4人目の先生
木芸は夏が終わると、それ専門の先生がやってくる。
まず、漆の先生。
続いて、ろくろの先生。
そして、くりものの先生。
で、次は竹の先生が控えている。
同じ先生から、一年間ずっと学ぶのも決して悪いことではないと思う。
しかし、これだけめまぐるしく変化することもそうそうにないので、非常に貴重でありがたい。
いろいろやれることがありがたいのではなく(もちろんそれもあるが)自分にとってはいろいろな先生から学べるということがありがたいのだ。
もの作りに対する姿勢・考え方、それぞれに異なり、それでもって何十年と続けてこられたことが勉強になる。
職人の先生もいれば、芸術的な捉え方の先生もいて、だから、答えは一つではないのだ。
意見をきき、まず、そうか。と思う。
それから、自分のなかの答えと照らす。
別の先生の意見を思い返し、それとも照らす。
答えなり考えは、行ったり来たりする。
ときに曖昧に、ときに明確に。
こんなでいいんだと。
でも、結果的に決めるのは自分。
だからこそ、そこに至るまでのたくさんの選択、たくさんの自由に翻弄されないストックを蓄積しておきたい。
木芸というのは、「芸」という言葉が入っているだけあって、やはり芸術的な部分もある。
といえる。
といっていいのかもしれない。
木工と違って、テーブルや椅子といった、使う人に即したもの作りではなく、自分は何を作るのか。
他者に答えを求める前に、自分自身に問いかける。
そんな木芸。
だから、厳しい。
作っている今も。
そして、ここを出た先も。
なんで作ってるんだろう。
の、自問自答の繰り返しだろうから。
で、その答えが曖昧であるからこそ、続けるのかもしれない。
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