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2008/10/30

4人目の先生

木芸は夏が終わると、それ専門の先生がやってくる。

まず、漆の先生。
続いて、ろくろの先生。
そして、くりものの先生。
で、次は竹の先生が控えている。

同じ先生から、一年間ずっと学ぶのも決して悪いことではないと思う。
しかし、これだけめまぐるしく変化することもそうそうにないので、非常に貴重でありがたい。

いろいろやれることがありがたいのではなく(もちろんそれもあるが)自分にとってはいろいろな先生から学べるということがありがたいのだ。

もの作りに対する姿勢・考え方、それぞれに異なり、それでもって何十年と続けてこられたことが勉強になる。

職人の先生もいれば、芸術的な捉え方の先生もいて、だから、答えは一つではないのだ。

意見をきき、まず、そうか。と思う。
それから、自分のなかの答えと照らす。
別の先生の意見を思い返し、それとも照らす。

答えなり考えは、行ったり来たりする。
ときに曖昧に、ときに明確に。
こんなでいいんだと。

でも、結果的に決めるのは自分。
だからこそ、そこに至るまでのたくさんの選択、たくさんの自由に翻弄されないストックを蓄積しておきたい。

木芸というのは、「芸」という言葉が入っているだけあって、やはり芸術的な部分もある。
といえる。
といっていいのかもしれない。

木工と違って、テーブルや椅子といった、使う人に即したもの作りではなく、自分は何を作るのか。
他者に答えを求める前に、自分自身に問いかける。
そんな木芸。

だから、厳しい。
作っている今も。
そして、ここを出た先も。

なんで作ってるんだろう。
の、自問自答の繰り返しだろうから。
で、その答えが曖昧であるからこそ、続けるのかもしれない。

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2008/10/19

見間違い

部屋に置いてあるパンの袋に目がいった。

そこに書かれている宣伝文句。

ありえない
おいしさ。

そら、すごいな。
すごすぎだ。
でも、宣伝文句としてはいかがなもんだろう。

よく見たら、

あきない
おいしさ。

とんだ勘違いを。

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2008/10/18

くりもの

ひたすら、くる。

ろくろが終わり、いまはとにかく、くりまくる日々。

ノミや鉋で木を彫り、かたち作る「くりもの」。
正直、ろくろのような命縮める恐怖との闘いはないけど、地味にしんどい。
体力仕事である。

デザインによっては、ルーターやディスクグラインダーというような電動工具でほぼ完成させてしまうものもあるんだけど、自分のは無秩序な自由曲線のかたちなもんで、とにかく手でやるしかない。

この無秩序というのが意外と曲者で、先生から

「ぶっさいくになるでー」

ことあるごとに、この言葉をいただく。

仲間からは、

「え?なにこれ、ギター?」←完全に馬鹿にされてる

「ちがうよ、ひょうたんだよ」

てか、いまどき、ひょうたんかよ。

ぶっさいくなうえに、ダサい。
おまけに、これ顔みたいじゃんっていわれた挙げ句、変な顔書かれちまうし。

そんな落書きされたおダサなひょうたんくりもの抱えて、必至にちみちみ鉋かけてりゃ笑われるし。
どーしたものよ。

さて、こんなひょうたん坊や、アホなつらして、刃がたたんほど硬い。

先生から、こりゃ硬いでーって何度もいわれ、力も技術もないくせに、選んだ材、ケヤキ。

チョー、硬い。

そして、硬い材は重いってのに、こらまたでかいもん作ってる。
なもんで、持つっていうよりは、抱っこして、うろうろ。
ぶっさいくなひょうたん抱えて、ヨロヨロ、あっち行ったり、戻ってきたり。
何してんでしょ、あの人って感じ。

こんな調子で、今月中に完成するんかいな。

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2008/10/07

克服する日

いま、ろくろで蓋つきの箱を作っている。

先月、コワイコワイ、大騒ぎしてた頃は到底考えられない代物である。

蓋がつくんでしょ?
入れ物っていうんだから、それなりに深く掘らなきゃならんのでしょ?

ムリムリ。
絶対、ムリ!

だったはずなのに、ろくろ、あと数日を残して終了という現在、ちゃんと作っているのだ。

自分だけじゃない、10人みんな。
10人が一斉にろくろに向かっている姿は、圧巻だろう。
かなり地味だが。


そう、1週間ぐらい前だ。
どうしても先に進まなくて、放心状態になってた。
どんなに気を付けてやっていても、刃が食い込んでしまうのだ。

このままでは次の段階にいかれん。

刃が食い込む

それまで作ってたものがめちゃめちゃになる



ろくろ、コワイ


とまあ、こんな。
これを断ち切らねば、ぐるぐるの恐怖からは脱せないのだ。

どーしよ、どーしよ。
困ったなあ。
てか、もうやりたくないよ。

ぐるぐるまわる木を眺め、ただただ、どうしても入れられない刀を持って。
持ってるだけ。
刀が!
刀が!
入れられん。

「コワイのを克服しないと、先には進まんでしょう」

と、先生。

「・・・・」←おいら無言

先生は手を貸さなかった。
しばらく後、何かが吹っ切れたのだろうか。

いきなり、刀を深く深く入れ始めた。

どっちにしたって、飛ぶんだ。
刀が飛ぶか、材が飛ぶか。
こわくても、なんでも、わからんもん。
やんなきゃ。
やんなきゃ、わからんもん。

結果。
先に進んでる。

あの時は、どうしようもなくて、ヤケクソに近かった。

でも、それでよかった。

先に進むっていうのは、苦労なくしてはありえんのかもしれない。
苦労の結果が、いま。
先に進んだじょー!
という実感。

こうして、ちょっとずつ先に進んで、数ヵ月後、春が来て、我々はここを去る。

そして、いつか、10人でまた会う日が来たら、ろくろのこと。
話すんかな。

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2008/10/04

ENIGMA

ENIGMA

あまりに、「エニグマ的な」、「エニグマ風の」、そんなうたい文句が冠された音楽が氾濫し、癒しという言葉を多用し。

はて、エニグマは癒しなのか?
エニグマだけにかかわらず、自分は音楽に癒しを求めず必要としない。

初めて、エニグマを聴いたのは17のとき。
音が流れたとたん、こりゃいかん。
と、慌てて音量を下げた。

エニグマはそれまで自分が知り、親しんでいた音楽とは異質だった。
だから、これ以降、エニグマ風と評される音楽が次々ととめどなく現われてくることが違和感だった。

喜んで買ってきたCDをかけたとたん、音を下げたのはこのときが初めてだし、おそらくもう無いと思う。

そのくらい、エニグマは他と違ったのだ。

今回の新しいアルバムも、力強く、容赦なく、エニグマである。

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