってはならぬ相手に暴露しやがって、てめぇーって事態になったことはあったけど、いい友です。
そして、そんな友がダグに似てるっていうのは、なんかほほ笑ましい。
こんなミネさんとは、音楽ネタで、地味によく盛り上がる。
旅のときもそうだった。
先日、久々にお会いしたときも、出るんです、音楽ネタは。
今、なに聴いてるーてな感じで。
その話をしてるときのミネさんは、前のめり的に、どどどってな具合なんだが、話が変わるやいなや、すーっと後ろに下がる。
あ、話変えちゃった。興味ねえか、他の話は。
そんなわかりやすい相手。
旅の中で、よくおぼえてるのは、ハンガリーにいたとき。
バスで遠出した。
そんで、街に帰るバスの中で。
途中、バスが休憩か何かで停まったときだ。
ミネさんだけ降りて、なぜか私にアイスを買ってきた。
頼んだ記憶も、食べたいっていった記憶もない。
なのに、ミネさんはバスを降りて、なぜかアイスを買ってきた。
その理由がいまだにわからない。
自分、よほど、不機嫌だったんだろか。
なんか食わせろ、このやろお、みたいな顔してたんだろか。
全然、おぼえがない。
たぶん、ミネさんに訊いても
「そんなこと、ありましたっけ~」
っていわれるのがオチだ。
たぶんじゃなくて、絶対おぼえてないだろう。
そーいや、ワタクシの愛する人も、急にアイスを買って、ワタクシに食わせてくれたことがある。
なんで、アイスなんだろ。
あけましておめでとうございます。
去年の暮れ、31日から年が明けて3日まで、ぶっ通しで仕事でありました。
正月太り?
それどころじゃありません。
デブる~?
おそらく、やつれました。
さて、そんなおデブちゃんは、どうでもいいんです。
いま、ワケあって、数学の勉強をいたしております。
なんで今さら。
と自分でも思うのですが、しょーがない。
最初は、高1レベルの数学と思って、こりゃあ、まずいなと渋っていたのですが、あらためて問題をみてみると高校入試レベル。
お、これだったら、なんとかなるかもしれない。
と思ったのですが、いざ向かい合ってみると、なにがなにやら。
ちっとも、なんとかなってないじゃないですか。
見覚えはあるんです。
解いてた記憶もあるんです。
じゃあ、解いてみるかってなると、何をどう解くと答えなの?
そんなレベルなんです、自分が。
愕然としました。
素因数分解。
言葉は知ってる。
なんか分解すりゃいいんだよね。
で、分解した結果は?
それが答えなの?
それでいいんだっけ?
二次関数。
放物線に直線が。
なに、この線。
わけわかんない。
式を表す以前に、直線が出てきてる意味がわからない。
こんなで、大丈夫なんだろうか。
さっき、いよいよ、『√』がでてきた。
おっ、数学やってるって気がしてきたぞー。
解説も読むんだが、その解説がイマイチわかんない。
なんで、いきなり飛躍すんのよー。
っていうのが気に入らなくて、自己流に解釈して、勝手に計算してみる。
それでも、結果の答えはあってたりするから、まあ、いいか。
みたいな。
相変わらず、テキトーである。
そのうち、いやになった。
飽きてしもた。
で、ブログに逃避。
中学まで、数学の成績は、すこぶる良かった。
それは、小学校の頃から、「さんすう教室」なる家庭塾に通っていたからだ。
当時、近所の子はなぜかみんな、「そろばん教室」に通っていた。
かあちゃんから
「あっちゃんも、行く?」
と訊かれ、即座に
「行かん」
と答えた。
ピアノも水泳もそうだ。
姉がやっていたのもあって、いちおう訊かれた。
でも、答えは
「行かん」
塾やお稽古事が嫌いだった。
ただバカみたいに遊んでいたかった子供なのである。(ホントにバカである)
なもんで、さんすう教室も、ホントに渋々通っていた。
だけど、問題を解かないことには帰れない酷な教室だったので、必死だった。
何時になったら終わり、みたいな、時間制ではないのだ。
ひとり、解けなくて、ぽつーんってしてることも、しょっちゅうだった。
そんなおかげで、数学は解けなきゃ帰れないという掟があってか、成績は自然と良くなっていった。
中学のときもそうだった。
が、しかし、実際、そんな中学レベルの数学を解こうにも解けん自分がいるわけであります。
まことに遺憾であります。
おバカちゃんであります。
じゃあ、なんでだろうと考えてみるに、高校の数学が立ち現れるわけであります。
中学までは、数学含め、勉強すれば点が取れるってことを知ってたのでしょう。
かなり、やっつけ式の勉強法で高得点を稼いでいた、腹黒い子供でありました。
理解なんてしてないんです。
ただ、先を読むんです。
おそらく、これを出すだろう。
でも、そのまま出すわけないから、ちょっと難しくして間違えやすいように問題を提示して解いてみたり。
なんてことをして、先というか、裏ばかり読んで勉強してましたねえ。
でも、高校になると、理解してないと先に進めないってことを知ったんです。
楽に勉強してては、点は取れねえぞ、と。
高校は進学校だったのもあり、周りは当たり前だけど、おりこうちゃんばかりでした。
入学したてに行われた県下一斉の試験で、あまりに低得点をマークしたため、親が呼び出されました。
「試験のとき、何かあったんですか?具合でも悪かったんですか?って訊かれちゃったわ~」
「別に、普通だったよ」
「それにしちゃあ、点数低すぎないかーって、先生いってたんよー」
「ふーん」
「学年の順位でみると、あっちゃんの下に、数人しかいないねー」
「うん」
「良かったねえ、あっちゃんよりもバカがいるってことだよ」
「・・・・・・・・」
かあちゃん、おいら、あんまうれしくないよ。
担任からすると、こんな点数しか取れないお子さんが、よくこの学校に入れたなあって思ったらしい。
自分でも、そう思う。
でも、このときを境に、勉強するってことを放棄した。
ような気がする。
高校入学したとたんにである。
だけど、成績があまりにまばらであっても、ある教科がダントツ10だったりするのもあって(もちろん美術だが)、危うい均衡で3年間まっとう。
大学に入ってからも、美術とは関係ない学問的な教科もあったけど、なんとかクリアした。
空白で提出したら、絶対点は取れない。
てなもんで、その問題にまつわる自分の考えとか(考えじゃなくて、解けっての)、この教科を学んでの感想とかをアホみたいに、びっちり書いた。
たぶん、それをみた先生は、アホだなあ~って思ったと思う。
でも、バカはバカなりに努力してるんだろうなあっていうのが、伝わるらしく、不思議と単位を落とすことはなかった。
こんな勉強を繰り広げてきた自分にとって、いま、眼の前にある「数学」は非常に漠々とひろがっているのである。
そして、こりずにまた裏を読んで勉強するのである。
大人になっても、変わらないんだなーって。
ホント、そう思う。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
ERというドラマをよくみていた頃がある。
4シーズンぐらいまで、録画して、何度も繰り返しみていた。
それ以降は、旅に出てしまって、友人に録画は頼んだものの、なんか途中でそれもダメになってしまって結局みていない。
レンタルしてみるほどでもない。
でも、好きなのだ。
アメリカのドラマは、平気で10年くらい続く。
主要なキャストはそのままで、周りの人物はどんどん変わっていったりするのだが。
ERしかり。
でもって、5シーズンを越えると、自分の親しんだ登場人物は、ほとんどいなくなってしまうのだ。
そんな理由もあって、みていない。
ER つまり、緊急救命室を舞台にした、人間ドラマなんだが、とにかく登場人物が多い。
主人公は、ヒヨっ子、カーター君。(医学生だったか、研修生だったか忘れたが)
でも、彼の視線で物語が進んでいくわけではない。
同時多発的にあちこちで何かが起こり、それが同時に動いていく。
あっちで急患、こっちでしんみり。
みたいな。
とにかく、いそがしいドラマなのである。
自分は、この中で、キャロルという婦長が好きだった。
彼女は、いきなり、このドラマが始まったとたん自殺を図るのだ。
それまでの経緯であるとか自殺の背景となることは語られる前に、いきなり。
制作裏話では、当初、彼女の役どころはそんなに大きなものではなかったらしい。
しかし、回を増すごとに人気が出たのか、製作者側が面白いと思ったのか、詳しいトコは忘れたが、彼女の役は重要になっていったという。
なんともまあ、そんな作り方してるんスか。
みたいな感じである。
婦長の自殺というのは、大きな波紋をよんだ。
医療現場で働く人間だからこそなのかもしれない。
一緒に働く仲間の動揺は隠せない。
なんで?
(理由は後々出てくるのだが)
でも、なんで?というより助けることが先決。
そして、彼女は一緒に働く仲間から命を救われるのだが、このことがあってか、彼女は命のとらえ方が重くなる。
生きてて当然。
命のありがたみを感じれない人間に対して、自分を照らし合わせるからこそ、彼女は厳しい。
多くは語らないけれど、もっとちゃんと生きなさい。そう語ってるようにとれる。
ERをみていたのは、ちょうど大学の頃だった。
一人でなんだって出来る。
過剰に「一人」を強く意識していた頃でもあった。
みんなで協力するとか、一緒に何かするとか、まして助け合うなんて、考えられない年頃で、突っ走ってた。
人とからむのも面倒に思えてた頃だった。
しかし、ERをみてると、やっぱり「人」なのである。
人がいて、人が生きている。
こんなに人が濃密にぶつかっているのをみるのは、その当時の自分からすると新鮮だった。
なんで、そんなに濃密になるのか。
そうか、命がからんでいるからだ。
自分の身をもって命そのものを感じたキャロルは、命に責任をもてない人間に対して厳しい。
責任をもてないがゆえに苦しむ患者の前でも、キャロルは厳しい。
なんで苦しいのか、その者に問う。
キャロルは常に自分に向かい合ってから、相手に向き合う。
自分の過去、起こしてしまったこと、それら全てと向き合った中で、目の前の人と向き合う。
過去は過去、消去することはできない。
でも、それに囚われているだけでは前には進めない。
ERを盛んにみていた頃からすれば、自分は歳をとった。
歳をとるっていうのは、どういうことなんだろう。
たまに考える。
人は、生きて死ぬ。
なら、精一杯生きてやれ、そう思う。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
私は自分のことを、おじさんと位置づけています。
いつの頃からでしょう。
はっきりは、よくわかりません。
でも、気付いたら男友達ばっかりなのです。
10代の後半の頃から、そうだったのかもしれません。
そこに華やかはありません。
男性の中でキラキラ輝いてる。
ちやほやされちゃう。
そんなもんじゃありません。
むしろ、むさくるしいなかで、なんの違和感もなくおさまっているんです。
誰も私のことを女性と意識しないのです。
男っぽいのか?
たまにいますよね、男勝りな女性って。
カッコいいなーって思いますよ。
でもね、いやいや、そんなじゃない。
普通の女の子より小さいし、力だって全然弱い。
でもね、ちっともかわいがられなかった。
そんな小さい自分に向って、みんなは、「お前は強いんだ」みたいなことを言う。
そうか、強いのか。
はじめのうちは、意味がよくわからなかったけど、気付くと、みんなの思いに応えてか、強くなっていく自分を感じた。
おっきな丈夫な男性の中に混じっても、弱音ははかない。
疲れたとか、休みたいとか。
甘えることもなかった。
みんなが走ったら、自分も走った。
みんなが毒を吐いたら、それ以上の毒を自分も吐いた。
酒もいっぱい呑んだ。
呑んでるうちに、どんどん強くなって、周りの男性がつまらない顔をすることが増えた。
かわいい女の子が現れると、その子を守る立場になった。
彼女たちが先に怖がったり泣いたりすると、自分は泣けなかった。
ただ、強くなければダメだと思って必死だった。
でも、なんやかんやいっても、自分はカッコよくない。
だから、私は自分のことを、おじさんというのだ。
どうでもいいような時間に、ぼんやり喫茶店で暇をつぶすおっちゃんのいっぱいいる空間。
愉しそうに趣味の本を読みふけるおっちゃんの、いっぱいいる本屋。
くたびれたサラリーマンのダラダラいる電車の車両。
そういうトコに、自分は自然といる。
そういうトコが、好きなのだ。
同化する。
くだらねえギャグは当然のように言うし、話題やネタも古く、講釈も多い。
とにかく、あーだこーだ、うっとうしいのだ。
だから、ひとりでいることが多いのだ。
考えてみれば、そうだ。
昔から、そうだ。
こんなだから、ロクにときめいたこともない。
このまま、ひとり、おじさん街道まっしぐらやー。
そう思っていた。
淋しいとも思わず、これで仕方ないんだ、と思っていた。
でも、いま、こんなおじさんに寄り添う乙女がいる。
純粋な乙女だ。
けがれちまったおじさんには不釣合いなほど、キラキラと穢れをしらない乙女だ。
乙女は、まっすぐだ。
おじさんは、この乙女に怒られたことがある。
乙女はおじさんの前で泣いたこともある。
おじさんは、それがうれしかった。
感情を素直にぶつけてくれることが、うれしかった。
おじさんは思った。
乙女を守っていかなくちゃ。
でも、乙女も言った。
おじさんを守っていくと。
かわいい乙女だ。
おじさんは、そんな乙女に憧れるのだ。
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)
巷では、なぜかとても「お笑い」ブームである。
自分は、これにはのれない。
アイドルみたいなとりあげられ方が、どうも気持ち悪い。
でも、千原兄弟は、好きだ。
彼らがちょうど東京進出してきた頃だろうか。
深夜番組に出てる、彼らをよく(熱心にという意味)みてた。
弟、Jr.が王子となり、言いたい放題わがままするというのが主の番組で、くだらなかった。
でも、よくみていた。
自分が大学の3年か4年の頃だろうか。
何かを思い出すとき、「大学の~」となることが多いのに最近気付いた。
そうなのだ、この大学の18から22のときが、一番、どんなものでも自分に入ってきた頃なのだ。
まだ、今のようなハッキリした好みがなくて、とにかくなんでも入れてみた。
ダメなものは、すぐ出てった。
千原兄弟がテレビに出ることはまれだ。
だから、本気で劇場に足を運ぼうと思ったことも何度かある。
弟は、まだまだ力不足だ、もっと(テレビに)出たい。
と、昨日の『情熱大陸』で言っていた。
そうか、出たいのか。
自分は今のままで充分なような気がしてたから、なんだか意外だった。
テレビで司会をとったり、好み・世代関係なく笑いを提供するような均一的な番組。
そんなのに?
今の彼らのままでは、均一的な番組には、ふさわしくないのかもしれない。
真昼間の『笑っていいとも』で、ボール投げをしてる彼らの姿。
みたくねえなあ。
グルメ番組に出て、「美味い!」とコメントをしなきゃならない彼ら。
美味そうに見えないんじゃねえか?
媚びた笑いに、愛想を尽かしてる人はいて、そんな類の人たちは千原兄弟に惹かれるのではないだろうか。
自分はそんなひとりだ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
興味というのは、どこから湧いてくるのだろう。
弘前に向う夜行列車にゆられながら、思う。
人から「いいよ」ってすすめられて興味を持つのか?
有名だから、とりあえず自分も、となるのか?
ただ、なんとなく、か?
奈良さんの絵を知ったのは、いつのことだろう。
最近のようで昔のようで、時間の感覚がつかめない。
最初の印象はずいぶん小さかったように思う。
最初は若い女の子が描いてる絵だと思ってた。
自分と同じくらい。
そのときは自分も若かった。
かわいらしい女の子が描いてる絵だと思ってた。
だから、あまり興味が湧かなかった。
それから数年たって、男の人が描いてるということを知って、その意外さに「へー」となった。
でも、それどまり。
それ以上の何かはなかった。
去年、ある人が奈良さんの絵のポストカードを持っていた。
それは、何か、ひとつの発言のように思えた。
ただ、かわいい。
それだけじゃない何かを、その人は大切にしてるように思えた。
誰も気付かないような発言を、奈良さんの絵を掲げることで外に投げかけていた。
奈良さんへの興味は、その人からわけてもらったようなものだ。
自分ひとりだったら、たぶん、昔と変わらなかったかもしれない。
弘前は遠くて近くて、到着して間もなくの大雨にやられて、会場のレトロな空気にアタマが膨張して、そこから出たときの快晴。
まぶしくて暑くて、ふらふらした。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
画材とまではいかないが、ハケとか木用の油とか、まあ、そこそこの物は近所の大型ホームセンターでまかなう。
先日、箱になっていないダンボールとビスを買いに行ったとき、たまたま、どうでもいい商品に目がいった。
車用品の一角にある、車に酔っちゃったよ、ゲロ出ちゃうよ、のときのエチケット袋である。
商品名: ゲロゲロ
・・・・・・・・・。
もうちょっとなんかあるでしょう。
そのままでしょう。
それじゃあ。
まあ、どうだっていいんです。
こんなこたぁ。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
私は牛が好きである。
食うほうじゃない。
牛そのものが好きなのである。
ホルスタインのあの白黒の柄が好きなの?
そんな、ラブリーなんじゃない。
牛そのものなのである。
人前では、「私は牛が好きです」といったところで、なかなか理解はされないし、説明が面倒なので、自分が熱く牛好きなことは隠している。
そんな牛好きが熱く興奮した地がある。
インドである。
道のいたるところに牛がいるのだ。
道端のどうしようもないトコでカラカラ揚げもん作って売ってるおっちゃんがいるかと思えば、その脇に、営業妨害だろオマエ、みたいな感じで牛がいるのだ。
牛、オマエ、くさいぞ。
インドもくさかったけど。
車モーレツに走ってる広い国道のようなロータリーのあたりで、来ちゃいました、みたいにやはり牛がいるのだ。
あんた、いつ、そこに来たのよ。
いつ、戻るのよ。
って、戻る気あんの?
どちらにもいえるのだが、どうしてそんなトコにいるのよ。
でも、いる。
だから、いとしい。
ただ、そんな牛好きのワタクシをもってしても手こずる牛ちゃんというのは存在してまして、いや~、あのときは参りました。
ヴァラナシにいるときです。
早朝、まだ暗い時間に宿を出ましてね、ガートに向かうワケです。
ガートっていうのはガンガーの岸辺でして、そこで人々は沐浴をし、神に祈りをささげるワケなんですよ。
ワタクシの目的は、沐浴ではなく、絵を描くためなんですがね、このガンガーに辿り着くまでの道っていうのが、道であって道でないような。
一度たりとも、ここに出たい!って思ったとこに出られたためしがない。
まあ、方向音痴なのもあるし、暗くて道がよく見えねえっていうのもあるんですがね。
勘だけで歩くには、実に難しい道なんですよ。
そんなある日、もろ、火葬場に出てしまったんです。
しまった、と思いました。
もちろん、旅人だって近づいてもいい場所ではあるし、火葬の風景を見に来る旅人もおります。
でも、しまった。
なぜなら、このときの自分に「死」を単なる興味として、あるいは旅の一環としてみれるだけの器がなかったのです。
しかし、今もそれは変わりません。
「死」はみに行くものじゃない。
あれ?牛は?
そうそう、この火葬場で発情しまくりの牛に出くわしてしまったんですよ、こらまた。
ただ、気性の荒い牛だったのかもしれないんですがね。
困ったことに、自分が行こうとする場、する場に立ちはだかっては
ぶもっ、ぶもっっ!
と鼻息荒くせまってくる。
眼は血走ってるし、こら大変だぞ。
オイラ、戦えるかしら?
って、戦うんですか。
自分の胸元に牛ちゃんの生暖かい鼻面。
しかも、非常に興奮してる。
おまけに鼻汁たらしてる。
こんな至近距離で、こんな状態の牛と対面したことはないので、さすがに、少し、困りましたね。
でも、なんでしょう、くるって来た道を戻ろうって気に全くならないんですよ。
目の前には、もうガンガーで、道も広いから、大丈夫だろうって。
話しかけてましたねえ。
「どいてー」
ぶもっ、ぶっ、もっ!
「なんで、道ふさぐのよー」
ぶも
「絵ぇ、描くんだから、どきなさいよ」←牛にしちゃ意味不明
それでも、どかない。
面倒になってきて、そのうち
「おーい、インド人。おれを助けろー」
「・・・・・・」
火葬場のインド人、無関心。
ま、そんなもんでしょう。
そしたら、川の岸辺で手を振ってる、おっちゃんが。
大きく迂回して、こっちから下りて来い、みたいな感じで。
言われたとおりに、ててててって牛から離れた。
そうか、離れりゃいいんだよ。
話しかけてる場合じゃないよ。
そんなで、この牛ちゃんから襲われることもなく、無事ガートに辿り着いて、待ってたそのおっちゃんというのは、観光客相手に舟を出すおっちゃんだったんですねえ。
まあ、もちろん、そのおっちゃんの舟に乗せられてスケッチ・ポイントまで川を下ったのは言うまでもありません。
そして、もちろん、値段交渉でモメたっちゅうのも、言うまでもありません。
でも、まあ、あのおっちゃんが現れなければ、自分はいつまでも牛とモメモメしてたんでしょうね。
アホですよねえ。
そんなこんなあっても、いまだに牛は大好きです。
牛乳やチーズも大好きです。
「あっちゃん、大きくなるからいっぱいお飲み」
とかあちゃんに言われ、昔から飲みまくってるのですが、最近は
「そんな飲んじゃダメ。白血病になる」
「え、なんで?」
「牛乳は白いでしょ」
「・・・・・?」
かあちゃん、よくわかんないよ。
はたまた
「乳製品いっぱいとるとね、あっちゃん、おっぱい大きくなるよ」
実践し続けて、ウン十年。
いっこうに大きくなる気配がみられない。
かあちゃん、どうなってるんでしょう、ワタクシ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
芝草のひんやりした感触。
足元に落ちているトンボの羽。
その繊細な網目を日に透かし、感心して眺める。
芝草の上に寝転がって、空の大きさと高さをはかる。
草の先端が肌に、ちくちくとささる。
夕方5時をまわって、庭の芝の上で過ごす時間はとても贅沢だ。
この芝に上がるとき、自分は敬意をはらって裸足になる。
(というか、夏ですから。暑いですから。仕事行くとき以外は裸足じゃんね)
どこにでもある、どこででも味わえる空間と時間ではないと思っているからだ。
ウチの芝は、出揃うまでにえらく時間がかかって、全面みどりであるのは考えてみるとわずかな期間なのだ。
モタモタしてると、長野はあっという間に寒くなる。
裸足で外に出られる期間なんて、そうそう長くはない。
貴重なのだ。
おまけに仕事のときは、この時間に仕事をしている。
せっかくの休みでも、やることだけに追われていると、贅沢な気持ちを味わえるものが目の前にあっても後回しになってしまって、そして、少しの後悔が残る。
今日は、芝草の上で、ごろごろしよう。
そう、計画を立てていた。
迎える相手もいる。
芝の上で頂く、アイスも準備されている。
夏は美しい時間をいっぱい持っているような気がする。
早朝のつめたさとハリ。
水の香り。
夕暮れどきの、影のながさ。
木々の葉から洩れてくるオレンジ色の陽の美しさ。
その揺れるさま。
夜の水辺に映る灯り。
月のほのかな白さ。
夏ばかりではなく、どの季節にも美しい時間は存在してるんだけど、一番外に出ていられるのは夏なんだ。
春と秋はなぜか忙しいし(ガクブチ展で?)、冬はホントに寒い。長野はね。
芝なんて雪かぶっちゃってるしよー。
だから、必然的に夏の時間の移り変わりを肌で感じ、吸収。
そして、なにより、夏の夕暮れは映画『ヴァージン・スーサイズ』を思い出すのだ。
乙女じゃなくても、ピンクが似合わなくても、あの映画には男子の入り込めない女子だけのイコン的な聖域がある。
女友達の群れには何も感じないのだが、女姉妹の群れというのは、なんだろう。
実に、なまめかしい。
血の濃さというのか、友達は絶対知らないこと、教えないことでも、姉妹はそっとその秘密を共有するとでもいうのか。
心も身体も共有してる距離感か。
それが画面いっぱいに充満してて、くらくらする。
眼がぼうぼうと、熱くなる。
そんな熱を冷まし、浄化してくれるのが、夕暮れの陽に照らされて輝く芝草。
影を落とす、ひんやりとした濃く深い色合いの芝草。
そこで戯れる彼女たちの救われたような姿。
一瞬の美しさを閉じ込めたような場面がいくつも現れるこの映画の中で、特に芝草の感触はいつまで経っても自分の中に残っていた。
こんな雰囲気を真似しようとか、真似したいとか、そんな楽観的なものはない。
でも、この季節、この時間は、とても貴重で、かけがえのないものに思えて仕方がない。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
『ハチクロ』をみて、懐かしむかな、なんてそんな期待みたいなものはあったけど、見事になかった。
あれれ?
なぜなら、今なお、もの作りをしてるからだ。
たぶん、そうだ。
大学時代は夢中に絵を描いたり、何か作ってたんだけどねー。今は、退いちゃったねえっていう人にとっては懐かしいのかもしれないけど。
現在進行形ですからねえ、自分。
むしろ、美大の頃より、ガンガン作ってますからねえ。
さて、美大というのは独特である。
毎日、絵ばっか描いてるのかというと、そうでもない。
必修として体育や外国語なんかがあったりして、ちゃんと面倒くさい。
高校生じゃないんだから、なんで英語なんてーってね。
ヒアリングとかもある。
はあ?でしょ。
受験生じゃないんだから。
もし、海外で個展をやったら、なんてことを想定して自分の作品を英語で説明するには・・・
そんな授業だったら、それなりに役に立つのかもしらんし、興味も出るっちゅうに。
先生も、ちったあ、考えろよ。
入学して、すぐ課題課題ばっかで、気付いたら前期おしまい。
そんなで、サークルに興味持ったり、入ってみるか、なんてことにアタマをまわす間もなかった。
大学から家まで遠いわりに通える距離だったのもあって、往復3時間、4年間通った。
いま思うとこの時間、もったいなかったかもな。
でも、もう戻らんし。
そんなで学校生活メインというより、私生活重視だったのもあって、いま、どう思い返したトコでも、これぞ!!という思い出はない。
学園祭で出展したり、友人と個展をすることもなかった。
でも、実のところどちらにもすごく興味があって、やりたいなと思ってたのに、できなかった。
これは、悔しいというより、若さだなぁ~、ちゅうか、未熟さが感じられて、いまになると、きゅうううと胸がしまる。(し、しまる・・・?いたむんじゃなくて?)
『ハチクロ』、みたいにたくさんの人とつるむことなんて皆無だった。
暗いのか?
いや、別に暗いわけじゃないんだ。
衝突するってことがわかってて、それが面倒やって思ってた年頃で、あえて必要としなかった。(さめてるね)
ハチクロの5人のいいところは、それぞれにそれぞれの見ている方向が違う点だ。
精神的には近いあたりをウロウロしてるのかもしれないけど、物理的には、まず年齢が違うし、専攻する科も違う。
だから、同じ時期に同じ課題で悩むこともないし、生活パターンがぴったり重なることもないので、無干渉でいられる時間と空間が多いのだ。
これは、実に羨ましいことだ。
と、私は思う。
サークルにも所属せず、学校のそばで下宿をしてなかった自分は、どうしたって、美大の中のいろいろな人との接触は少なかったのだ。
同じ科の同じ年齢の子達の中では、どうしたって見る方向は似たり寄ったりだ。
同じ課題でわちゃわちゃ相談するほど、自分には心の余裕はなかった。
ひとつ課題が終わったら、ハイ、次。
そんなで、たのしい?ってきかれたら、う~ん。
だから、このままじゃダメだって思ってたんだろうね。
このまま就活して、卒制で、とどこおりなく卒業して、ハイ、就職。じゃ。
確かに、そのほうが、いまはラクだったのか?
わかんないや。
でも、もう一度ちゃんとした自分なりの楽しい大学生活を取り戻すために、旅に出たのかもしれない。
課題じゃなくて、自分の描きたいものを描きたいように描いて。
講評なんて、クソくらえなもんなくて。
通りすがりのおっちゃんや、ガキんちょから、「へぇ~」なんていわれて。
年齢や立場の違う人たちといっぱい会って、つるんで、衝突して、がははははって。
4年間でやれなかったこと、やりたかったことを旅に出てやった。
もし、これがなかったら、せっかく苦労して入ったムサ美も、なにそれ。になってたのかもしれない。
自分にとっては、ムサ美の4年間+旅で大学生活って考えてる。
さらに、これにもっといろんなもんが加わる。
酒だ、音楽だ、友人だ、親方だ、職人さんだ、変なOL時代だ、入れ墨だ、トキメキだ、モノ作りだ、もっともっと。
そして、いまの人生。
どうあがいたトコで、ここまでくると、もう変更のしようがないというか、これでいいだろ?こうしたかったんだろ?的なもので溢れてる。
あ、そろそろ、ガクブチの作業ね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
いま、角田光代さんのエッセイを読んでいる。
その中で、男の服装のことが書いてあって、うんうんとなった。
たとえばの恋愛話で、顔をとるか中身をとるかっていうのはよくあるんだけど、光代さんいわく、それじゃなくて、「顔か服」あるいは「中身か服」で悩むよって。
確かに。自分もそれはあるぞ。
どんなに性格は良くても、オイオイそのカッコはなんだよってなると、いくら良い人でも好きにはならんだろう、とか。
年中おジャージの奴は、好きの「す」にも入らない、とか。
差別?っていわれたら、それまでかもしれんけど、いくら良い奴と紹介されても、これから先どんなに将来が長くても、そんなカッコの奴に自分は惹かれないだろうと。
思うのですよ。
まあ、こればっかりは人によりけりなんですが、こう考えると自分の場合は好きになるかならないか、気になるかならないかの境界は「服」。
これは大きいかもって。
でも、男の子って大変だと思う。
おそらく努力しないと、「かっこいいカッコ」ってできないんだと思う。
逆に女の子は努力しなくても、それなりのカッコしてるもんね。
ラクだなあって。
小学生ぐらいのときは、○○ちゃん、どしたのーっ!?っていうのもあったけど、いまぐらいの年齢になって、意味不明なキャラクターのシャツと、中途半端な丈のキュロットスカートはいてる女性。
いませんからねえ。
女の子には遺伝子レベルで、そういうのが選べる(?)能力が自然と備わってるのか?なんて思ってしまう。
まあ、人は見かけといいますが、いきなりまっ裸の状態でお会いすることってないですよね。
いくら顔が良くたって性格が良くたって、それに絶対的に付随するものが服なんですよね。
何がどうあっても、服から出るオーラってすごいと。
だから、あえて個性的な服装をしてる人もいるし、全く無関心、ゆえにとんちんかんな服装してる人もいるし。
褒め言葉で、「似合ってればいいんじゃない?」ってあるけど、じゃあ、この似合うって何を基準にしてるんだろ。
むずかしい。
自分の基準は、「普通+α」
雑誌見てコテコテにオシャレしてきましたっ!というのは興ざめ。
何かを勘違いしてるのも、困る。
真夏なのに、ごつい革ジャンとブーツとか。
ハードロッカーなりきり君とか。
あと、どうでもいいヨレヨレのカッコがホントにどうでもよくなっちゃってる人。
勘弁してよ~って。
でも、このヨレヨレも一つのファッションとして確立されてるんですよ。
ただ、それが出来る人と出来ない人がいるってだけの違いで。
このまえ観た映画『ハチクロ』の森田がまさにそれ。
原色パーカーに、ヨレヨレのズボンに、こらまた、はだけ過ぎのランニング。
どれをとっても、ヨレヨレなんですが、着る人があなた!だからこその魅力あるカッコ。
逆に、本屋で商品整理しながらちらっと見たメンズ・ノンノかなんかの表紙の彼は、普通に成り下がってて、えらく、しょぼ~んとしたのを覚えてる。
ちゅまんない。
やっぱ、カッコなんだ。
さて、普通+αのαってなんだろうって考えると、その人自身なんじゃないかなって。
どんなにパーフェクトな貸衣装でも、結局は貸しである。
その人のものではない。
じゃあ、その人そのものをみるんなら、やっぱ裸か?
って、これは、そうそう簡単にみれるもんじゃないし、むしろそんなん、知らん人の裸なんてみたくないぞ。
気持ち悪いぞ。
あと、α。
意外なもんが似合ってると嬉しいときがある。
うちの本屋は制服はなくて、しょーもないエプロンをつけてるんだが、女の人はイイ。
問題は男子。
こらまた、似合わないんですよ。
なんでか、わからないが。
基本的に男子はエプロンをつけないっていう暗黙の何かがあるから?
ずり下がってつけてる男子。
丈がパツパツでよだれかけみたいな男子。
異物をまとってるようにしか見えない男子。
しかし、ひとり、えらくエプロンの似合う男子がいましてね。
すまして、つけてるんですよ。
滅多に人の容姿を褒めない自分ですが、思わずいいましたね。
「君、エプロン似合ってるねえー」
言われた本人、聞こえてんだか聞いてんだか、わかりませんが、またすましてプリプリ歩いてましたねえ。
これが自分のいうところの、αか?
たぶん、そう?
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
別をつけたら、性差別になっちまうじゃないか。
そうじゃない、そんなじゃない。
最近、ある本を読んだ。
その本を読んで、「らしく」生きることが一番、健康なんじゃないか?
そんな感想をもった。
きれいになりたい、そんな女性の心を掴む本はたくさんある。
でも、たとえば、何らかの運動をして見た目だけが理想に近づいたとしても、それは「きれい」につながるんだろうか。
食事とか美容とか化粧とか、あるゆるアプローチで「美」に導こうとする本はたくさんある。
だけど、そのどれもが、外面から美を作っていくようなものに感じられて仕方なかった。
人間は単純である。
脳がうんちゃらかんちゃら言ってるけど、そんな難しい生き物じゃないんだ。
食って寝て愛す。
ホントにやってることはこれに尽きると思うんだ。
食うために仕事して、寝るために環境を作る。
どんどん時代が進み、男性が男らしく、女性が女らしく、なくなりつつある。
でも、本来の姿を取り戻したとき、人間はもっと美しくなるんだと思う。
まあ、なんて野蛮な。
ただ、寝て食って、やって。
そんなでいいと思ってるの?
って反撃されそうだ。
だけど、「欲しい」と感じる欲望は食う寝る何にしたって、頭では考えていないと思うんだ。
まず、身体が欲する。
でも、それを頭で規制して、しすぎた結果、自分の身体、それ以上に心までコントロールできなくなってしまったんだ。
そんな状態で、美を求めても見当違いなんじゃないか。
美は女だけのものじゃない。
とかく、女だけのものとして売り込みすぎちゃいないか?
男だって、美だ。
女性が社会進出し強くなった結果、本来の女性のもつ「美」は薄らいでしまったような気がする。
それは男性にもいえることだ。
強い女性の中で、自分の位置を見失ってしまった男性が多い。
まあ、なんやかんやいったトコで、自分キューピー体型で、女らしさ?あるの?
でも、欲求に対しては素直だぜ。
いま、眠いもん。
寝よーっと。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「ベランダのデッキ、ペンキ塗っとけ」
親父から、いわれた。
こういう仕事はみんな自分にまわってくる。
なせだか、わからない。
「おめ、薪割りやれ」
薪ですか。
腰痛めてるっつーのに。
勘弁してくださいよ。
本屋でもそうだ。
脚立にのぼるような高所作業は、自分がやる。
ヤングな方々にやってもらおうかと思うんだが
「高いトコだめー」
って。
そーか、じゃあ、おいらがやるか。
うるさい男が1人いて
「ネーさん、危ないから!・・・・危ないからっ!!」
って、おめーが騒いでることのほうが、こっちにしてみりゃ危ねえっつーの!
だぁーってろ!!
まあ、そんな感じで作業してるんですがね、本屋では。
逆に、家での作業の場合は、皆、非常に無関心である。
脚立にのぼって、プルプルしてよーが、ドタバタなんか組み立ててようが。
今日のペンキ塗りも、炎天下のもと黙々とシンナー臭いっぱい吸い込みながらやってるんですが、やはり無関心。
作業終了間近、かあちゃん、
「うわ、くさっ、シンナー臭いねえ」
って、今頃いうなよ。
でも、こんなシンナー臭は慣れてる。
おそらく、絵を描いてたり物作ってる人には、違和感ない。
じゃあ、心地いい?
そりゃないな。
ラリってるだけじゃんね、それじゃあ。
まあ、それにしても、予想以上に塗るトコが膨大。
あれ?終わんないなあ、終わんないなあって思いながら塗る。
左利きでもないのに、左腕が痛い。
低い姿勢で塗るから、足も痛い。
梅雨があけたら、今度は正面を塗らねば。
たまに思う。
自分が、もし、男だったら今以上に要求が増えるんだろうなって。
屋根の補強しろ
家のペンキも塗れ
薪集めて来い
なんか作れ
机とか椅子とか棚、作れ
そのうち、家作れ。になるんじゃねえのか?
なんなんだ、自分。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
冬にヘルニアです、と診断され半年が過ぎようかとしてる。
かあちゃんは、ヘルニアは普通に治るもんだと思ってるらしく、たまに雑誌の腰痛特集かなんか読んで、「これやってみ」とか言う。
一応、目は通してみる。
はて、こんなんで治るのか。
ペットボトルで押してみる、とか。
そんなんばかりである。
とりあえず、部屋には空のペットボトルが置いてあるが、放置である。
これで効くのか?
効かないだろ、置いてあるだけじゃ。
腹筋・背筋鍛えればいいんだよ。
言う人は簡単にそういうことを言う。
でも、わっせわっせやって、余計悪くなったら、どないすんねん。
病院行けばいいんだよ、とも言われる。
でも、行ったところで言われることはわかってる。
「無理しないで下さい」
どの程度が無理なんだよ、わかんねえよ。
「じゃ、お薬だしときますから」
って、痛み止めじゃん。
ヘルニアは痛くなったらダメなんですって言って、お薬だしちゃあ。
どうなんでしょう。
そんなで、屁理屈ばかりだが、ようは最近、腰が変なんです。
運動して鍛えるのも面倒。
薬なんてもってのほか。
そこで考えたのが、色に神頼み。
ということで、赤いベルトを買いに行った。
こんなで治るのか?
わかんねえよ。
だって、神頼みだもん。
色といったら、赤といったら、ちょっと前に話題になったっけ?(だいじょぶかよ)
赤いパンツはくと血行が良くなって体温が上がって、良い。
とかなんとか。
そんなのがあったような気がするのよ。
それで、赤。
赤いパンツは、毎日はきかえるとなると、それなりの枚数を買わねばならない。
引き出し開けて、赤いパンツだらけも気持ち悪いので、腰に一番近いもの・・・・
と考えて、ベルトになった。
でも、探すとなるとなかなかないんですよ、赤いベルトって。
結局、こんなごついのになってしまった。
かあちゃんからも、「重いよー、こんなん買ってきたぁー?」って。
でも、つけてみると、思ってたより普通。
「ああ?いいんじゃない」
かあちゃん、どっちだよ。
早速、本日の仕事に、この赤いベルトを。
気合入れて行ったわりに、いつもより暇で、腰も疲れないせいか、痛みなし。
効果わからず。
せっかくの気合が、せっかくの赤ベルトが。
明日に持越しやんか。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
先日、ハガキが届いた。
旅の友人からだった。
「結婚しました」
おお、そうか。
こりゃあ、めでたい。
大学卒業して、すぐ、トルコに向った。
半年滞在したトルコで、帰国間際の頃に知り合った人だ。
あの頃の自分。
ませてたようで、落ち着いていたようで、でも、いま思えばやっぱり子供だったかもしらん。
ものすごく、背伸びしてたような時期だった。
安宿の入り口のところにソファーがあった。
その当時のその宿は表立って営業のできないヤバイ状況なのもあって、宿泊者は全員、裏口から出入りしていた。(そんな宿に泊まってんなよ)
のもあって、そんな入り口にあるソファーだが、誰もそんなところに座っていない。
自分の部屋の前にあるのもあって、これ見よがしに占領していた。
そんな、ある日のこと。
やっぱり占領してるわけです。
オレのソファーや、ばりですわ。
でえ~んと寝っ転がって本を読んでると、声をかけられた。
「えらい、くつろいでますねえ。自分ちに居るみたいじゃないですか」
ああ~ん?
なに、オレに声かけとんねん。
そんときの目線の上げ方。
今でも憶えてます。
かなり凶悪です。
初対面に近い人に対して凶悪。
なんなんでしょう、ワケわからないですよ。
しばし、無言。
「こっちで仕事か何かしてるんですか?しょっちゅう一人で出かけてるでしょう」
帰国間際のこの頃、宿に居ることはほとんど無かったように思う。
宿にいる旅行者と接してることも無かった。
そう思われても不思議じゃなかった。
宿で見かけることはまれで、誰とも接さず、おまけに凶悪な眼。
なんか、商売でもしてるんか?
ちなみに、このとき、22歳。
まだまだ、ピチピチでちゅよ、若いでちゅう。
それにしたって態度がね、かわいくないんですよ。
若さが無いんですよ。
半年、トルコでふらふらしてると、そうなっちゃうんでしょうかねえ。
確かに、つらかったっス。
何が楽しくて、連れてかれた宿、電気つかねえわ、ドア閉まんねえわ、カギかからんわ、どうせえっちゅーの。
あります、ありました、いろんなこと。
体調崩して、死ぬかと思いました。
よりによって日本人観光客のいねえような地でね。
一人で、もがきましたよ。
開店前のレストランに連れ込まれて、何故か中からカギかけられちゃってね。
って、軽い監禁じゃん。
深夜の国道で、バス、ヒッチハイクとかね。
大丈夫大丈夫とかいわれて。
なにが大丈夫やねん!
アホかっちゅーねん。
書き出すと、キリ無いです。
こんなん、いろいろあっての帰国間際。
そりゃあ、目つきも悪くなりますよ。
一人で行動してますよ。
そんなときに声をかけてきた旅人。
この方が、そう、結婚された。
この方とは帰国後も度々お会いした。
長野に引っ越したら、長野まで遊びに来てくださった。
旅のこと、それから、なんだろう、とにかくいろいろ語った。
でも、一番は、やっぱり、あのとき。
ソファーで、でえ~んとしてた自分に声をかけてくれたとき。
誰も、声なんてかけてくれなかったさ。
だって、声なんてかけられる雰囲気まるでなかったもん。
そんな自分も、それ以降にまた旅を重ね、ちょっとはマルくなったかな。
結婚おめでとう。
お幸せに!
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
つい先日、本屋で商品整理をしてるとき、お、これはイイという本に出合った。
次の出勤のときに買おうと思っていた。
で、出勤の日。
休憩中に、ぱかっと財布を開けてみる。
ちゃり~ん。
137えん。
ん、札のほう見てみるか。
あれ、入ってないや。
も1回、小銭。
何度見ても、137えん。
大人として、はて、これでいいのだろうか。
しばし、財布を開けたまま考えてみた。
東京に住んでた頃は、電車に乗る。
定期は持っていたけど、さすがに137円だけ財布に入れて、ふらふらしてたことはない。
今は、もっぱら車だ。
いきなり遠出しない限り、そこそこにガソリンさえ入ってれば走る。
本屋では、出勤が遅いのもあって、東京時代のような「ランチ」はない。
そうなると、お金を必要としてる場があまりないのだ。
だからって、137えんっていうのは、どうなんでしょう。
考えてみたけど、よくわからない。
そこで、一緒に働いている10歳下の子に訊いてみた。
「財布に137えんしか入ってないや」
「ネエさんっ!子供じゃないんだからっ!!」
そうだよな。
もうちょっと、入れとこう。
1000円追加。
今日は、1137円だ。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
あと数ヶ月もすれば、入れ墨をいれてから1年が経つ。
はやいもんです。
そして、そんな月日の流れゆえか何かはわからぬが、最近はこんなお茶目なことだってできるようになった。
人は成長します。
いや、むしろ退化してんじゃねえか。
一体、何がしたいんでしょう、この人は。
タイトル:入れ墨と戯れるブー
こんなもん、携帯でとって保存してる。
アホだ。
入れ墨をいれたときも、今もそうだが、それは人前に見せる物ではないという心構えがある。
って、あなた、モロ公開してるじゃないですか。
矛盾しまくりじゃないですか。
まあまあ、そこは勘弁してください。
お茶目の暴走です。(ワケわかんねえよ、こりゃ)
でも、見せるも見せないも、個人そのものなんじゃないかなって。
手首に近いところに彫れば、それは必然的に一般生活の中で見えるわけで。
逆に自分は腕の高い位置に彫っていただいたので、普通の生活の中で、まず見えることはない。
つまり、見せる気はなく、この入れ墨を自分のものとした。
しかし、これは一生自分に在る。
どこにいても在る。
温泉に行けば、当然だが、おばあちゃんもおばちゃんも若い女の子も、それなりにこの腕を見る。
ただ、それだけだ。
見て、どうこうじゃない。
それはお互いに自然で、私はこれでいいと思っている。
入れ墨をいれる行為は、決してカッコいいものだとは思わない。
しかし、この自分の腕の入れ墨は、とてもカッコいい。
なぜなら、「ひとつ」しかないものだからだ。
この世に「ひとつ」だ。
彫り師は、自分の絵を持っている。
彫ってもらう人は、そこから絵を選んだりアレンジを加えて、自分のものとする。
つまり、同じ絵を気に入れば、自分以外の誰かが同じ絵を身体に彫っていることになる。
しかし、彫る場所も皮膚も彫る人のコンディションも常に変わっていく。
だから、「同じ」ものは、ひとつとして存在しないんだけどね。
自分の入れ墨のこの絵は、あるものから派生して生まれた完全なオリジナルだ。
ちゃんと意味もある。
ゆえに、これと同じものを彫り師の方が誰かに彫るということは決してない。
あのとき、自分と彼とで作り上げた唯一のものということに、私は非常に誇りを感じている。
そして、今じゃ、ブーの人形のせて遊んでますからねえ。
誇りとやらは、一体どこへ・・・
いやいや、誇りなんですって。
立派な。
ただ、遊べちゃうほど、自分の身と一体となったってことなんですよ、きっと。
今じゃ、自分の一部というか生活の一部です。
家族は何も言わなくなり・・・・というか、もう興味ないみたいです。(飽きるの、はやいね)
わかりやすいですね、家族っていうのは。
ただ、入れ墨をいれる前の周囲の反応は、かんばしくなかった。
それは直接的なものでなく、ネットで見るような間接的なものなんだけどね。
必ずあるのは、「将来を考えると」
将来を考えると、入れ墨はマイナスなのか?
この国では、そうなのかもしれない。
でも、他の国ではそんな見方はされないから、なんて遠回り的な逃げ道を見つけて自分は入れ墨を欲したのではない。
まあ、そのことは入れたときのブログでとくとくと語っているから、ここではあえて再語りはいらないんだけどね。
だけど、入れ墨に関し、理解というか、捉え方の違う人は明らかにいる。
入れ墨を肯定的に見てるんだけど、その見方の違いだ。
入れ墨をファッションとしてみているということだ。
しかし、自分はファッションではない。
あくまでも「しるし」としていれた。
だから、華やかさはない。
それでいい。
見たところ、なんだかもわからない。
それでいい。
身体の消えないアザや痕と一緒だ。
同居してるんだ。
でも、埋没はしない。
この入れ墨を初めて見せた相手は、とても正直だった。
良いであるとか悪いであるとか、そんな概念はなくて、ただ言葉なくしばらく眺めていた。
今も、たまに眺めている。
正直なんだ。
それでいい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
暑くなって参りやした。
暑いのは苦手です。
先日、通販で注文した「タイパンツ」が届いた。
暑さしのぎ対策であります。
旅してる人なら、ご存知でしょう。
特にアジア地域を。
タイのカオサンで、リゾートで、暑い地域には絶対売っているだぼだぼのズボンだす。
だぶだぶに余った腰周りの布を、ぐるっと腰に巻きつけてひもで結ぶという、実にゆるい感じのズボンであります。
穿きなれた人が穿くと、実にスピーディーでサマになっているんだけど。
ハイ、おいら。
穿きなれていない人が、穿こうもんなら、モタモタ。
いつまで、布だぼだぼさせてんねん。
うまく、巻けんがな。
ほいっ、できた!
ズボンのすその長さ、ちぐはぐやんか~。
う~、もう一度。
これもまあ、しばらくやってると巻き加減がわかってきて、それなりの形になるんですがね。
それなりになると、なんとなくしっくりするんです。
だぶだぶしすぎで、ズボンというよりスカートみたいで、なかなかです。
もちろん旅先でも目にはしてましたし、気にはなっていた代物なんですが、なんすか、その極彩色。
おまけに生地、ぺろぺろじゃないですか。
パンツの線、パッチリ見えとるじゃないですか。
こんな無駄にセクシーになっちゃうもん、穿けません!
ってことで、旅先では断念。
そんなこんなしてるうちに時は経ち、気付いたら通販になってるよ、タイパンツ。
色は、黒に近いグレー。
生地はハリがあるけど、ごわごわする厚みがなく、さらっとした薄手。
もちろん、パンツの線も見えません。
そんなもん、見せません。
これ穿いて、おビール呑むんです。
夏ですね。
その前に、ぐおおおおっていいながら、モーレツにガクブチ作らねば。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
昨日、髪を切った。
何度も切りに行くのが面倒なので、とりあえずいっぱい切ってもらった。
そしたら、栗坊みたいになってしまった。
昔は、思い込みでただ長くしていたような気がする。
ロングが好きとか、ロングでいろいろアレンジしたいとか、そんな積極性はなく、ただ長かった。
なんとなく、短いのは似合わないと思い込んでいたフシもあるのだが。
旅先で、そう、インドで自分で髪を切ったとき、意外にも短いのもイケるでないか?と思った。
それからは短いのも抵抗はない。
でもって、今回は栗坊である。
えらい、かわいらしいアタマになってしまった。
抵抗はないといえど、いい年して栗坊ですか。
子供じゃ、あるめぇーし。
まあ、すぐ伸びるからいいだろう。
さて、旅先で、それ以降も、ひたすら自分で髪を切り続けていたのにはワケがある。
べつに、栗坊にされちゃうから美容院に行くのをさけていたのではない。
言ったとおりにならないからである。
「それは無理です」
って、やる前から言うなよ、このやろ。
ヤル気あんのか。
それで金とる気なのか。
で、とられるんだけどよー。
それが、どうしても気に食わない。
なら、自分で切ってやる。
あと、まあ、こんなでいいだろう。
そんな雰囲気があらわれているのだ。
妥協すんなよ。
くだらねえ世間話はいいから、ここんとこどうしますか、とか訊けよ、もっと。
今回は、そんな、まあこんなで、の妥協の色が感じられたので、さっそく先ほど自分でハサミを入れた。
妥協点なしでやっていただいたものに対しては、失礼でハサミなんて入れられない。
でも、ちょっとでもそれが感じられれば、このアタマは私のものである。
切ってくださった方のものではない。
だから、容赦なく入れる。
もともとスッキリしていたアタマだが、よりスッキリした。
それはかたち云々じゃなくて、気持ちがなのかもしれない。
気持ちスッキリ。
だけど、しばらくは、栗坊なのである。
数日後、出かけるのにー。
こんな、坊やみたいなアタマで行くのかー。
あたたたた。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
いよいよ、ゆだります。
いや、まだです。
もうちょっと、どうでもいい話です。
この渋温泉には9つの外湯(共同浴場)があり、その9つそれぞれに効用があり、全てに入ると九(苦)労を流し厄除けになるという。
9つですか、9はさすがに多いですよ。
宿にチェックインする前に、その外湯の外観を見てまわる。
思ってたより、こぢんまりした建物である。
写真で見ると大きかった。
観光写真め、だまされたぜ。
何番目の湯か表された木の看板と、左右に男湯・女湯とにわかれた扉がある。
中はどんな風になってるんだろ。
興味津々。
しかし、そこは、勝手に人がじゃんじゃん入らないように、鍵がかかっている。
が、ある何番目の湯に来たとき。
連れが、扉のノブに手をかけると
がちゃ。
って、ちょっと開いちゃうじゃないですか。
いいんですか、ちょっと。
「男湯は、開いちゃっていいのか」
いや、よくないでしょう。
閉めときましょう。
「でもさ、こんなふうに扉は2つあってわかれてるけどさ、服脱いで入ったら、つながってるんちゃう?あら、やだ、こんにちは、みたいな」
「だめだめ、そんなのだめ」
必死に否定する連れ。
あら~、ダメなんですか。残念。
さてさて、9つあるうち、どれに入るか。
女中さんからのお約束的な話にのっかる。
「六番湯は目洗いの湯なんですが、通称、美人の湯とも言うんです。美しい方はより美しく。是非、お入り下さい」
じゃあ、六番湯だな、さあ行くべ。
美人美人美人。
30分後に待ち合わせっていうことで、それぞれ中に入る。
中、つながってんのかなー。
ないですから。
先客で、おばちゃん2名。
源泉からそのまま湯を引いてきているので、とにかく湯が熱い。
女中さんから、水でうすめて入るんですが、次の方のことも考えて、あまりうすめないでくださいね。
っていわれたことが、あたまにあった。
あんまりね、でも、それにしたって熱いよ。
うすめるしかないだろ、これは。
先客のおばちゃん、水道の蛇口フルにあけている。
それ、正解!
じゃんじゃん、うすめてくれ。
入れねーよ、あちぃーよ。
とにかく、口から出る言葉は3人そろって
「熱い~~~~っ」
身体が痛い。
なんだ、これは。
震えながら入っていく。
ここまでくると、自分が何しにきたのか、もう、よくわからない。
とりあえず、社交辞令。
「どっから来たの~?」
1人のおばちゃんが訊いてくる。
「け、け、県内でひゅううぅぅ」
「ああ、そ・・・・あ~ついぃぃぃ~」
会話成立せず。
それどころじゃ、ねえんだよ。
あちいんだよ、こんちくしょーめ。
県内どころじゃないんですよ、ホントに。
その後も、ひたすら熱い。
び、美人?
こんな熱い湯につかってると美人?
頭が混乱してくる。
待ち合わせの時間まで、まだまだある。
洗い場であるとか、一休みする場であるとか、そういったアトラクションがここにはない。
ただ、湯につかるだけ。
それだけ。
じゃあ、つかってるか。
どんくらい、時間たったんだろう。
おばちゃんは、自分より先にあがっていった。
自分もあがればいいのに、何故か頑張る。
その意味がわからない。
高温による身体の痛みに加え、しびれが。
もう、これはやばいですよ。
勘弁してくださいよ。
あがりますよ、ワタクシは。
というか、とっととあがってください。
ふらふらしてると、向こうの湯から声が
「もう、あがるけど、そっちはー?」
「あがった」
浴衣着て、下駄はいて、ガコーン!
あ、あんよ、ひねった。
足首痛い。
ふらふらなもんで、下駄がわなわなする。
その、ふらふらなまま外に出ると、驚愕!ってな表情の連れの第一声
「どしたんですか!顔、ものすごく気持ち悪い色になってますよ!!」
「あつい」
「あんな湯に入ったー?!」
「入った、首までたぷたぷになって、いっぱいつかった」
汗は全くかいていない。
その熱が全部身体にこもっているのだ。
だから、暑い。
心臓がドクドクしてる。
相変わらず身体が震え続けてる。
さすがに連れも心配しはじめる。
その辺に座って休みましょうってことで、手近なベンチに腰をかける。
「宿戻って、水分とって横になって、それで・・・」
と、真剣に話してる連れの横で
「び、びぃー・・る
お、びーる呑めば治る」
単なる馬鹿に成り下がるオレ。
勝手に呑んでろ、ビールでも何でも。
さて、まあ、こんなで宿で横になって休みながら、何してんだ?って。
温泉行って、ゆったりしようぜ!
が、ぐったりじゃないですか。
ちなみに、夕飯におビールと冷酒をいただき、すっかり回復。
さすが、アルコリック・ボディー。
アルコール入れると治る。
ゆでタコになってた気持ち悪い顔色も落ち着き、呑む呑む、酒を呑む。
今回の温泉は完全ノック・アウトだったけど、根本的に温泉は最高の娯楽だと思っている。
ゆったりした時間。
思う存分、呑める酒。
たゆたう会話。
酒の抜け切らない頭と身体で床につく心地好さ。
最高だべさ。
はい、また、ちなみに、心地好く床についたはずなんですが、あの高温がたたって、ちっとも眠れないんですよ。
身体に熱がこもってる。
うおー、暑いがな。
布団をはぐ。
うおー、寒いがな。
その、繰り返し。
まったくもって、眠れない。
でも、温泉、最高。
さて、翌日、あの猛烈に流れまくる川は。
といいますと、相変わらず、ゴオゴオこりずに濁流でございました。
いつまで、ダクってんだよ。
あっぱれ、渋温泉。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
3月に行く予定だった、渋温泉にリベンジをかける。
1度行きたいと思った所、1度欲しいと思ったものは、後になっても引き寄せる。
さて、渋温泉とは、長野の北にある温泉郷である。
数年前、旅先で知り合った友人が遊びに来た。
その友人は、たしか5年近く放浪してた。
のもあって、のんびり温泉にでも行きたいといって、オススメはないかと訊いてきた。
「わかんないよ」
「わかんないわけないだろ。長野には温泉いっぱいあるだろーよ」
んなこといわれたって、長野出身でもないし、温泉通でもない。
わかるわけないだろ。
結局、友人は自力で「渋温泉」なるところをセレクトし、出かけていった。
「渋くてサイコーだったぜ、渋温泉。たまたま、ホモのおっちゃんと一緒になってね。触られまくって、さすがにヤバイって思ったよ」
私はその言葉をずっと忘れなかった。
よし、おいらも行こう、渋温泉。
レッツ・トライ!(って、何にトライする気なんだよ)
薄曇り、明るい曇りの温泉日和。
炎天下の中、温泉に向かうのは、どうも風情にかける。
どんよりしたなかで、しっとりと。
んゴオオオオオーーーーっっ
って、なんだよ、この音は。
渋温泉の脇に川が流れているのだが、その川の規模とは比較にならないほどの大量の水が押し寄せている。
川なのか?
滝もどき。
濁流がひたすらゴオゴオ飛沫を上げていて、あたりの静けさから明らかに浮いており異彩を放っている。
マイナス・イオンじゃなくて、土しぶきだよ、これじゃあ。
さてさて、この川が今日の主役じゃないでしょうに。
なんていいながら、この川の話題は常に出てきていたんだが。
渋温泉では、『金具屋』というお宿が歴史があり大変有名ではあるんだが、高い。
その建築も荘厳であり、圧巻である。
もちろん、泊まりはしないが見には行く。
でかでかとした入り口の奥の方の暗闇の中に常に人が待機していて、コワイ。
これ、感想。
我々のお宿は、その『金具屋』のそばの『ひしや寅蔵』ってトコ。
まず、その名のワケのわからなさに惹かれた。
少ない情報からでも、私のセレクトする宿は渋くて、なかなかおいしいところである。
宿選びには自信がある。
この宿の女性客目当ての、おいしいところはカラフルな浴衣を選べる点にある。
でも、自分も連れも浴衣にとりたてて興味を示さない。
部屋に置いてある青白ので十分である。
ただ、サイズにはうるさい。
女中さんも浴衣をひろげて、せっせと付き合ってくださった。
私は大きく見えたらしく、Mを出されたが、結局はSで。
連れも、毎度の事ながら大きく見えるらしく、特大で。
普通のLでいいんじゃないか、とか何とかいってたけど、結局特大で。
女中さんがその場を離れてから、さっそく袖をとおしてみる連れ。
「あ、ちょうどいいや、これ」
って、アナタ、それワタシの浴衣じゃないですか。
足、モロに出てますよ。
どこがちょうどいいんですか。
連れは、たまに素でそういう行動をする。
笑いをとるとかそんなじゃなくて、本人はごく真面目にである。
だから、見てるほうとしては可笑しい。
って、早く温泉入れよ。
浴衣なんて、どうだっていいから。
なーんて、今日はここまでー。
長くなりそうだからね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
だいぶ前に、「バオバブ・セット」なんちゅうもんを買ってしまった。
そーいや何年も前に「サボテン育てましょうセット」みたいなもんも買ってしまったな。
ラベルには「丸サボ」って書いてあんのに、育ったものは何故か「長サボ」で、育ってしまった以上返品もできないまま、今にいたっている。
さて、バオバブの発芽率は70%
出ない確立もある。
そしたら大いに的中。
うんともすんともいわない。
発芽しないものは腐ったりカビたりするらしいが、ウチのはそんな兆候も見られない。
ただ、ひたすら変化が見られない。
なんだ、これは。
万が一、発芽しない場合は種のみ再送してくれるとのこと。
おそらく、万が一ではないだろう。
もっと多くの確立で発芽してないはずだ。
さっそく、再送依頼。
そして、昨日新しい種をまいてみる。
うんともすんともいわない。
って、1日じゃ無理でしょ。
ぼやぼや画像の白い鉢に何か絵が。
『星の王子さま』です。
お話の中に、バオバブの木が出てくるんです。
でも、そのお話の中では、王子さまは必死にバオバブの木が育たないようにしてるんですよ。
なのに、商品では育てちゃうんですね。
まことに勝手です。
ごめんね、王子さま。
そんな商品買っちまったよ、おいら。
かあちゃんからは、「こんな豆みたいのまいたって無理よ~、あんた」
っていわれてる。
確かに種というより、お豆だ。
しかし、マリーゴールドだけは芽を出すのも育てるのも得意と自負してるだけに、こやつも育ててみたいと思うのですよ。
(ちなみにマリーちゃんは、とても丈夫で発育率、おそらく100%かと思われる)
さて、リベンジをかけたバオバブは、芽を出すんだろうか。
おじちゃん臭さを謳歌してるワタクシではありますが、こんな乙女なところもあるんですよ。
ちなみにこんな乙女は数日後に念願の温泉行きで、日本酒をあおるのが楽しみで仕方ありません。
翌日に残らない焼酎は相変わらずどこ行っても人気ですが、酒ってのはなぁ、翌日だって残るもんなんだよ。
それが、酒なんだよ。
八海山、美味い。
辛口がいいね、日本酒は。
って、なんだよ、このブログ。
バオバブ、今回も芽ぇ、出ないんじゃないか、こんなじゃ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
ひとつの会がある。
それを「廃人会」という。
とりたてて何かするための会ではない。
また、何かするために集まるわけでもない。
会員が増えることは、まず、ない。
募集もしていない。
会費もない。
会報もない。
規約もない。
とにかく、ないない尽くしの会である。
発足は5年前。
場所は、トルコ・イスタンブールのコンヤ・ペンションにて。
安宿の中庭にて、である。
自然発生的に生まれた。
ひとつになる強いスローガンもなく、なんとなく成り行きで。
こう思う。
個性の強いもの同士の集まりは、ゆるい集団にならざるを得ないな、と。
廃人会は3人で構成されているが、誰ひとり聞き役であるとか、他に譲る姿勢をとる人間がいない。
みんな、それぞれに考えが違って、それぞれに発言する。
行動だって強行突破。
なもんで、集ったときは、その持てる強さというか(単なる我がままかにゃ)己を出すと衝突するってことが言わずともわかっている。
だから、集まると自然とゆるくなる。
逆に、個のときは、お互いに見ていないが、おそらくものすごい「己」なんだと思う。
さて、そんな廃人会にもそれなりにマメな人間がいて、「4月に集ろうって言ってたよね」ってことで、キチンと話を持ち出して4月の終わりに大阪に集結する運びとなった。
もちろん、このマメな人間というのは、私ではない。
住んでる場所がそれぞれ違うので、パッと決めてパッと会うことは難しい。
1人が、大阪に住んでいるので、今回は大阪になった。
ただ、それだけ。
なもんで、大阪といっても、行きたいところが特別にあるわけではない。
そんなことは確認しなくとも、3人全員同じ考えであるのはわかっていた。
「アズヲさんは、どこ行きたいの?」
「布屋とタワレコ」
「・・・・・・・」
「布、買いたい」
「そんなの、東京でだって買えるんじゃない」
「せっかく来たから、買えるときに買っときたい」
「あ、そう」
ってことで布屋開店までの時間を、車から降りないで楽しむ大阪観光にあてた。
通天閣も大阪城も、ああ見えたねえってことで、誰ひとり降りようとしない。
まさに廃人。
ゆるさ炸裂。
買い物が終わってからも、昼になっても、夜になっても、場所が変わっても相変わらず、何するわけでなく、ただ3人でダラダラする。
何かしたくて3人で集ってるわけじゃない。
でも、もうちょっと何かあるでしょう。
いや、ないんです。
旅の仲間っていうのは、たいていその場で終わることが多い。
とても仲良くなっても、複数であればあるほど、その中にちゃんとしたマメな人間がいないと自然と消滅してしまう。
また、日本での住む場所が違うと、これも自然と会うことは遠のいてしまう。
そう考えると、まず、3人というのはちょうどいい人数であると思う。
誰かひとりが都合つければ、まあいけるでしょうって。
これが多人数になると、あわねえあわねえ、予定が。
あと、当時、べつに仲が良かったわけじゃない。
だから、会ったところで、「あのときは、あんなでねえ~」なんて旅の思い出話にひたることもなくて、ひたすら、今の現実の話。
旅の思い出話が悪いっていうんではない。
でも、思い出は時に風化し美化され、そのリピート加減に、もういいだろってなることがある。
旅は旅である。
現実に半身突っ込んで生き始めると、旅のサンクチュアリだけでは生きていられないのだ。
そう考えると、廃人会のメンバーはちょうどいい。
現実に生きているのだ。
ガクブチの話もいっぱい出た。
私自身もちろん真剣だが、彼らもとても真剣に考えてくれる。
そして意見もくれる。
ガクブチは私の将来である。未来である。
そして、まぎれもなく「今」である。
ガクブチを作り続けている限り、廃人会は続くような気がする。
こうして、廃人会・春の部は無事に幕を下ろし、私はまた、ここでガクブチを作る。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
本屋にいる間、たまたま、同じ年齢の3人と知り合った。
自分と同じ年齢というのではなく、彼ら3人が全く同じ歳だった。
そして、そんな彼らとしていた話は決まって「人生」の話だった。
彼らは3人とも自分より7才年下だ。
7つといったら、それなりの開きがある。
自分が見てきた漫画やテレビなんかのカルチャー面では、かぶらない点だって多々ある。
でも、彼らが求めてきたのは、そんな同世代とできる会話ではなく、ときに煙たがられるような話題ばかりだった。
本屋の他の店員から、「なんの話してんの?」って訊かれたとき
「将来」
って答えた。
未来っていうと夢や何かで輪郭がぼやけてしまう。
どことなく甘く優しいものだ。
しかし、将来っていうと、とたんに現実味をおび、ここから一歩先の何かを見たい・感じたい・知りたい・何とかしたい。
そんな色合いが濃くなってくる。
彼らが求めたのは、そんな後者だった。
同じ土地で成長し、それぞれの環境で生きてきて、いろんな事情をかかえ、そして偶然、本屋で私と知り合った。
パッと見の見た目もたたずまいも雰囲気もまるで違う3人だった。
しかし、考えてることは、みんな同じだった。
そして、同じことを私に訊いてきた。
いちばん快活に見える無鉄砲そうな奴がいて、そいつがよく訊いてきたことは
「なんの仕事をして生きていきたいの?」
自由でちゃらんぽらん、そんな雰囲気を誰よりも漂わせてるからこそ、その質問にも重さがあった。
その彼が本屋にいるとき、自分にはまだ「ガクブチ」はなかった。
旅から帰って間もなくのときで、確かに彼同様自由にみえた。
でも、その自由がたまに重荷に思えた。
自由だからこそ、やらなきゃいけないことがあるだろ。
じゃ、それってなんだろ。
「好きなことが、いずれ『仕事』としてつながればサイコーだよね」
と答えたものの、じゃあ、好きなものって何?って訊かれたとき『絶対』として答えられるものはなかった。
旅をしてきた、絵を描いている、じゃあ、それを仕事としてつなげていかれるだけの持久力はあるか?
っていうと、なかった。
一生あちこち旅をしてたいかっていうと、それもなかったし、絵に関しても「売り物=仕事」に結び付けられなかった。
だからこそ、自分は彼らとよく語った。
彼らも私の答えを待った。
今住んでるここは、田舎である。
悪いトコじゃない。
でも、ここは東京とは違う。
ちゃんと田舎の風習が残っているのだ。
それは婚期の早いことにもいえる。
学校を卒業して、そこそこ仕事をして結婚をする。
それを疑問と感じてる人のほうが、おそらく少ない地だ、と思う。
彼らと会ったとき、自分は20代後半。
そんな人間がふらふらしてる。
この世間からみれば、奇異である。
しかし、だからこそ、こんな人間だからこそ、彼らは「答え」を持っているのかもしれないと感じたのかもしれない。
でも、私に「答え」はなかった。
あるのは、彼らと一緒に考えることだったし、今もそう。
そして、その3人は、それぞれの道を歩いている。
違ってみえる彼らの根底には同じものが流れてる。
それを知っている自分はうれしくて、自分もまだまだって思える。
まだまだ、がんばらにゃーあかんって。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ラクなんてしようと思えば、どこまでもできる。
甘えだって、そう。
それらに対し、「そんなんじゃないんだよ」って自分なりの否定の答えを出して、だましだまし日々を生活するなんて簡単なこと。
年が明けてから確かに大変だった。
「どんだけ、修羅場くぐってると思ってんねん」
ってある人に言ったことがある。
その人は羨ましがった。
自分も、そんな修羅場を踏んでデカくなりたいって。
思ったんだろうね。
でも、そんなん遭遇したくて、ぽんぽん経験してるわけじゃないし、今回の修羅場もなんやのもう。
その羨ましがった相手で、修羅場になってしまったがな。
おかげさんで、こちらがまた変な強さを身につけてしまったわ。
しばらく、放心状態な空白の時間と、常に誰かがいる時間と、病院に通い詰めてる奇妙な時間の繰り返し。
それで日々が、どんどん過ぎていく。
そして、それに完全に甘えきっていた。
まだいいだろう、まだ戻らなくてもいいだろうって。
甘えてることを、自分自身で否定していた。
「違う違う、甘えてるんじゃないもん」って。
なに言ってるんや、こいつ。
きもいな。
完全な甘えやん。
しゃらくせえ。
甘えてる自分は大嫌い。
今朝、仕切り直しをした。
ずっと眼に入っていたのに、通り過ぎていた「素のまま」のガクブチをやっと手に持った。
だいぶ前に丁寧にやすりがけした木地が、すっと肌になじんだ。
始めるか。
ガクブチ作りが「作業」になるのがこわくて、しばらく手にしていなかった。
作業でも、物は作れてしまう。
確かに自分なら作れる。
でも、違う。
ガクブチは作業のひとつとして作ってるわけじゃない。
だから、放置された木地を見るたびに苦しかった。
作れるのに、作らないでいる自分がいることに苦しかった。
始めるまでに時間はかかった。
結局、甘えの状況から抜け切るのは、何らかの自分の力でしかない。
その「何らか」が、わかってるようで、なかなか出せなかった。
やっと、出したぞ。
いつまでも、でれでれしてんじゃねえ。
ガクブチってなんだろう。
言葉のひとつ。
好きで作ってる、それだけじゃない。
真っ白なガクブチひとつにも言葉がある。
その言葉を誰かに届けること。
届かなくたっていい。
ただ、使命感がある。
ガクブチね、自分が作らなければ誰が作るの?
このガクブチは私だけが作れるガクブチ。
だから、作り続ける。
ある人は言ったね。
「ずっと、ガクブチを作っていてもらいたい。それをずっと見ていたい」
おーし、まかしとけ。
作るでー。
これは自分に託された、ひとつの仕事。
再生。
| 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
ここ連日のバタバタ続きが出たのか、出たんだな、身体に。
病院に行った。
行くきっかけは、先日、仕事場であった健康診断で。
内診を受けるために、カーテンがらって開けて入った瞬間の先生の驚きよう。
「あ、あ、あなたさ、あの、、あのね・・・」
先生、言葉続いてないじゃないですか。
そりゃ、このところ、大変でしたよ。
顔色だって、わりいかもしれませんよ。
「あ、あなたさ、最近、急に体重激変してない?」
「こんなもんスかねえ」
「そうお?ホントにそうお?・・・・んーーーー」
悩まないでくれ。
「じゃあ、ちょっと坐って。・・・・・ああああーーー」
ホントに、「あああ」の多い先生である。
でも、そうさせてるのは自分であって、先生ごめん。
しきりに、首というか、のどをごりごり触っている。
痛くもなんともない。
「以前、何か言われたことない?病気は?」
「ん~、特に。2年前、呼吸困難で入院したぐらい」
「・・・・・・・」
先生、黙ってしまったがな。
「甲状腺がね、気になるの。ん~~、なんでも・・・・ないとね、思うんだけどね。一度ちゃんと調べた方がいいと思うんでねえ・・・・」
先生、暗くならないで。
「じゃあ、ちょっと横になってみて」
よっこらしょ。
「・・・・・、あああ・・・・」
先生、「あ」が多いって。
小さい声で、先生一言。
(あなた、こんな痩せてしまって・・・)
でも、先生、お会いするの初めてでしょう。
以前の私を知らないでしょう。
だけど、とにかく先生の動揺が自分を揺らす。
病院か。
自分ひとりだけの身体じゃないもんな。
行くか。
ちくしょーめ。
甲状腺もそうだけど、数日前から出た左下半身のしびれがこわかった。
慢性的な腰痛持ちでもなんでもない。
腰が痛くなることなんて今までなかった。
まだ、痛いんならいい。
しびれてるのだ。
これは、こわい。
車を運転してても、明らかに左足に力が入っていないのがわかる。
ふわふわしてる。
こりゃ、こわいのは自分だけじゃねえぞ。
行きましょう、病院。
ね、病院。
このところ良かった天気。
それも今日はどんより。
車をとばす。
受付の時間が。
急がねば。
早く起きりゃよかった。
じゃ、ないでしょう。
足、ふわふわしてるでしょう。
とばさないでくだしゃい。
この時期ですからね、病院は混んでます。
待てど暮らせど、呼ばれん。
ヒマだな。
本よも。
ヒマだな。
お茶のも。
別に具合が悪いわけじゃない。
周りは家族に付き添われて来てる方々ばかりで、本当に大変なんだ。
でも、自分。
ん、とりたてて、ぐらんぐらんじゃない。
ただね、腰が。
変に動くと、おおおおお。
それより、早く呼ばれないかな。
ヒマだな。
おなかへった。
気付いたら、周り、人、全然いないじゃないですか。
やっと呼ばれた。
入るなり、坐るなり。
この先生も、びびる。
「おおおお」
健康診断の先生は「ああああ」だったけど、この先生は「おおおおおお」だ。
首を見て、びびってる。
「おおおお、あなた男性並みですよ」
「・・・・・・・・」
何がでしょうか。
「普通、女性はね、こんなじゃないんで」
首じゃない。
首はそれなりに細い。
そこにおさまってる甲状腺が異状に張ってるらしい。
おお、やっぱり、オレは男だったのか。
どうりで逞しい。
そんなことどうでもいいか。
こんなときは。
「苦しいですか?」
「いっぱい息すっても、そんなにすえてる気がしない」
「検査しましょう」
先生、考える。
甲状腺、そして、下半身しびれ???
なんだこりゃ。
「じゃ、ちょっと寝てみて」
あちこち叩いたり、触ったりしてみる。
「いたい?」
「いたくない。叩いても押してもいたくない。中腰になろうとすると、お、お、お、ってなるん」
お、お、お、ってなんだよ。
わかんないよって顔してるね、先生。
「私はね、外科じゃないんでね。内科なんで、あんま詳しいことはねぇ」
どっちでもいいです。
「じゃ、こちら側から押すんで、押されたらあなたも押し返して」
おっけー。
「ハイ、押して」
ほうっ。
先生、ぶっ飛ぶ。
よろよろ、よろけてじゃなくて、先生どこ行くんですか。
「あ、ちょっと、心の準備が」
先生、どんな準備が必要なんですか。
ま、とりあえず、検査してきてくださいってことで退室させられる。
血液検査。
超音波。
くすぐったいがな。
レントゲン。
腰の辺りを撮るからねえって言われる。
「じゃあ、ちょっとジーンズおろそうか」
「はい」
がばーって。
「あ、あ、あ、そんなにおろさないで。そんなにおろさなくていいから」
びっくりするから、やめてちょーだい、みたいな顔されて、はい撮りますよー。
一通りの検査を済ませ、また、元のところに戻る。
ぶっ飛んだ先生の一言。
「レントゲンね、この場所じゃないんだよね。もっと、上が見たかった」
ジーンズおろすの、そんなにおろすなで頑張ったオレたちの甲斐なし。
この頃からだんだん疑問が。
ホントにオレは病気なんだろうか。
「甲状腺ね、大丈夫。平均値」
って、ことは、ただやっぱり男前な首ってことでいいんだ。
ひゃっほーい。
でも、明日、もう一度病院へ。
今度は整形に行ってくださいって。
下半身のことは、そっちにまわされた。
夜は呑んだ。
久々に晴れやかな酒だ。
呑むぞ、これからも。
もっと呑むぞ。
たくましくてなんぼ。
それでいい。
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)
東京寒くない。
ちっとも寒くない。
長野の寒さに慣れてしまったのか?
皮膚ぶ厚くなってしまったのか?
とにかく全然寒くない。
なのにみんなコート着て、モコモコになってる。
どれ、自分も。
なんとなく真似してみる。
んがーっ、あちーっ。
コートなんかいらんがな。
暑いがなー。もうー。
ぶつくさいいつつ、暴れながら東京へ。
久々である。
現地で親父と待ち合わせ。
家でも滅多に顔を合わせないし、外で会うことなんて、ほぼ皆無。
でも、やはり親子。
「おう」
という、親父の一声で振り返る自分。
ものすごい人だかり。
親父じゃない、おじちゃんたちが、いっぱいわらわらしてるあの中でも、わかるもんなんだね。
「電話したんだぞ」
気付きもしなかった。
自分は電話には気づかないことが多くて、誰からのにかかわらずちゃんと出たためしがない。
というか、親父も親父で、至近距離にいるに関らず、何故か携帯を鳴らす。
帰るとき。
駅の、ホームのそことそこにいるのに。
何故か鳴らす。
なんで鳴らしてんだろ。
普通に声かければいいじゃないか。
意味不明。
ちなみに、この電話も自分は気付かず、あとでいわれた。
「電話したんだぞ」
だから、声かけろって。
とりたてて仲が悪いわけではない。
電車に乗る。
並んでるときは一緒に並んでる。
電車が来る、乗り込む。
何故か、決まりきったようにそれぞれ別の方向に歩いていって、そして、それぞれに、ちんまり着席。
相手がどっちに行ってるのか、振り向くこともないし、喋るのがイヤであえて離れたっていうんでもない。
ただ、自分の行きたい方に行ったら、相手がいなかった。
でも、降りるときはしめし合わせたように、同じ出口から並んで出る。
よくできている。
そして、まだこりない。
続いて、新幹線。
気付いたら、親父がいない。
やはり、お互い勝手にそれぞれ乗り込む。
自由席だから、こらまた勝手に。
しばらくすると親父登場。
「車で来たのか?」
「ああ」
「じゃあ、乗っけてってくれ」
ほいじゃ、また、あとで。
っていって、親父は自分の席へ。
なんじゃらほい、この親子。
でも、お互い同じ考えだから、ラクなんだ。
たぶん、隣りに並んで座ってても、お互い黙ってるだろうし。
喋ることが無いんじゃなくて、喋ることも無いだろ、ここでは。
と思ってるんだ、お互い。
駅の改札で合流して、車に向かう。
終始、駐車場の話で盛り上がる。
ここは、いくらだ、とか。こっちのが安いな、とか。
んー、値段比較して、どうせえっちゅうの。
こんな二人だが、どうやら見た目はちっとも似てないらしい。
現地で親しい方と会った。
彼女いわく。
「似てないねぇ~。誰あれって思った」
「うん、親父」
「ホント、似てないよねぇ~」
「うん、そう、親父」
と答えるしかない。
が、確かに似てない。
さて、そんな親父話で今日が終わるでなし。
今日、東京に行った理由はお通夜だったのである。
立派な方だった。
聡明で、賢くて、気丈な方だった。
身体のすぐれないときも笑顔だった。
とても気を配ってくださった。
だから、私は気付かなかった。
苦しかったんだろうな。
苦しかったのかもしれない。
いつも、言葉を下さった。
旅に出るとき。
旅から帰って。
本を出したとき。
ホームページを作ったとき。
「ああ、いろいろやってらっしゃるねえ、がんばってるわ」って。
今回のガクブチ展もそう。
言葉を頂いたばかりのような気がする。
でも、死が越えてしまった。
彼女よりも先に、死が越えてしまった。
だから、残された私たちは、死を超えなきゃダメなんだ。
死は苦しい。
でも、それを受け入れなきゃダメだ。
死を超えろ。
まだまだ、これから。
やるよ、自分。
やらなきゃ、もっとがんばらなきゃ。
誰かのためにっていうんじゃない。
だけど、彼女に誓った。
もっと、いくよ。
みててや。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
去年の暮れ、安曇野の『リサとガスパール展』に出かけた。
彼らの絵本は、表紙やタイトルで惹かれるものを手にとって、ぱらぱらと眺めているだけで実際に自分の手元には1冊もない。
本屋に行くたびに、あるいは自分の働く本屋で時間のある隙に眺めている。
読むでなく、見ているだけで、彼らの暴れっぷりが楽しくて飽きずに眺めてる。
じゃあ、なんで、手元にないの?
いっぱいあって、選べないから。
ただ、それだけ。
だから、リサとガスパールは本屋での楽しみ。
そんな、彼らに今回は安曇野で対面。
やはり、暴れまくってました。
自分は、絵本に自分なりのセリフをつけるのが大好きで、この『リサとガスパール』はその最たるもの。
どんどん、セリフがつく。
きっと、絵が活きてるから、このうえなくイキイキしてるから、自然と喋りだすんだろうな。
ここでも、一堂に会した彼らの絵本を、あっちゃこっちゃあけては大興奮。
静かな絵本館にあって、とにかくやかましい。
大人のための静かな空間のはずなのに、うるさい。
おれたち、ものすごくうるさい。
やっとこさ落ち着いて入り口に戻ってきて、目に入るふかふかなリサとガスパール。
「リサとガスパール、どっちが好き?」
って訊かれて、しばし考える。
どっちかっていうか、どっちがなんでしょう。
どっちも好きだしなあ。
どっちもいて、だろ。
訊いた相手は待っている。
「し、強いていうなら、ガ、、ガスパール、、、かなあ」
しばし、並んで考える。
いや、違うだろ。
すぐそのことに気付いて、リサとガスパール一緒にかかえてお会計。

帰りの道中、膝にふたりをのっけて、まどろむ。
ふかふかのふたりが西陽をあびてあったかい。
音楽が気持ちを漂わせる。
シガー・ロスだ。
ふとした景色に出会う。
山あいの道を走っているときのこと。
刻々と陽が傾いていくなか、山裾は青黒く陰になり山頂部分にだけ陽があたっている。
冬の光というより、むしろ秋の黄金色に輝くような色合いで、まずその光の色に心が動いた。
そして、その黄金色の光の中に、犬を散歩させている人がいる。
どっから、あがってきた?
こんな険しい山肌に。
その瞬間、この景色と近しいものを、いつか古い頃に感じていたことを思い出す。
音楽の重なり、景色というより色と光の重なった、曖昧な記憶の断片。
いつも、こんなような感覚がふとした何かで現れて、とてもメランコリックになる。
この記憶が「いつのなに」と断定することが出来ず、ただ、あふれてきて、今度こそここで留めようと思う。
だけど、それは出来なくて、だから、少し哀しくなる。
美しい景色は、ぼんやりした頭の中に突然現れるときがある。
それらを集めて、忘れたくなくて、自分は必死に何かを残そう、作ろう、としてる。
美しさは自分にとっては「記憶」なのかもしれない。
そして、そんな記憶を呼び覚ますのが、音楽なのかもしれない。
| 固定リンク | コメント (9) | トラックバック (0)
毎日が大切である。
歳をとったのだろうか。
歳をとること、つまり死ぬことにどんどん近づいてるわけで、もうカウントダウンが始まってるのか。
んなわけねえじゃん。
でも、生きてるってことは死に向かってるってことでもある。
別に暗くなるでなし、宗教めいてるでなし、それは当然のこと。
だから、最初にいった「毎日が大切」。
毎日を慈しんで生きなければと思う。
曜日の感覚がないとか、今日が何日だかわからないだとか、自慢げにいう人がいる。
なんて、アホなんだろうと思う。
そして、数年前の自分も彼らとまるで同じで、ヘラヘラそんなこといっていた。
つまり、毎日がダラダラしてたってこと。
一日一日の刻みがないってこと。
今日がいつでも何でも、いいってこと。
もったいない。
「もったいない」は自分の最大の口癖でもある。
ことあるごとに言う。
相手に対しても言うが、一番は自分への戒めとして言う。
何か大きなもの、学校や会社に所属していると、自然と毎日が組み込まれたように過ぎていく。
しかし、その所属から離れると、とたんに時間の感覚はなくなる。
そうなると、自分で自分の時間を何かに組み込まなければならないのだ。
これが簡単そうで、結構難しい。
だから、数年前の自分はヘラヘラしていたのである。
これじゃいかんってことで、去年からカレンダーを買った。
それまではダイアリー帳だけだった。
閉じられたダイアリー帳の中にひそむ毎日と、目の前にでかでかと印字された日にちを眺める毎日とでは、明らかにプレッシャーが違う。
毎日が刻々と過ぎていくのが、わかる。
終わる、終わる。
来る、来る。
ガクブチを作り始めた一年でもあって、常に期限があってそれに追われていた。
カレンダーの日にちが、よりその速度をはやめた。
すぐ、追いつかれる。
こんちくしょーめと思う。
追い越されちゃダメなんだ。
自分自身を内から持ち上げるために、音楽を。
たくさん自分に与えた。
吐くほど詰め込んでた。
物を作ってるときの自分に入る音楽はガソリンのようなもの。
ぐろぐろ、とどろいてて、時に過剰。
でも、おかげさんで、ガクブチは完成するんです。
出来上がっちゃうと、スッキリしたもんなんですね。
自分自身はどす黒くなったガソリンにまみれた感じではあるんですが、そこから吐き出されたガクブチは実に白いんです。
そんな一年を終えて、また、こんな、いやこれ以上の一年を始める。
今、眼の前には去年以上にでかいカレンダーが掛けられている。
より、プレッシャーを。
それでいいんだと思う。


うおー、でけえぞ、カレンダー。
ちなみに今月は大好きなガネーシャからスタート。
インドの神様は、みんな眼がイイ。
イッちゃってる眼がイイ。
そうさ、イッちゃえばいいんだよって。
2005年、たくさんのものに出会った。
その出会いに感謝。
ガクブチを再始動させるために行った、長野の善光寺。
大雪だったぜ、参道で滑って転んだぜ。
でも、続けるぜ、ガクブチ。
今年も作る。
偶然の出会いでいいんだと思う。
出会い方は、「けっ」て言っちゃうくらい平凡で。
でも、かけがえのないもの。
そして、音楽。
音楽から生まれたもの。
音楽に導かれたもの。
音楽で出会った人たち。
たくさんの音楽。
腕に刻まれた自分自身。
入れ墨も、ある音楽から生まれたようなもの。
今は自分の紋章のようなもの。
たくさん、しるした。
2005年にしるしたもの。
それらは全て、これからに続くもの。
ヘラヘラなんかしてらんねえぞ。
そんな暇ねえ。
数年前の自分に言ってやろうぞ。
慈愛に満ちた毎日。
fuck you.
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
いつの頃からか自分の意見は、とても強くなっていた。
旅先でもそうだし、仕事場でもそう。
初めてそれを実感したのは、高校生のときだった。
クラス全員を敵にまわした。
仲間はずれにされちゃったら、どうしよう。
で、あるとか、この先の自分の立場なんていったこと、頭になかった。
ただ、ひたすら、「言わせろ」と思った。
そして、言った。
みんな、かたまってた。
ものすごい勢いで、全員が自分に釘付けになっていた。
自分は間違ったことを言った覚えがなかったので、みんなの視線はなんとも感じなかった。
クラスの花形ともいえる女の子たちの態度が、急におとなしくなった。
それまで、ぎゃあぎゃあ騒いで、こちら(自分のいる方)を攻撃していたくせに。
クソくらえと思った。
事実、自分にとってクラスの花形にあたる人たちはクソに思えた。
昔から、そうだった。
だから、自分は異端だった。
でも、不思議と敵はいなかった。
今、思えば、くだらないことである。
自分の意見したことなんて。
だけど、黙って鵜呑みにすることが出来なかった。
自分の正当性なんてものじゃなくて、根本的に「ふざんじゃねえぞ」って、ただそう感じた。
環境、年齢が変わっても変わらないものはある。
どんな場においても、必ず「主流」があって、それにのっかってる人はたくさんいる。
自分は、やはり、いつもそこにはいない。
主流に加わる前に、まず自分の「意見」がある。
その意見は、結局、主流にはそぐわない。
主流に属してる大多数の人に、意見らしき意見を言う人はあまりいない。
ただ、なんとなくいいと思ったから、誰々さんと同じ意見です。
そんなん。
意見のない人にとって「主流」はラクである。
逆に意見のある人にとって「主流」は疑問である。
私は、いつも疑問だらけだった。
過去形じゃ、おかしいな。
今もそうだから。
意見を言う。
意見を言うこと。それは間違っていることなのかもしれない。
でも、正しいということに導くためには、意見がなくては到達しない。
今、自分のいる環境で意見を言うのは自分しかいない。
だから、ものすごく強い存在でもある。
それはとても危険なことでもある、と最近感じている。
自分ひとりの意見で、苦しむ人がいる。
でも、みんなは助けられない。
その苦しみの種を蒔くのは自分であるということを考えると、自分の意見の強さを自分自身で自覚しなくちゃダメなんだって思いながら、遠くを見ていた。
「ネエさん、眼がイッちゃってるよ」
そんなとき、自分は遠くを見てる。
蒔いた種。
それは自分で刈らなきゃダメなんだ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
引っ越しを繰り返していると、自然と物が減ってくる。
旅をしてると、絶対に必要なものが見えてくる。
余分なものが削ぎ落とされていく。
いま、自分の身の回りには必要なものしかない。
必要のない物は処分されているか、見えない場所に収納されている。
それにしたって家族の中で一番、物をかかえているのは私だ。
他の人は、あまり物を持たない。
だからなのか、家は実にガラーンとしてる。
家具もほとんどなくて、空間がたくさんある。
でも、これで充分、生活は成り立つ。
おのおのに必要なものが見えてるからだ。
物は、いらないんだ。
物より、必要なものは空間なんだ。
空間を満たす何か。
人は空間を満たす何かがわからないから、とかく物質としての物ばかり空間に置いてしまう。
結果、それはジャマになる。
家だけじゃない、人そのものだってそうだ。
剥いで剥いで、剥ぎ取っても魅力のある人は、数少ない。
みんな、何かで覆ってばかりだ。
必要のない物ばかりで、自分をかこんでしまう。
その、カッコはなんだ。
はやってるのか?
だっせー。似合ってねえぜ。
その化粧はなんだ。
気持ち悪いぜ。
その鞄はなんだ。
ブランド?
オマエと見合ってないじゃん。
肩書き?
そんなもんにすがるなよ。
ダイエット?
見た目じゃねえよ。
心をダイエットしろよ。
金?
金なんて必要なだけありゃいいんだよ。
自分の空間に満ちるものは音楽で、その中でものを考え、そしてガクブチを作っている。
高価な物なんていらない。
みんなが持ってる物なんていらない。
音楽で満ちる自分の空間には、剥ぎ取られた裸の自分がいる。
MINIMUM-MAXIMUM
最小であることが、最大。
無から無限に。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
入れ墨を抵抗なくいれられたのには、実はワケがある。
自分の身体には消せない「痕」がいくつもある。
それは消したくても消せないもので、どうあがいても在るのだ。
小学生のときに突然、何の前触れもなくアトピーになった。
痒くてツライのもあったけど、自分の身体が日増しにボロボロになっていくことが単純に怖かった。
その当時は「アトピー」って言葉が世間に出たばかりの頃で、説明してもわかる人はいなかった。
薬もステロイド系の強いもの、つまり後遺症の残るものしかなくて、早く治したくて塗りまくった。
そして、肌には黒ずんだ火傷のような痕が無数残った。
今でも、夏に長袖を着る機会が多いのは、身体を隠すためだ。
海にも行かない。プールだって行かない。
水着なんて着れない。
薄着もできない。
そんなことより、何より痛かったのは世間の眼だった。
自分と違うものに対する拒絶と、無駄な好奇。
「なんで、そんなふうになってんの?」
って、どれだけ訊かれたか。
そのとき、私はさらし者。
見てる彼らは、自分はこんなじゃなくて、あ~よかった。と胸をなでおろす。
痛かった。苦しかった。
なりたくてなったわけじゃない。
子供心に、必死に世間の眼と闘った。
とにかく闘い続けた。
誰も助けてくれなかった。
だから、ひとりで闘い続けてた。
「あなたは強いね」ってよく言われる。
そりゃ、強くもなるわ。
強くならざるを得なかったんだから。
好きで強くなったんじゃない。
でも、これもFateなのかもしれない。
キレイな肌のままの自分。
そのまま大人になっていたら、おそらく「今」の自分はいないに違いない。
牙を剥き出して世間に噛みつき、吼えまくる、「今」の自分である。
怒りを表に出すことを何の抵抗もなく、やってのける「今」の自分。
傷を負った者は、傷を負った者の、苦しんでる者の言葉を理解できるのか。
いや、できないだろ。
同情してるか?
してるふりだろ。
自己満足にすぎない、そんなもん。
結局、傷を負っていようが苦しかろうが、行き着くのはひとりなんだ。
傷も苦しみも消えない。
やっぱり消えない「痕」なんだ。
消えない。
だから、それを乗り越えなきゃいけない。
消すんじゃない。
克服するしかない。
私は苦しんでる人の言葉はやっぱり理解できてはいない。
でも、みていたい。
眼を逸らしちゃダメなんだ。
拒絶の眼じゃない、好奇の眼じゃない。
壁を突破するための力が満ちる彼らを、みていたい。
ある人が言っていた。
あなたの入れ墨は、もともとそこにあったんですよ。
ただ、今まではみえてなかっただけ。
自分の身体の消せない痕、そこにはひとつ美しくて力強い痕がある。
昔、必死に闘っていたときから、そこにあったんだろうね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
自分では変わってないと思っても、結局それは他人の判断するもの。
4年ぶりに再会した旅友。
2年ぶりに再会した旅友。
そして、3人そろうのは、4年ぶり。
久しぶりに再会した旅友、自分を含め、お互いに変わってないなあと思った。
私たちは大人である。
初めて会ったときだって大人だった。
でも、行動は小学校の修学旅行のノリ。
好き勝手に布団敷いちゃって、自分の場所ないじゃん!
寝巻きが浴衣じゃなくて、変!なにそれ!
夜中だっていうのにスナック菓子バリバリ食いまくってたり
まだ、寝てねえぞっていうのに、電気消しちゃって真っ暗やん!
早朝、ダラダラな寝姿お互い写真とりまくったり
なんてアホなんだろう。
アホなんです。
アホでいられるんです。
君たちが男で、自分が女で、なんてそんな次元のこと、どうだってよくなるこの集団。
こんな集団いままでなかったし、これからもないと思う。
おそらく、旅の一番キツイときを一緒に過ごして、ひたすら進み続けていた仲だから、友達とは呼べない友達になってるのは確か。
変な家族、そんなだ。
人との付き合いは様々。
ドラマや雑誌で見るありきたりな付き合いもあるけど、なんじゃあれ。
自分は暴走してるのかもしれない、人を傷つけてるのかもしれない。
でも、どうしても、なんじゃあれの「あれ」と同じようにはならない。
他人の意見が、どうこうではない。
自分の中の自分が許さない。
朝、彼らにいわれた。
「唯一変わったことといったら、女史が化粧してることか」
そうだ、旅中は化粧してなかったね。
そして、女史、そう呼ばれてたし、今もそう呼んでる。
変わらないね。
私は変わらないよ。

おれたちはずっと、廃人。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
明日、入れ墨のリタッチに行く。
やっとである。
1回でバシッと決まればいいんだけど、自分の肌は1回では入らない。
彫る方からすれば、それは針を刺した瞬間にわかるらしい。
やっと、終わるという気がする。
解放される気分。
入れ墨とは一生付き合うことになるし消えることの無いものなのに、解放。
今の状態はところどころ色が抜けていて、完全なものではない。
それが、明日、完全なものになる。
終わるのだ。
終わることの安堵感。
それが解放につながる。
完全なものなんて自分の身の回りに数少ない。
自分自身だって、無常で、目が覚めるたびに何か違う思いにとらわれている。
昨日と違う今日。明日だってそうさ。
同じでありたいと思いながら、その感情は徐々にずれていってるのはわかる。
だからって、どうしようもない。
昨日に戻って修正することだってできない。
でも、入れ墨は無常に宿る、ひとつの完成形。
変わることのないもの。
それが自分の身体に刻まれていることの恍惚。
自分の内に落ちていく。
そこに居るのはやっぱり自分で、自分しか居ない。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
いつもいるあの空間は、なんなんだろう。
べつに息苦しいわけでもない。
居ることに疑問を覚えることもない。
今の自分には、あの場は、とりあえず必要でもある。
なのに、自分の輪郭がひどくぶれてると感じるときがある。
曖昧などうでもいい色の中に、どっぽり入ってるときがある。
3日前、秩父のぢろばたの『ガクブチ展』にいる自分は、とてもエッジがたっていて、それはコワイくらいでもあった。
2日前、友人宅でひたすらガブガブ酒を呑みながら話しに興じる自分の顔は、仏像様のようになっていた。
1日前、雨の中で待ち合わせた君と顔を目を見合わせた自分は、迷いがなく力強かった。
でも、いつものあの場にいる自分は、どうだろう。
にごってる。
こんな自分で、君はいいのか?
自分をみてくれている君に申し訳ないくらい、あの空間にいる自分に光はない。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ずっと、8日だと思ってた結婚式。
実は9日でした。
6日の夜に、始まる時間を確認せにゃあってことで、招待状を開けたんですよ。
うんうん、どれどれ、ほお~、4時15分開宴ね。
ほお~、9日、日曜。
ほぇっ!?に、日曜ぉー???
って、仕事ですよ、私。
えっ!?じゃあ、8日は何?土曜で休みとってあるんですけど。
心臓飛び出るかと思った。
普通に、びっくりして、少し時が止まった。
何か考えなきゃいけないのに、しばらく、ずっと招待状開けたり閉じたり、裏返してみたり、まるで意味のない行動をとっていた。
だって、びっくりしたんやもん。
で、次の瞬間はお電話。
もう、深夜ですよ、世間は。
なのに、そんなこと考えず、お電話。
「あ、もひもひ?時間遅いのに、スミマセンねえ。シフト代わって下さい」
「・・・・・・・・」
「結婚式の日、間違えてたわ」
「・・・・・・・・」
アホですか、この人は。
たぶん、相手はそう思ってたことだろう。
自分の人生こんなばっかです。
肝心なときに、普通に勘違いしてますから。
しかも、なんやかんや事なきを得るもんだから(ラッキーですわ)、またやるんですよ似たようなことを、繰り返しね。
いつか訪れるのか?自分の結婚式。
そのときもおそらく、でなく、絶対何かしでかすんだろうな。
ケーキカットでーすって言う前に、勝手にブチュって切っちゃったり。
これは絶対やりそうだ。
誰々のご挨拶って場の前にトイレ行ってなかなか帰って来なかったり。(違う会場に行ってそう)
これもあり。
なんで自分って、こんなに面白いんだろう。
真面目になればなるほど、周りは笑う。
あ~、笑えばいいさ。
だって、一番笑ってるのは、この自分やもん。
さて、友人の結婚式、素晴らしかった。
ワタクシ、テレビで見るような花嫁お手紙読んでしんみりな式って、どうも苦手なんですよ。
なんで、晴れな場で泣いてんねんって気がしてね。
(友人はお兄さんの結婚式でごうごう泣いてたらしい。それはそれで素敵だと思うんですよ)
そんなで、友人の式で「しんみりな場」っていうのはなかったんですよ。
ゴー!ゴー!って感じでね。
ワタクシたちの周りといいますか、新婦友人席の一部、単なるオヤジの宴会場になってましたからねえ。
鏡開きで枡に注がれたお酒
「アンら~、ヤダこれ。呑みやすいわ~、おいしいわ~」
完飲。
あー、あー、飲みきっちゃってるよ。
これ、おかわりないのかしら。
手酌で行ってこい、って言われて本気で行こうって何度考えたことか。
次に出てきた、シャンパン。アンら~、これすごくおいしい。
すんませ~ん、これおかわりありますかー?
むしろ、瓶ごと置いてってぇーや。
ホントにうるせえ、うるせえ。
酒はどんどん、あけていくし、出てくるお食事も
「これ、もっと食べたい」
とか、ほざいてるし。
なんなんでしょう、おれたち。
新婦ごめんなさい。こんな友人で。
挙句には、自分、隣りに座ってた全く初対面の女性にメロンの食べ方でダメだししてるし。
からんでるよ、酔っ払いのオヤジ、女の子にからんじゃってるよ。
まるで、そんな図でありました。
まあ、なにはともあれ、無事(?)楽しく結婚式。
結婚式、こんなに素晴らしいのか!
そう感じた1日でありました。
| 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
数日後に控えた結婚式のために、仕事前に靴を買いに行った。
今までのワタクシの人生において、かかとの高い靴を自ら買う、履くことは初めてで、靴屋で働く友人に足のサイズを測ってもらって履いてみたときは、とても「女性」になった気分だった。
普通の女性は、こんな気持ちをいつも味わっているんだろうか、と感慨深くなるとともに、じゃあ、自分はなんなんだって思った。
この日は、靴を買うっていう気分を高めるために(意味不明でしょう)ワタクシなりのお洒落をしていった。
ボルドーとターコイズの色のベストと水色のピンストライプのシャツに、細かいドットのネクタイを締めて、ジーンズで行った。
本屋の友人から
「僕ちゃんみたいでちゅねー」
「ハリポタみたいになってる」
「ネエサン、どーしたんっスか」
なんて言われながらも、ワタクシなりのお洒落は他の追随を許さぬ圧倒的な迫力がある。
「女性」の気持ちがどーたらこーたら言ってるくせに、僕ちゃんみたいなカッコしてウキウキしてますからねえ。
一体どんなお洒落が理想なんだ。
ちなみに画像で出てるのは、靴屋の友人にちょっと履いてみてって頼まれて履いたもので、写真まで撮られた。(実際に買った靴はこれとは違う)
そして、彼のリクエストでブログにアップ。
いや~、でも、騙されちゃいますね。
この足元だけの画像見てたら、えらい「イイ・オネエサン」って感じですからねえ。
上、見ると違いますからねえ。
おいおい、オマエかよって。
写真を撮りながら、友人は
「こんな背の高くなっちゃってるアズヲはありえない!」ってね。
確かに、自分もそう思う。
さて、こんな良い日(?)は、何かが起こる。
自分の気持ちが上がってるとき、本屋では何かが起こる。
そして、案の定、起こったんです。
なんかモヤモヤ嫌な気持ちが。
なんやろ、なんか来たわ、このままじゃ、いけない。
もうこの時点では、ワタクシのみが感じてる嗅覚がとらえる何か。
来た、来た。
そう、万引きの前兆なんです。
他のみんなは普通に仕事をしてるんですが、自分だけは、じっとりヒタヒタ冷たいもんを感じながらも、もんの凄いアドレナリンが放出されてる気持ち悪い状態なんですわ。
なんでこんなもん嗅ぎ取る力が身についてしまったんでしょう。
下手な警備員より、よっぽど優れた働きをしてますからねえ、単なる本屋の店員が。
結果、一気に目の前から消えようとしていた5枚のCDを救出したわけなんですが、出てしまったアドレナリンはその後、落ち着くことないままで、閉店までハイ。
お靴を買った高揚感でハイ。
万引きを喰い止めた達成感「オレは、やったぜ」で、これまたハイ。
閉店後のレジ締めで金が合わなくて、ハイ。
自分が浮かれてるとき、本屋では何かが起こる。
なんでか、わからない。
だから、自分は常に冷静でいなくちゃいけないんだ。
今日は、クール。
か。
無理かもしらんなあ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
私には逃げ道がいっぱいある。
って、ある人に言った。
逃げるんじゃなくて、自分の自由になれる場所。
それを、もっと見つければ、もっと自由になれるって。
逃げたら、自分を責めてしまう。
自分が後ろめたくなる。
でも、逃げ道っていうのは何かから逃げる行為ではなく、自分を解き放つ場所の確保だと思う。
ガクブチがそう。
音楽もまさにそう。
11月に行くエレグラも、夏に行ったフジも。
自分が自分であるために。
そんなことを思いながら、ぢろばたで珈琲をのんでたら、逃げ道じゃないなって。
サンクチュアリだ。
ぢろばたもそう。
ぢろばたでの時間、ここに来るお客様、ここで親しくなった方々。
彼らに見守られ、彼らに導かれ、自分はいままで眠らせていた力を甦らせた。
眠っていたのか?
埋没しちまってたのかもしれない。
もし、ぢろばたに行っていなければ、こうしてる「いま」は無いように思える。
瞬間を生きる。
瞬間をとらえる。
私は、ぢろばたに入った瞬間、きっと何かにとらわれたんだろうな。
去年の晩秋、ぢろばたに入った瞬間に。
ある人に伝えよう。
ぢろばたがなければ、ガクブチもなかった。
そんな自分だったら君は興味を持っただろうか。
もし、持っていたとしたら、それは通り一辺倒なとこに。
それは、私の望むものじゃない。
むしろ、私の嫌悪するもの。
ちょうど満ちはじめる時期に来た君は、運がよかったのかもしれない。
でも、不幸かもしれない。
たまに、そう思う。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
私は動いている。
そう感じた一日だった。
今日は秩父には泊まれない。
駅で帰る列車を待っていると、静かに声をかけられた。
「アズヲさんですか」
しばし、ぽかーん。そうさ、おれ、アズヲ。
「ナカムラです」
ナカムラ・・・んがっ!ナカムラさんっ!?
スっパァーク!スパークよ、一気にきたぜ!
ナカムラさんがきた!きたのね、きてくれたのねっ!!
ちゅうか、遅いって、到着が。
8時やで。あと3分で列車がくるっちゅう。
なんてこといいながら、もんのすごく嬉しかった。
ここまで、来るの大変だったみたいなのよ。
列車が指定いっぱいで(西武秩父行きの特急は指定のみなんですよ)、一本見送って、やっと着いたら「ぢろばた」にアズヲおらんし。
こんな状況でも、きてくれる。
倒れるくらい嬉しかった。
むしろ、倒れてしまえ自分と思った。
ナカムラさんは、まず掲示板に書き込みを残してくれて、そこから私たちははじまった。
最近はブログの発言がずんずん重くなっていた。
無視しちゃダメだ、その発言を軽んじて受けちゃダメだ。
言葉だけ文字だけのやりとりだったけど、常に真正面からぶつかろう、私はそう思い続けた。
私はナカムラさんのことが、ずっと気にかかっていたのだ。
そのナカムラさんが、いま自分の目の前にいる。
しっかり立って、私を見ている。
何度も握手を繰り返した。
感無量。
「アズヲさんに会おう、そう思ってきました」
あ~、やっぱ、あの場で倒れちゃってよかったかな、ホントにそう思うよ。
人って動くんだね。
何か小さな動機なのかもしれないけど、それがはかり知れない大きな力となって動くんだね。
自分を動かす力と、そして自分が誰かを揺り動かす力と。
力が重なっていく。
前へ、前へ、進む力。
上へ上へあがっていく力。
もし、力が足りなくなったら、私の力を。
私はみんなを連れて行きたい。
もっと、先へ。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
期間の長い旅に出ると、当然だが髪が伸びてしまう。
旅の途中、トルコにて。
床屋の友人のトコへ遊びに行っていた、ある日のこと。
「アスマン、おめえの髪、下んトコじゃみじゃみになってんぞ」
アスマンとは、彼らのつけたトルコの名。
なんやのその名は。
おっさんぽいでねえの?
って言ったら、「いい名なんだぞ~」って怒られた。
そして、私はアスマンになった。
なんて、そんな話でなくて、髪だ髪。
「じゃみじゃみ?ああ、このままでいいんよ」
といっても、どうしても気に入らないらしい。
どうしても切りたいらしい。
ぴっちり、真っ直ぐがいいらしい。
仕方ないんで、彼の思うように切らせた。
切ったのはわずか1センチぐらいなんだけど、えらい満足そう。
さて、この後も旅は続き、髪はぐんぐん伸びる。
トルコで切った1センチの髪なんて、あっという間にそれを越してしまうほど伸びる。
インドのヴァラナシにて。
とにかく、暑かった。
それだけの理由で、いきなりハサミを手にしていた。
シャツを脱いで、部屋の鏡の前にゴミ箱を置いて、切り始めた。
あまり何も考えていなかった。
とにかく暑い。
とにかく切ろう。
切った、切った。
ばっさ、ばっさ髪が落ちていく。
翌日、また切った。
ここまでくると、さすがに雰囲気が違うことに気付いた同宿の友人が訊いてきた。
そして、少しビビってる。
「あれ?どした?髪」
「暑いから、切ったんよ」
「え?どこで?」
「自分で」
それからというもの、ずっと自分で髪を切り続けていた。
日本に戻ってきてからも、ずっと。
しかし、転機が。
10月に友人の結婚式がある。
これが機会かもしれない。
これを逃したら、ずっと自分で切り続けや。
悪くはないけど、良くもないなってことで、ようやく美容院に行った。
インドで切り始めて、今日まで4年。
4年か、早いな。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
物を作り出す・生み出す人間には、人の感じないものを感じ、人の見えないものを見る力がある。
自分には才能があると思ったことはないし、努力をして、ここまできたと感じたこともない。
こうなるべき姿=必然的な何か。
そう、この前入れ墨をいれて下さった方が言っていた「fate」。
まさに、そうなんだって思ってる。
昔、人と話をしてて、ちっとも伝わらないことがあった。
彼ら、彼女たちの言ってることは、頭を使わなくても全然理解できるのに、自分の発する言葉に彼らは首を傾げるばかり。
なんでやねん!
って思ったとき、偶然知り合った絵描きの女性が言っていた。
「私たちはね、フィルターが細かいの。
だから、小さなものまで選別して通すことが出来るけど、あなたの言う人達はね、フィルターの目が粗いのよ。
つまり、彼らは大きなものは受け止めるけど、あとは落としちゃうのよ」
そうか、そうなのかもしらんな。
さて、自分のフィルターの目がどんだけ細かいかわからないけれど、人の感じないことまで感じてるのは実のところとても苦しい。
例えば、怒りの感情を、その辺の人は「ムカつく」って言葉でまとめちゃうことが出来るのかもしれない。
でも、自分の場合は怒りが自分の感情に直結する前に、相手のことを考えてしまう。
このままじゃいけないんだ、って。
周囲は、しらんぷり~なことでも、それじゃいけないんだ、って。
些細なことでも、これじゃいけないんだって感じることは身近な生活の中にたくさんあって、どうにかしなきゃと思う。
しかし、世間はそんなこと目をつむってる。
っちゅうか、気付いてもいないのかもしれない。
ならば、私が言わねば!
となると、なんで私がそんなことまで言わなきゃならんのだ?
という疑問につながり、ぐるぐるまわり。
全ての人には平等に同じ量の精神と心が宿ってるのかもしれない。
でも、「人とは違う」とくくられてしまう種類の人たちは、その精神と心の燃やし方、消耗の仕方が違うのかもしれない。
だから、精神と心が尽きるギリギリのところで生きている。
狂う一歩手前で生きてる人たちなのかもしれない。
逆に、人と違う輝きがあるから人は惹きつけられる。
しかし、彼らは「普通の人」の感じれない深いところに根付く自分の中の毒を知っている。
その毒で、普通の人は、死んでしまうことも知っている。
だから、一人だけでその毒を負っている。
自分も狂う一歩手前なのかもしれない。
だから、ものを作り続けているのかもしれない。
| 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)
友人の家から戻る途中の車中、ふと携帯を見ると、あれま、カメラ作動しちゃってるじゃないの。
おまけになにか、撮れてる。
なんや、これ。
ひかりだ。無数のひかりだ。
いつの間に、こんなもん撮れてたんだろう。
昼間っからワインなんぞ呑み、イイ気分だぜ、いえ~い。
音楽もイケてるぜ、いえ~い。
なんて、かなりアホになっちゃってる状態ではありましたが、たまにはいいんじゃないか。(って、おいおい、たまにかよ)
そんな気持ちを反映するかのような、キラキラしたひかりが。
こんな些細なことでも、力になる。
前に進む力になる。
家に着いてから、猛烈に「ガクブチ展」のDM作りをした。
明日、印刷屋さんに持っていく約束をしてしまったから、とにかく急ぐ。急がねば。
これから、コンビニへ行ってコピーをとらねば。
ガクブチは、あともう1つ作る。
そして、10月。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
順調なのでしょうか。
そうですね、順調だと思いたいです。
入れた日は、さすがにナマっぽい感じがしており、触ることも出来ず。
痛いっていえば、まあ痛い。
でも、こんなもんでしょう。
というか、比較できるもの・するものがないからわからない。
ただ、コワイのは化膿しやしないかって。
服は触れてて平気なのか?
シャワーは平気って言われたけど、こんな生々しい状態の上に自分でワセリンを塗るのがコワイ。
で、結局は風呂になかなか入れず。(ビビってる)
極力、水があたらないよう、身をよじって、入れた2日後にシャワー挑戦。
洗ってんだか、なんだかよくわからない。
水がかかるたびに、ひゃ~とかいっちゃって、まあ。(神経質)
さて、そんなビビリの道を通りながらも、今やすっかり「かさぶた」になってる入れ墨。
あんな生々しかったものが、カサカサとし始め、ぼこっとふくらんでいる。
よーし、この調子。
久しぶりに会った本屋の仲間から
「ちょっと、見せてよ」
「え~、長袖だから、見せらんないよ。ほれ」って、袖をまくる。
「いや、別にネエさんの腕見ててもねえ。ちょっとでいいから」
めんどくせえなあ。
ほれって、無理矢理まくると、ホントにちびっと数ミリ見える。
その部分を、どれどれって、ぎゅうーって押すじゃないの。
「ちょっと、アンタなにすんのよ。イテえじゃんか、ばーたれ」
かさぶたになったとはいえ、まだ少し痛い。
自分以外の人間で、触ったのはヤツが初めて。
でも、考えてみたら、途中経過の入れ墨に触る機会なんて、そうそう無いよなあ。
ヤツは、ラッキーだ。
か、どうだかは、わからないが。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
ワタクシの身体に新しい私が入りました。
そう、入れ墨です。
悩んで考えて描き直して、迷走してた線が一本の線に集約されたとき、美しいかたちが生まれた。
これ以上のかたちはない、かたちが生まれた。
これは、私のためだけに、そして私の身体に刻むためのかたちとして生まれた。
だから、とても力強い。
今までの自分とこれからの自分をつなぐ「しるし」として。
彫って下さった方といろいろとお話しする中で、自分にとって入れ墨を入れる行為は自分の辿る、辿ってきた旅と似ているなということに気付いた。
自分の旅は、ガイドブックにあるような旅じゃない。
おいしいもの食べて、名所観て、お友達とワイワイ行くような、旅じゃない。(んなこと言ってますが、美味いもんたらふく食ってます。やたら遺跡めぐりしてます。さっき知り合ったヤローといきなり盛り上がりまくっています)
だいいち、旅の動機も、おかしい。
「おかしい」っていう言葉は、おかしいかもしれないけれど、なかなかみんな理解してくれない。
旅に出る理由。
「呼ばれてるんだよ。だから、行くの。」
「え?誰に呼ばれてるの?」って、たいていは訊き返される。
「来い!来い!って。その場所っていうかな、しきりに呼んでるんよ。呼ばれてるんだもん、行っちゃうよ」
そんな時、彫って下さった方が言っていた。
「あなたが初めて。
普通に、こうやってここに来れた人って。
みんな、迷っちゃうんだって。
あなた、迷わなかった?」
地図もちゃんと頂いていたし。
迷いようもなかったですよ。
よっぽど、ここに来たかったんでしょうね。
きっと、呼ばれてたんでしょうね。
「呼ばれてる」、その言葉が出たとき、彼は「FATE」としきりに言った。
彼はハワイ出身の日系三世で会話の中にたまに英語が出てくる。
「FATE」、日本語ではなんと当てはめたらいいんだろう。
家に帰ったら、調べてみてって。
そして、調べてみる。
ほぉ~~~ってなった。
これで、いいんだって思った。
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)
車運転してていろいろありますが、今日これはヤバイ、いかんっていうものに遭遇してしまいました。
いつも通り、夜道を走っております。
まあ、時間は11時過ぎで、それなりに車も走ってます。
しばらく順調な走りなのですが、自分の前を走っていた車が左折したとたん、その前を走っていた車に異変が。
いきなり、速度が落ちる。
ああ、じいちゃんでも運転してんのかって思った。
そしたら、やたらユラユラ蛇行し始める。
ありゃー、こりゃ飲酒運転か?
追い越したいのはヤマヤマだけど、追い越し禁止の道路なんで仕方なく、のろのろ。
もうしばらくしたら自分は左折するし、まあこのまま我慢・・・・
って思ってたら、うおー、おめえも左折かよ。
一緒の方向かよ。
そして、相変わらず遅い。
というか明らかに速度を落としている。
時速20キロってなんですか、その速度。
ここからは、追い越しOKの道路。
こりゃあ、もういかんでしょうということで、ライトを上向きにあげ、キチンとあおりました。
それなりに速度出すか、はじに寄るかどっちかにせえー!
なのに、びくともしねえぜ、この車。
こんにゃろーめ、そっちがそうなら、こっちだって、こっちだって!
抜いちゃるぜえーーーー!!!!
エンジン全開。
頑張れ、ヘボ吉くん!!!
走れ!走れ!走れ!
いつにないワタクシの殺気を感じ取ってか、ヘボ吉くん頑張った。
あっという間に80よ。
ふと、バックミラーを見ると、らんらんに光った車のライトがホントすぐ背後に。
時速80で外灯もろくにない田んぼ道を激走する2台の車。
ありえねえー。
しまったー、コイツ、単なるノロノロ運転者じゃねえ。
でも、家は目の前。
よっしゃ、右折。
そしたら、そいつも右折。
うおー、明らかにつけられてるやん!
とりあえず、家には向かう。
しかし、このまま車庫に入れてしまったら、この家のヤツってばれてしまう。(まあ、バレバレでしたけど)
中途半端に車を停めて、後ろを見る。
いる。
明らかに、様子をうかがっている。
エンジン停めて、キーを抜いて車から降りる。
もちろん、家からは誰も出てこない。
みんな、寝ちゃってるかねえ。
おっと、今はそれどころじゃねえ。
とにかく、そいつと話しがしてえ。
今までの一連の行動はなんなんだ、てめーってことで。
ふざけんじゃねえぞって。
自分がじりじり、その車に歩み寄っていく。
ああ、車が微妙に動き出してる。
逃げられる。
あと、もうちょっと。
そこまで来た瞬間、
車から、男の声が
「なんだ、てめ、このやろー」
それで、ぶおーと走り去る。
走り去る?
こっちこそ、てめえ、このヤローだ。
逃げんじゃねえよ。
なに、逃げてんだよ。
その車が見えなくなるまで道路で仁王立ち。
ナンバーが見えんかった~。
家に入って、このことをかあちゃんに話す。
「追い抜いたのが、いけない」
「確かによくなかったかもしらんけど、80キロで激走はどう考えてもおかしいやん」
とりあえず、しばらくはかあちゃんが本屋の送り迎えをする!って息巻いてる。
いいよ、大丈夫だって。
でも、あれは当てさせ屋だったんだろうか。
謎は残る。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
数日後に、入れ墨をいれる。
何を突然って思われるのかもしれないけれど、別に昨日・今日決めたことじゃない。
本気でいれようと思ったのは、4年前、ヨーロッパを巡っていてハンガリーに着いたとき。
ヨーロッパでは、いろんな思いが錯綜していたのもあった。
このまま進むのか、そして行きたい地に対する周囲の偏見もあり、常に自分が試されているような気がした。
別に、もやもやしてたとか、ワケがわかんなくなってたとかそんなチープな感情じゃなくて、直結しちゃう感情じゃなくて、もっと気持ちの悪いものだった。
でも、気持ちの揺らぎはあまりなく実にすがすがしかったのを覚えてる。
旅先で親しくなった友人に
「ここで、入れ墨いれようかと思う」と、何の前触れもなく言うと
「せっかくいれるんですもん。日本でいれた方が絶対キレイにはいりますって」
そうか、そうだね。
いれるんなら日本でいれよう。
それから、時は経ち。
時間なんて、おそろしいほどにあっという間に流れてしまう。
今になってしまった。
だけど、今でいいんだろう。
今だからこそ、もう一度あの「気持ち悪い」感情をリアルに感じられるのかもしれない。
入れ墨をファッションでいれる気は全くないし、カッコいいからいれようなんて気もない。
第一、カッコいいとは別に思わないんだ。
私にとっては、「しるし」でもある。
結実された思いの到達点としての「しるし」。
周りからは、それなりにいろいろ言われている。
痛いんじゃなーい?(そりゃ、いてえだろうよ)
お熱でちゃうんじゃなーい?(ああ、でるかもしらんなあ)
自分で描けばいいじゃん(それとはワケが違うんですって)
でも、誰からも「後悔するよ」とは言われていない。
誰かから無理矢理やられるのでは後悔もあるだろうけど、自分で決めたこと。
だから、後悔するってことも、おかしい。
ネット上では、将来の事を考えてとか世間の目は・・・等、当然のことがつらつら書かれているし、そう思っている人が多いのが現実でもあるし否定できない。
だけど、「入れ墨=ネガティブな行為」なのか?
自分は、そうは思わない。
みんなが「いい」と思ってることをやるのがいいのか?
その「いい」は、じゃあ一体何を基準にしてるんだ?
いつも疑問と怒りが渦巻いてる。
なんでだろう、なんでだろうの連続。
中途半端に、たらたら生きてんなら、生きてることがもったいない。
既成概念の壁をぶち壊すために、自分はいるんだっていつも言ってる。
安易に、ダイヤだ、ブランドもんだ、そんなアクセサリーなんていらねえ。
自分の欲しいものは、もっと生々しい。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
仕事が終わってから、本屋の友人を駐車場まで送ったら、そのまま喋ってしまった。
気付いたら、朝だった。
自分、一体何やってんだろう。
体力ありあまってる中学生のガキじゃないんだから、仕事終わったら帰ってくださいよ。
ちゃんと、寝てくださいよ、ウチで。
そんな、喋ってる場合じゃないでしょう。
でも、喋るの大好き。
それと自分の車は何故かとても居心地がいい。
ちいちゃくて、ぼろいんだけどね。
足上げると、狭くてハンドルに足あたっちゃうんだけどね。
お互い、いつまでもゆるゆるしちゃってね、気付いたら朝。
そーいや、最近もそんなことしてしまったわ。
いかん、いかん。
早朝の景色は美しいね。
早朝の外気に触れていると旅の頃を自然と思い出す。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
アオザイじゃ、ないぢゃないかっ!
なんなんですか、この、昭和歌謡ヒットパレードみたいなカッコは。
かあちゃんから、「これ、これ着てみ」
といわれて、無理矢理着せられる。
親戚のオバちゃんが、おそらく20年以上前に買ったドレスらしい。
これいかに。
って写真なんて撮ってもらってる場合じゃないでしょう、アナタ。
popさん、MIさん、こんなで結婚式って大丈夫なんでしょうか。
かあちゃんの「タダだから」の言葉に心揺らいでるんですが、いつの時代だよーっ!!てなドレスにちと困惑気味。
でも、自分自身、今の時代を全く無視した生き方してるんで、まあ問題ないかな、とは思ってるんですが会場で久しぶりに会う友人にビビられそうでね~。
| 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)
10月に、中学のときの友人の結婚式がある。
困ったことに、結婚式に招待されるのは初めてである。
何、着てったらいいんじゃろ。
仕事場の友人に
「スーツじゃ、ダメじゃろか?」と聞いたら
「普通、女の人はスーツ着ないねえ」って言われた。
「じゃ、なに着るん?」
「ドレスだよ」
「・・・・・・」
ドレスって、ドレスって、何だよ、それ。
んなもん日常じゃ着ねえし、たいして布使ってもいないのに高いし。
そんなん買うんか?
お金もったいないよ~。
そこで考える。
貧乏だとアタマ使って、賢くなる、いいねえ。
考えた結果。
オーダーメードにするか。(ホントにアタマ使って考えてるんでしょうか)
アオザイかチャイナドレスだ。
どっちにしよう。
チャイナドレスは強引に手作りしたことあるから、アオザイにするか。
ん~、迷うなあ。
でも、迷ってるうちに10月になっちゃうよ。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
昨日、ネットで注文しておいたフジのTシャツが届いた。
たぶん、当日、苗場で買うことは不可能だろうということで、あらかじめ注文しておいた。
1日しかない限られたフジで、グッズ買うために1時間も2時間も待ってちゃあ、もったいねえってことで。
でも、現地でしか買えないものもあって、それはそれで残念やわ~とも思ったが、まあ仕方ない。
さて、Tシャツといって、困ることがある。
サイズがみなデカイのである。
なんだこれは、なんでこんなにデカイんだ。
かといって、女性用のチビTになると、やたら首周り広く(セクシーに?)、無駄にウエストシェイプな形になんぞしやがって気に入らない。
そのまんまの形で、小さいだけのものが欲しいんだっていうのに。
でも、世間じゃあ、そんなもん求めてる人ってわずかなんでしょうね。
滅多に見つかんねえ~。
だけど、今回のこのTシャツには「キッズL」のサイズがあったんですよ。
キッズなら、いいやろと思って袖を通してみる。
どれどれ?ん?
やっぱ、ちょっとデカイな。
キッズLでもダメなんかい!
いや、ダメじゃないんだよね。
袖周りがね、ちょっとダボつくねん。
もうちっと、パツっとしてもらいたかった。
果たして、ここまで単なるTシャツ1枚にこだわってる人間っているんだろうか。
デザインとかじゃなくて、単なるサイズに・・・
我ながら、しょーもないトコに情熱もやしてんなあと思う。
まあ、つべこべ言いながらも、このTシャツはなかなかのお気に入り。
早速、今日の本屋に着て行こう。
ウキウキやな。
そして、そんなウキウキの日は絶対なんかあるんだ。
クレームとかトラブルとか絶対あるんだ。
ちくしょーめ。
ウキウキしてられねえじゃないか。
惜しいものである。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
いつまでもお祭り気分じゃあ、いけない。
気持ちの切り替えをせねば。
まず、音楽を変えた。
オフスプリングに。
そして、怒涛の掃除。
狂ったように掃除。
スッキリっ!
って、そんないうほどスッキリしてるか?って感じだけど、いいんです。こんくらいで。
あ~、スッキリしたわ~。
でも、肝心のガクブチを作るスペースは、やたらごちゃ~としてるのに、何故か放置で終了。
おいおい、いいんかい。
こっちが本腰だろうよ。
なんで放置なんだい。
相変わらず、自分のやる行動は意味不明。
今もオフスプリングを聴いてる。
「THE MUSIC」が聴きたい。ホントは、こっちを聴きたい。
でも、これを聴きだすと、とろ~んとしちゃうんでねえ。
音楽はすこぶる激しいんだけど、完全に酔ってしまって、またフジに気持ちが戻ってしまう。
今、思うと7月は嵐のようだった。
どどどどどどどっとしてた。
急遽、フジ行きが決まって、いろいろな人とお会いして、観て感じて。
その合間にも、いろんなこと考えて、語って。
そんな根底には常にどくどく音楽が流れてて、「前へ、前へ」って押されてた。
正直、くたびれたね、7月は。
でも、ここで落ち着いてらんねえ。
もう、来てるんですよ、目の前に!『ガクブチ展』がっ!!
くたびれたなんて言ってらんねえ。
そう、気持ち切り替えるんス。
だけど忘れちゃいけねえ、ロック魂。
フジで買った、フジロックマ。
飾って、眺めて、思い出す。
なんて、ひたってる場合じゃねえぞ。
ガクブチ、ガクブチ、ガクブチ。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (1)

我が家に通う全くなつかない野良猫の「にゃんこ」がお子を産みましてん。
5、6月あたりから、ん?腹デカくなってんぞって。
そしたら、いつの間にか産んでおりまして、気付いたらガレージの段ボール箱の中におりましてん。
相変わらず、威嚇度100%で寄ると「しゅああああーっ」
とらんっちゅうの。
写真ぐらい、いいでしょーが。
寄れんからズームや。
お?ぶれるぞ。
ちょいと動かんで、お子。
それにしたって、かわいいのよ。
でも、この子しかいないんです。
猫が子供を1匹しか産まないってことはありえない。
たぶん、何匹か産んだんだろうけど、ちゃんと成長したのはこの子だけなのかもしれない。
そう思うと自然の厳しさをまざまざとみせられているような気がします。
にゃんこが威嚇度満点であるのもわかる。
でも、しゃあああの顔はコワイぞ。
すごくコワイぞ。
ゴハンのっけたトレー動かしてるだけで、しゃあああだもんなあ。意味わかんねえよ。
さて、お子は相変わらず乳のんで寝てばっかで、見てるほうとしては「もうちょっと、なんかないんかい」って感じなんですが、ごくたまに動く。

にゃんこの背中に這い上がる、お子。
すべるがな、あがれんがな、おケツが重いがな。
結局あがれなくて、ずるっと落ちてるんだけどね。
最近は、にゃんこのまねして、ノビぃいいーをしたり、後ろ足で頭かいたり(とどいてないが)してますね。
ちなみにこのお子は、お父さん似で。
いいシマシマです。
ワタクシの中では、名は「縞王」
裏の畑で作ってるスイカの名が、「しまおう」っていいましてん。
全然、関係ないんじゃん。

ダンナとにゃんこ。
とても仲がいい。
ダンナは宍戸錠に似てる。
んなこと、どうでもいいか。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
まだまだ熱が冷めません、ステレオフォニックス。
いや~、いいバンドだ。最高だ。
なんていってますが、彼らを知ったのは5枚目から。
つい、最近のことなんです。
だから、昔からのファンの方々から「なに言うとるの!」ってお怒りを受けるかもしれませんが、今のドラマーが実にお気に入りなんです。
初代ドラマーあわせ、ケリー、リチャードは子供の頃からの固い結束で、ずっと音楽を作ってきたわけですから、1stから聴いてる人にとってみれば新ドラマーいかに・・・
っていうのは、わかります。
でも、5thから聴いた自分は、これがステフォニと思って聴いてましたから、違和感はなかったんです。
インタビューでも、ケリーもリチャードも新ドラマーハヴィエに対しては、信頼をよせ安心しきってる様子が感じられよい雰囲気なんですよね。
お写真も、ほくほくした感じ。
さて、そんなお写真だと、えらく小ぢんまりしてるハヴィーですが、あにはからんや、いい身体してるんですよ。(なに言ってんだ、アズヲ、暴走してるぞ)
先日のライブでは上半身裸で演奏してたらしく(あっついねえ)、あるブログの記事を読ませていただくと「ソフト・マッチョだった」とのこと。
自分は、ソフト・マッチョどころかケリーの雄姿も拝めず、前の人の背中ばっか見てた。
おっしい。
でも、いい身体してる人はTシャツ姿で、わかるもんなんですよね。
先日の記事でも、やはりステフォニのことを書いてるんですが、目の前で見たハヴィーは、やっぱりいい身体してたなあ。
肩と腕のあたりのTシャツのぱちっとした感じ、首周りの美しさ。
本気マッチョは大嫌い。
わざわざ鍛えてつけた筋肉なんてものも大嫌い。
自然と(勝手に)ついた生活の中で培った筋肉っていうのは、いいんです。
なんせ、自然ですから。
そのままがいいんですって。
なんていいながら、ハヴィーさん、めっちゃ鍛えてたら、話し変わってしまうやないか。
でも、日本人は自然な筋肉って付きにくいよなあって、しみぢみ。
体質的に無理なんでしょうかねえ。
ネパールにいたとき、たまたま通りがかりで声かけてきたヤツが、またいい身体してたんですよ。
「あんた、ガタイいいね。なんかしてんの?」って聞いたら、別に何もしてないよーって。
ちょっと動くと、すぐ筋肉ついちゃうんだよーって。
(初対面で一体なんちゅう話ししてんだか)
まあ、日本よりは多少酷な生活してるだろーけど、普通に生活しててこうなるのかあ。
ほえーって言いながら、他人の身体、ぱつぱつ叩く謎の旅行者。
おそるべしね、アズヲ。
さて、自分は滅多にTシャツというものを着ない。
先日のライブでは久々に着たんだが、これが子供サイズなんですね。
女性が着るチビTはそれなりにラインがきちんとしてるのですが、子供のですからねえ、ただ小さいだけなんですよ。
でも、自分の場合それで充分なんです。
なぜなら、小学生の頃からあまり上半身のサイズが変わってないんですよ。
人からはよく言われます。
「変わった身体してるよね」
確かに。
別に、痩せてるわけではないんです。
ただ、なんかどっかが人と違うんです。
そんなで、子供のTシャツを着たときの、ハリ具合が自分は大好きなんです。
なんか、ソフト・マッチョー?みたいな。
肩周りが狭いせいで自然と腕が後ろにそる感じとか、首周りが小さくて無駄な隙間が出来ないとことか。
なんちゃって、ハヴィエやわ~。
たぶん、そのTシャツ着るたびにそう思うんだろうなあ。
くだらねえなあ、自分。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
っていうか、勝手にそんなことさせないで下さい。
ガクブチなんて見てまてんっ!
そんなたたずまいの、にゃんこちゃん。
たまたま、ガクブチを庭で撮影してるときに、「お、にゃんこ」
よし、ツーショット、と思ったんだけど、逃げる逃げる、嫌がる嫌がる、しまいにゃ、威嚇。
「しゃぁーーーーっ」
寄るなっていうとるじゃろがぁぁぁーーーっ!
もう、2年近くも我が家に通う野良猫なんだけど、ちっとも馴れる気配なく。
いちばん、しつこく追い掛け回すワタクシを目の敵にしてまして(そりゃ、するわな)、ワタクシが寄るとビミョウな距離感。
カメラを向けると必ず背を向ける。
そんなで撮った1枚であります。
ごろにゃんな、猫もかわいくて大好きなんだけど、ちっともなつかない野良猫の鑑のような、このにゃんこ。
いろんな意味で、その生き様&たたずまいは自分とかぶるトコもあり、共感以上の尊敬に近いものすら感じる。
かっこええなぁ、生きてるんやなぁって。
それにしても、名はずっと「にゃんこ」。
尊敬してるんならもっとそれなりの名をって感じもしないでもないが、何故か我が家の人間は「名」に関し無頓着。
10年以上飼い続けた亀は、結局ずっと「かめ」のまま。
もうちょっと、なんかあるでしょがーって。
でも、亀も自分のことを「かめ」と認識してるらしく、
「かめ!かめ!」
と呼ぶと、それなりに鈍く反応してたからねえ。
ザリガニも、そうだったなあ。
「お母さん、ザリガニ洗って下さい」
って言ってたなあ。
おいおい、食いもん洗うように言うんじゃないよって感じだけど。
人の名もそうで、1回聞いただけではすぐ忘れてしまう。
まさか、「ひと、ひと」とも呼べないので、勝手に名をつけることが多い。
呼ばれる方としちゃいい迷惑なわけで、よく「やめてください」って言われる。
でも、自分としては「グッドです!」と思うわけで、勝手な名が付いてる人が自分の周りには結構いる。
そのわりに、自分の名を変わったふうに呼ぶ人は誰もおらず、まあ、そういうもんなのかと思ったりする。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
先日カメラを購入。
写真は撮るのも撮られるのも苦手で、いつもカメラを向けられると逃げてる。
イヤなんですよ、とにかくお写真は。
なんていってるのに、なんでカメラなんて買ってるん?
どうしても、「ガクブチ」のお写真が撮りたかったんです。
薄暗い室内でもフラッシュをたかず、三脚とか立てなくても、それなりに簡単に撮れるカメラがあればいいなあってずっと思ってたんですよ。
そしたら、あったんですね。
フジフィルムから発売されている「NATURA」ってカメラです。
でも、iso1600のフィルムを入れないと、フラッシュなしのお写真は撮れないんですけどね。
iso1600かい、フィルム高いやんけ。
あと、レンズが広いというか(なんちゅう表現や)、ゆがみが少ないんです。
そのせいなのか、自分がいつになくキレイに撮れてるんです。
友人からも
「いっつも、写真映り悪いもんね」っていわれてるワタクシ。
なんとかせねばと思っていたんですよ。
これで、なんとかなりそうです。
上の写真もそのカメラで撮りました。
別に何のコンセプトもありません。
ただ、フィルムが余ってたんで部屋の中を撮っていただけなんですけどね。
本屋さんで勤めてるから、やっぱ本が好きなのね?
別にそんなわけでもありません。
ただ、積み重なってるだけです。
片付けるのが面倒で。
あと、10冊はのるかな、とか考えてます。
考えてないで、はよ片付け。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
やっと休みになった。
ひゃっほーい。
とはいっても、ボーっとしてるわけにはいかない。
14日、ガクブチ展に向かう。その際に持っていく名刺を作らねば。
今まで、何度も「作ろう作ろう作らねば」と思っているだけで、ちっとも作られなかった名刺。
やっぱ、現実味おびて必要を感じないと作らないんだね、自分は。
またまた、プリントゴッコで。
第2弾!ってことで今回は凝るか?なんて思いきや、またもシンプル。
シンプルだと聞こえはいいが、実物は、なんだかな、牛乳パックみたいな名刺になってしまったよ。
別に牛乳屋っていうわけじゃないのに。
なに作ってんだよ。
それより作りすぎたかねえ。
こんなに作って、どーするよってほどにいっぱい刷ってしまった。
プリントゴッコね、面白いのよ。
だから、ついつい。
まあ、いっぱい、いろんな人に手渡しすればいいのよ。
いつか、皆サマにもお渡しできる日が来るといいですね。
そんな日が来ることを願いながら、大量に刷られた名刺を眺める。
でも、やっぱり刷りすぎたな。
不覚であった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

なんとなく、思い出した。
美大受験のため、アトリエに通っていた頃のこと。
おそらく、美大を受験するなり、よほど美術や絵画に関心がない限り、ほとんどの人は「石膏像」なるものに触れる機会もないだろうし、ましてそのデッサンなんてすることはないと思う。
自分は、とにかくこの「石膏デッサン」なるものが苦手で、どんだけ苦労したことか・・・
画像で出ているのは、「マリエッタ像」。
ある日、石膏デッサンを描く日のこと。
何点か、石膏像が置かれていて、自分の好きなものを描けという日であった。
友人いわく
「マリエッタ描けばいいじゃん。アンタにそっくりだもんね。自画像だと思って描けばうまく描けるんじゃない?」
そうか、マリエッタか。
しばし、眺める。
そうか、似てるのか。
でも、うれしいのか?
相手は石膏像だぞ。
ビミョウだな。
この画像のこの角度から見るマリエッタと自分は、あまり似てはいない。
しかし、斜め横から、あるいは斜め下から見るマリエッタは確かに他人とも思えない。
ちょっと薄目ひらいてて(コワイよ)、薄ら笑いで、ほんのちょっと首を傾げてて、美しいとか愛らしいとか、そんなもんなくて、ただひたすら独特な空気を醸していたマリエッタ。
相手は石膏像なのに、アトリエに置いてあるマリエッタ像が目に入るたびに、なんか変にドキドキしてたなあ。
自分か?自分か?ってね。
でもなあ、石膏像に似てるっていうのはなあ。
やっぱり、ビミョウだよなあ。
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
16日の夜中、いきなり悪寒が走った。
確かにこの晩は異様に興奮してたから、たぶんその名残だろって思ってた。
そうです、この日は10年ぶりの来日公演を果たした『R.E.M.』のライブの日だったのです。
それにしたって、夜中一睡もできないまま朝になってしまうというのは「興奮の名残」といっても、そりゃ行き過ぎだろうと思いながらも、翌日は翌日で松尾スズキ氏の『蛇よ!』を観に行き大いにうかれる。
自分の身体、タフなんだか、単なるバカなんだかよくわからない。
結局、なんだかよくわからずヘロヘロの身体引きずって、今にいたるも病名わからず相変わらず具合が悪い。
先月の終わりに母がインフルエンザにかかったのもあり、「あんたも悪寒きたら飲み続けなさい」って病院で処方された薬をいわれるがまま飲み続けるも一向に回復せず、ただ食欲だけが落ちていくじゃねえーか!
ここ数日ずっと、おジュースばかりですよ!
もっと、まともに食事がしたい。
きっと、ダラダラしてるから具合悪い気がしちゃうんだ。
ってことで昨日、仕事に行った。
「あれ?花粉症だったっけ?」と店長。
「わからんのです。インフルか風邪か。」
「来ちゃ、ダメじゃん」
「マスクしてきた」
そーいう問題ともまた違うと思うんですよ。
根本的に来ちゃダメなんだって。
明日、なんとかやっと病院へ行ってみることに。
病院きらい。
そんなこと言ってる場合じゃないでしょが。
そうそう、ヘロヘロの身体、引きずって買い求めたCD。
これがまた、かっこいいんですよ。
めろめろですよ。
STEREOPHONICSとTHE MUSIC。
うおー、鳥肌立つーっていうのは、具合が悪いからか?
いや、たぶん違う。
元気になったら、もっと激しく聴こっと。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日、ぬいぐるみが届いた。
なんだろう、と思った。
宛名を見ると、「学研」。
そうだ、忘れてた。
以前アツモリ通信でも紹介したことのある雑誌『Pooka』のプレゼントに応募したんだ。
もともと、こういうものにはあまり応募しない。だって、出したって当たらないと思ってるタチだから。
届いたぬいぐるみは『きりのなかのはりねずみ』というロシアの絵本のキャラクター。
そのあまりの可愛さに、思わず応募してしまった。
出せば当たるんだなあ、と少々驚いた。
届いた日が12月23日。すてきなクリスマス・プレゼントになった。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
いまだに、ブログなるものがよくわかっていない。
試行錯誤で始めて、いまだに模索中。(いつまで模索してんだかって感じ)
いつになったら軌道にのるんでしょうか。
トラックバックも、なんのこっちゃか、わからぬ。
昨日、コメントを頂いて、そのコメントを書いて下さった方のブログにいってみたら、「お~~~~お~~」。
その可愛らしさ、キレイさにただただ、びっくら。
んでもって、また自分のに帰ってみると・・・なんやねん、これ。文字ばっかやん。
んー、しばらくガマンしますか。
メインは、あくまでもホームページのほうやもんな。
開き直るしかないな、こりゃ。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
「生まれ変わったら」というお題で、ふと思い出したのは、消防士です。
中学のとき、映画『バックドラフト』を観て単純に、カッコええなーって思ったんです。
パオパオ鳴ってるサイレンも、スピード出しすぎてカーブ曲がりきれなくて倒れちゃう消防車も(現実にそうだったら困りますって、あくまでも映画やから)、悪役だったけど最後まで渋くてステキだったスコット・グレンも。
とにかく、男くせえ映画なんですが、中学生の自分は「これだ!」って思いました。
数日後、友人に「わたし、生まれ変わったらシカゴのマッチョな消防士になるの」って言ってましたね。
「なんで場所が限定されてるの?」って友人。
「シカゴの消防署が舞台だったのよ。なるんだったらシカゴがいい」
「ふーん。でも、マッチョ嫌いじゃん」
「なるんならいいんよ」
そーか、なるならマッチョでもいいのか。あの頃はそう思ってたのか。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
うちの書店は慢性的な人手不足。
店の規模はでかいのに、お客さん、わんさわんさといても、レジには従業員1人。
電話が鳴ってる、レジの脇からお客さんがなんか聞いてくる(たまに入ってきちゃうお客さんもいてびびる)、それでもレジをやらねば。レジは長蛇の列。
こんな状況を目の当たりにしてたら、ここで働きたいなーって思う人なんていなんだ。
だから、人はいない。
そんなわけで休みも気安く取れません。
でも、明日は秋の遠出、秩父へ行ってまいります。
なんで秩父?って聞かれて、うーん、なんでだろう。ただ、なんとなく秩父。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)